ふるさと納税は開戦事由になるか?~筒井康隆『東海道戦争』~

  • 2019年12月22日
  • 2022年10月12日
Tokaido shinkansen and Mt.Fuji

“地方”の“東京”への“恥”の意識を好ましくないものと考える人も多いであろう。だが“地方”は“東京”にたいして“恥”の意識をもつことにおいてはじめて“地方”を自覚し、“東京”は“地方”を否定することにおいてしか“東京”であることはできなかった。このディレンマは、近代日本そのもののディレンマなのであって、このディレンマを回避したいかなる思想もリアリティをもつことはありえない。

磯田光一『思想としての東京』講談社、1992年、44頁。

ふるさと納税、揉めてますね。

この問題、都市部からの税収の流出、自治体同士の返礼品合戦、国全体の税収減やら、なにかと争点があるんですが・・・。

大都市対地方の構図がはっきり露呈している問題ですよね。

これを見ていて連想するのが、

筒井康隆の『東海道戦争』。なつかしい。

あらすじ

ある日、関西の自宅で朝起きると、世情は一変していた。

大阪と東京が開戦したのだ。

自衛隊や警察が2つに分裂し、東京側の自衛隊が東海道を大阪に「侵攻」してくる。

老若男女問わず戦争準備。市民軍が編成され、小学生は土嚢を積み、婦人会は炊き出しの準備、若者はライフル背負って映画俳優の真似をする・・・。

ひとつの目的を把握した上での、気持ちのいい混乱がそこにはあった。あきらかにここでは、労働が楽しまれ、命令することされることが喜ばれ、事態の切迫が面白がられていた。市民も軍人も、すべてが英雄きどりであった。

『東海道戦争』中公文庫、1994年、41頁

皆、戦争という「お祭り」を楽しんでしまっている。

東海道戦争の開戦事由は作中でこんな形で話されます。

「怒鳴るなよ。つまり。そういう期待があったからだ。戦争という事件への期待、そして、そういう事件を起こすことの出来る、自分たちへの期待だ」

『東海道戦争』中公文庫、1994年、26頁

筒井康隆らしいアイロニックなお話です。

ここで、ひとつ思い出したのが、近代以前の「戦争」のひとつの形態についてです。

近代戦争とは異なる「野生の戦争」とでもよぶべきものが現れる。それはただ浪費し蕩尽するためだけに展開する戦争であり、何ものも防衛せず、何ものも奪わず、何ものも貯蓄しない盛大な「祭り」に他ならず、本質的に反共同体的な戦争である。

市田良彦・他著『<ワードマップ>戦争~思想・歴史・想像力』新曜社、1989年、23頁

吝嗇そのものである「戦後」という日常を破壊することは、即ち「蕩尽とうじん」してみせる為だけの祭り。

東京と大阪の対立など、いわば、後づけの理屈で、みんな、戦火が見たかった。

「東京」の特殊性

さて、そんな「お祭り騒ぎ」の中で、ある場面が描かれています。

大阪にいる主人公は、曽根崎警察署の前で、警察署長のプロパガンダ演説を聞きます。

「マスコミに毒された・・・中央意識・・・地方人共通の敵であり・・・日本の・・・対外的威信ひいては国家的信頼感を失墜」

『東海道戦争』中公文庫、1994年、23頁

大阪は日本第二の都市ですが、ここでは、地方の代表みたいな感じです。

すると、東海道戦争は、東京対地方、という様相を呈します。

本作のような東京対地方という構図においては、あの警察署長のアジテーションは、核心を突いているのではないでしょうか。

「東京」というのは、他の日本の地域とは、全く異なった性格を持った場所です。

換言すると、「東京」なしで、今の日本がそのまま「続く」のかどうか?

これは私の恩師がよく言っていたのですが、「東京」というのは一種の「抽象空間」である、と。

つまり、曲がりなりにも、近代日本は、西洋からあらゆるものを受容(輸入)してきた。特に、その果実、学術・学芸・芸術・文化といった極めて「抽象的なるもの」は東京を中心に受け入れられ、集積し、培養されてきた。

生活や土地(地縁)、血縁といった日常的なもの、いわば「具象的なもの」と一線を引いた空間がそこにはあるのではないかと。

地方と東京を両方経験した方だと、これは実感として感じるのではないでしょうか。

ただ単に、「人口が多い」とか「首都」だとか、そういったものとは違う唯一無二の「何か」が、「東京」にはあるのではないか。

換言すれば「近代なるもの」が。

この東京的「近代」が所詮しょせん「疑似近代」である。という批判は成り立つでしょうが、疑似であろうと、それは、他の日本の「地方」とは、やはり一線を画すものだと言えます。日本国内に限っては。

ここに大きな断絶と、開戦(内戦)への途に、なりはしないかと。

ふるさと納税は開戦事由になるか?

ふるさと納税で地方自治体と総務省が揉めていますが、その根底には、地方と中央(東京)の意識・無意識化での対立が見て取れないでしょうか?

東京一極集中は地方にとっては脅威以外の何物でもありません。

ストローのように人口(特に若年人口)は吸い上げていくわ、何でも東京中心(資本、文化、情報、学術)。

それを是正(?)するかもしれない、ふるさと納税を政府やマスコミ(つまり東京)が、寄ってたかって規制してくる・・・。

いつか、地方の恨みと怒りが爆発して・・・、その果ての東海道戦争開戦。

・・・完全に妄想ですが、まあ、ボストン茶会事件なんてこともあったので。

日本内戦の可能性はあるのか?と問われると、そりゃないでしょ。SFや架空戦記のお話だ。と答えたいところですが、その芽というのは意外と転がっているなあ、と思った次第です。

↓「東京論」と「内戦」といえばこの人