今回は、皆さんご存じの『日本沈没』のご紹介です。
但し、小松左京の原作小説ではなく、漫画版です。
なぜ、漫画版か?
それは、この一色登希彦作の『日本沈没』が、本家『日本沈没』をある意味超えたSFコミックの傑作だからです。
(以下、小松左京原作は“原作”と表記します)
本作は、2006年の映画「日本沈没」(リメイク版)に合わせる形で連載が開始されましたが、原作にも映画にも全く束縛されずに独自の物語展開・世界観を顕現させていきます。
優れた社会批評としての『日本沈没』
まず本作が優れているのは、単なるパニックもの、災害ものの域を超えて、鋭い社会批評として成立していることです。
日本に蔓延している「閉塞感」を作品全体の基調、背景にしています。
その閉塞感やそれにまつわる群集心理、国民性が描かれていきます。
また、それが被害や混乱を拡大させていきます。
例えば、物語中、日本沈没阻止のために、日本は国際世論を無視して、核兵器の開発に邁進します(科学的には不可能にも関わらず)。
映画だと、架空の大量破壊兵器(N2兵器。エヴァンゲリオンですね)でお茶を濁しますが、本作では正面切って、核保有への道が描かれます。
個人的に一番面白かったのは「記憶」というキーワードです。
過去、関東大震災も経験してきているのに、それを記憶していない国民。
次節で紹介する第6巻のタイトルはそのものズバリ「記憶喪失の国、記憶喪失の首都。」です。
優れた震災シミュレーションとしての『日本沈没』
一つの見せ場でもある第二次関東大震災も優れたシミュレーションとして描かれています(第6巻)。
原作の東京の被害が死者360万人。
ところが本作では、なんと死者500万人以上(!)。
その原因として、
- 1000本以上の編成が常時時運行される巨大鉄道網
- 津波及び決壊で水没する城東地域。
- 超高層建築
- ガソリンを積載し高速移動する数百万台の乗用車 etc.
東京が抱えるリスクは並みのものではないと指摘している。政府の災害予測などこの脅威の前では児戯に等しい。
これは、人類の歴史上、高速移動する人工物が大量に行きかう巨大都市に於いて人々が初めて経験する超巨大地震なのである。
そこではー
絶対に、今までの災害ではまだ見たことのないものが現前する。
第6巻35頁
正直、この巻だけでも読んでほしいと、切に願います。
きっと、現実に東京を大地震が襲った時、退避した政府は立川か仙台、名古屋あたりで記者会見を開いてこう言います。
「想定外だった。」と。
しかし、想定はされていたのです、本作において。
優れた政治哲学としての『日本沈没』
原作では、大きくは触れられなかった天皇に関しても、本作ではしっかり触れられています(第14巻)。
「天皇」は、多くの作品で、ぼやかされ、避けられていますが、およそ日本論としては天皇を避けてしまっては、日本論としては片手落ちでしょう(例えば『太陽の黙示録』)。
日本沈没が進行し、日本脱出が悲壮感に包まれ進められる中、今上天皇(本作連載時の平成の天皇、現上皇とシルエットでわかる)がマイクに立ちます。
「国が無くなる時」、その“象徴”が何を語ったかは、ぜひ、あなたがページを開いてください。
おそらく、そう語られるであろう事が、見事に描かれています。
また、国民国家解体後の新しい政治システムに関しての可能性も論じられます。
国民国家がもう末期なのは明らかですが、それを認めたくない故に、ナショナリズムの揺り戻し(しがみつき)が起こっていますが、結局、それは足搔きでしかない。
おそらく、インターネットが全地球を覆った時、それは決定的な予定事項に入ったのでしょう。
あと、最終巻でさらっと挿入されている「沖縄」。
曰く、
予想通り、沖縄諸島はやはり別物のプレートの上に在ってほぼ無傷だった。
日本政府が、異変前の時点の住民を国民として、沖縄を国家として独立承認したのは賢明だったね。
第15巻210頁
この一節。やろうと思えば、これで1巻使いそうなお話です。
日本政府が日本沈没に対して、唯一残る広域自治体である沖縄を手放すとは考え難い。
那覇に遷都して、国民の沖縄移住を強行しそうです(核開発を強行したくらいですから、それに比べたら)。
それを踏まえても、沖縄独立を承認するには、「相当」なストーリーがあったのではないか?
そこを読んでみたかったです。
『地球幼年期の終わり』のオマージュとしての『日本沈没』
本作の特徴として、情報科学の知見があちこちに顔を出します。
その語り部は、情報科学の権威で日本脱出計画の中核人物である、中田一成の口から多く語られます。
特に、日本沈没の関連で語られるのが「生命群のシナジー低下」。
日本のシナジーの低下は、日本人が文明の維持を諦めたことであり、それは、日本人が日本沈没を予感しているのではないか?という仮説です(第5巻)。
本作は、日本列島の「物理的(地学的)」沈没よりも、観念体系としての「日本」の「沈没」を描いているところに、重点があります。
また第14巻で起きる、「ある奇跡」について。
「心のありかた」と「この世界の状態」は、「因果」ではなく「連動」しているのだと、もうすぐみなが理解するときが来る。
第14巻198頁(中田)
もはや単純因果では説明できない世界。
世界の理解は再び、存在論に引き戻された感があります。
そして、この日本沈没という未曽有の事態が、「あること」への予兆、前触れとして描かれている。
書いてしまうとネタバレなので、あえて書きませんが・・・。
それは、日本版『地球幼年期の終わり』と言えるものです。
本作も『地球幼年期の終わり』も、結局は人類の「次の」ステージの「序章」のお話ということです。
この先を読みたい・・・!