ふるさと納税は開戦事由になるか?~筒井康隆『東海道戦争』~

Tokaido shinkansen and Mt.Fuji

ふるさと納税、揉めてますね。

この問題、都市部からの税収の流出、自治体同士の返礼品合戦、国全体の税収減やら、なにかと争点があるんですが・・・。

大都市対地方の構図がはっきり露呈している問題ですよね。

これを見ていて連想するのが、

筒井康隆の『東海道戦争』。なつかしい。

あらすじ

ある日、関西の自宅で朝起きると、世情は一変していた。

大阪と東京が開戦したのだ。

自衛隊や警察が2つに分裂し、東京側の自衛隊が東海道を大阪に「侵攻」してくる。

老若男女問わず戦争準備。市民軍が編成され、小学生は土嚢を積み、婦人会は炊き出しの準備、若者はライフル背負って映画俳優の真似をする・・・。

ひとつの目的を把握した上での、気持ちのいい混乱がそこにはあった。あきらかにここでは、労働が楽しまれ、命令することされることが喜ばれ、事態の切迫が面白がられていた。市民も軍人も、すべてが英雄きどりであった。

『東海道戦争』中公文庫、1994年、41頁

皆、戦争という「お祭り」を楽しんでしまっている。

東海道戦争の開戦事由は作中でこんな形で話されます。

「怒鳴るなよ。つまり。そういう期待があったからだ。戦争という事件への期待、そして、そういう事件を起こすことの出来る、自分たちへの期待だ」

『東海道戦争』中公文庫、1994年、26頁

筒井康隆らしいアイロニックなお話です。

ここで、ひとつ思い出したのが、近代以前の「戦争」のひとつの形態についてです。

近代戦争とは異なる「野生の戦争」とでもよぶべきものが現れる。それはただ浪費し蕩尽するためだけに展開する戦争であり、何ものも防衛せず、何ものも奪わず、何ものも貯蓄しない盛大な「祭り」に他ならず、本質的に反共同体的な戦争である。

市田良彦・他著『<ワードマップ>戦争~思想・歴史・想像力』新曜社、1989年、23頁

吝嗇そのものである「戦後」という日常を破壊することは、即ち「蕩尽とうじん」してみせる為だけの祭り。

東京と大阪の対立など、いわば、後づけの理屈で、みんな、戦火が見たかった。

「東京」の特殊性

さて、そんな「お祭り騒ぎ」の中で、ある場面が描かれています。

大阪にいる主人公は、曽根崎警察署の前で、警察署長のプロパガンダ演説を聞きます。

「マスコミに毒された・・・中央意識・・・地方人共通の敵であり・・・日本の・・・対外的威信ひいては国家的信頼感を失墜」

『東海道戦争』中公文庫、1994年、23頁

大阪は日本第二の都市ですが、ここでは、地方の代表みたいな感じです。

すると、東海道戦争は、東京対地方、という様相を呈します。

本作のような東京対地方という構図においては、あの警察署長のアジテーションは、核心を突いているのではないでしょうか。

「東京」というのは、他の日本の地域とは、全く異なった性格を持った場所です。

換言すると、「東京」なしで、今の日本がそのまま「続く」のかどうか?

これは私の恩師がよく言っていたのですが、「東京」というのは一種の「抽象空間」である、と。

つまり、曲がりなりにも、近代日本は、西洋からあらゆるものを受容(輸入)してきた。特に、その果実、学術・学芸・芸術・文化といった極めて「抽象的なるもの」は東京を中心に受け入れられ、集積し、培養されてきた。

生活や土地(地縁)、血縁といった日常的なもの、いわば「具象的なもの」と一線を引いた空間がそこにはあるのではないかと。

地方と東京を両方経験した方だと、これは実感として感じるのではないでしょうか。

ただ単に、「人口が多い」とか「首都」だとか、そういったものとは違う唯一無二の「何か」が、「東京」にはあるのではないか。

換言すれば「近代なるもの」が。

この東京的「近代」が所詮しょせん「疑似近代」である。という批判は成り立つでしょうが、疑似であろうと、それは、他の日本の「地方」とは、やはり一線を画すものだと言えます。日本国内に限っては。

ここに大きな断絶と、開戦(内戦)への途に、なりはしないかと。

ふるさと納税は開戦事由になるか?

ふるさと納税で地方自治体と総務省が揉めていますが、その根底には、地方と中央(東京)の意識・無意識化での対立が見て取れないでしょうか?

東京一極集中は地方にとっては脅威以外の何物でもありません。

ストローのように人口(特に若年人口)は吸い上げていくわ、何でも東京中心(資本、文化、情報、学術)。

それを是正(?)するかもしれない、ふるさと納税を政府やマスコミ(つまり東京)が、寄ってたかって規制してくる・・・。

いつか、地方の恨みと怒りが爆発して・・・、その果ての東海道戦争開戦。

・・・完全に妄想ですが、まあ、ボストン茶会事件なんてこともあったので。

日本内戦の可能性はあるのか?と問われると、そりゃないでしょ。SFや架空戦記のお話だ。と答えたいところですが、その芽というのは意外と転がっているなあ、と思った次第です。

↓「東京論」と「内戦」といえばこの人