考えのなかだけでは、誇張されたこと、真実ではないことと思われるような出来事が、現実の戦争においては至る処に生起するのである。
クラウゼヴィッツ『戦争論』(上)岩波書店、2000年、132頁。
2022年2月24日、ロシア軍がウクライナに対して全面軍事侵攻を開始し、世界に衝撃をもたらしました。
様々な議論が出ていますが、本稿では、日本にとって、これが、全く「対岸の火事」などではなく、それどころか、「明日は我が身」とも言える深刻な事態である点を見ていきます。
日本での報道では、ロシアに対しての西側の経済制裁等により、国際経済の悪化、エネルギーや資源の供給問題、高騰による生活への影響といった視点で語られています。
勿論、それはそうなのですが、事態はもっと深刻ではないのか、と。
周辺事態を超えることも
その「深刻」というのは、安全保障面に関しての影響です。
今回のウクライナ侵攻での米国の一挙手一投足が、近い将来の中国の台湾政策にもたらす影響、つまり最悪の場合、台湾への武力侵攻を誘発させるのではないのか?と危惧する声が既に上がっています。
それは、いわゆる「周辺事態」とか言われているもので、その地理的近さや、日米安保条約の関係から、日本も巻き込まれる南西諸島有事が危ぶまれています。
しかし、本稿で指摘したいのは、そのような形の有事ではなく、もっと直接的な、日本への軍事力行使、つまり「日本有事」そのものが生起する可能性です。
軍事的合理性と政治の暴走
ソ連時代に、ソ連脅威論が喧伝され、それがソ連軍の実態と乖離していたことが、ソ連崩壊後、明らかになるようになりました。
つまり、ソ連軍には、北海道に大部隊(数個師団単位)を上陸させる海上輸送能力と、上陸軍に補給し続ける兵站能力が無い、と。
ソ連軍部が、北海道に侵攻しない理由を、兵頭二十八は次のようにまとめています。
旧ソ連が信条とし、西欧やイランに対してはリアリティが持てた、「十分な弾薬の準備と戦力の集中」「戦車を骨幹とした無停止攻撃」「ミサイル、航空機、火砲による全縦深同時打撃」「突破成功点への全予備梯団の投入」「早期の占領地固定化と支配の既成事実化」といったことは、いずれも日本、北海道、または宗谷海峡に限定しても、何のリアリティも持てないことであった。
兵頭二十八『日本の防衛力再考』銀河出版、1995年、82頁
しかし、ウクライナ侵攻を見ていると、その「軍事的合理性」がどこかに吹き飛んでいる可能性も否定できません。
それは、プーチン大統領個人の戦争指導にどこまで軍事的合理性があるのか、という点です。
プーチンの政治的目的(野心・野望)の前に、軍部の軍事的合理性が影を潜めてはいないか。
旧ソ連軍のように、「攻勢三倍」、あるいは「攻勢五倍」の戦争準則に忠実なプロフェッショナルの外国軍
同上書、86頁。
ならば、北海道に敵前上陸しないだろうと兵頭は書いています。
しかし、政治(ここではプーチン)が、もしアマチュアリズムかつ楽観主義から独善的に戦争指導していたらどうか。
一般に、「戦争をしたがる軍人と冷静な政治家」というイメージが流布していますが、現実にはその逆の場合も見られます。
そうなると、先の、攻者三倍の法則やらドクトリンを無視して、非合理的な、無茶苦茶な「そんな、まさか」の北海道侵攻が政治的に決断されてもおかしくはないのです。
現に、「まさか」のウクライナ侵攻は起こっているのです。
今回のウクライナ侵攻のひとつの大きな衝撃・恐怖は、ロシア政府(というかプーチン大統領)の主張するガバガバの開戦事由で、「侵攻」できるなら、どんな理由を口実にしても攻撃できることになってまう点でしょう
芥川賞候補となった砂川文次の『小隊』という小説があります。突如侵攻してきたロシア軍との、釧路での戦いを陸上自衛隊の一小隊長の視点で描いた作品です。
まさにあの世界観そのものが現実を浸食してきたように感じます。
確かに、今すぐ、「北海道が危ない」とは言えませんが、長年、領土問題を抱え、今回の対露経済制裁に加わっている日本に、近い将来、その危険がないとは言えないでしょう。
今すぐではないであろう「沖縄が危ない」程度には、リスクは上がってきているのかもしれません。
西方シフトしてきた自衛隊
近年、日本では事実上、中国を仮想敵国として、沖縄・南西諸島方面に防衛の重心が移ってきています。
いわゆる「北方重視」から「西方重視」への転換です。
ところが、ロシアの脅威度が上がると、北海道にも手当をする必要が出てきます。
ソ連崩壊で、北海道に駐屯する4個師団は、2個師団2個旅団に縮小されました。
現在、南西諸島では新規駐屯地の新設と部隊の新設が急ピッチで進んでいます。
ところが、今回のウクライナ侵攻は、中国の脅威度は下がらずに、ロシアの脅威度が上がるということ、つまり日本が「二正面」で抑止力が必要になるという事態を意味します。
二正面作戦といえば、かつてのドイツが常に悩まされた戦略環境です。西のフランス、東のロシア帝国に挟まれた状況。
そんな二正面作戦でどう勝利するかで登場したのが、かの「シュリーフェン・プラン」でした。ざっくり言えば全力で西のフランスを速攻で降し、東に取って返してロシアを撃退する。
しかし、第一次世界大戦ではフランスを降すことは叶わず、失敗に終わります。
兵力の集中が戦略的に極めて重要である以上、二正面作戦は参謀たちにとっての悪夢でしかありません。
冷戦期、自衛隊は北海道に集中していることができました。
当時の中国は脅威ではなかった。
日本は二正面で戦えるか
尖閣諸島の領有権問題や台湾への挑発など、中国脅威論が高まるにつれて、自衛隊は、今までお座なりにされていた南西諸島の防衛に力を入れています。
そんな状況下での北方脅威の高まりです。
先のドイツの例を出すまでもなく、二正面作戦は大変難しい。
世界最大の軍事大国である米国は、冷戦終結後から近年までは「二つの大規模地域紛争を同時に戦い、共に勝利する」という二正面戦略を採用し軍備規模を維持してきましたが、財政問題などから、現在は放棄しています。
では、日本が陥るかもしれない二正面脅威には、当座、どう対応していくべきなのでしょうか。
ここですぐに、「防衛費増額!」「憲法改正!」「兵力大増員!」という声が上がってきそうですが、それは実質的な意味を持ちません。
なぜなら、テレビゲームではあるまいし、一朝一夕に軍備を増大させることは不可能ですし、軍備は国富から逆算されるもので、国家資源のパイを全て軍事に振り向けることなど、財政破綻への自殺行為です。
出来る範囲と時間で最大限、しかありません。
いま自衛隊に必要なこと
ウクライナ侵攻を見ていると、いわゆる情報RMA(軍事革命)での戦闘(情報戦、サイバー戦など)や無人機・ドローン等による攻撃など、「新しい戦争」と言う側面が見られる一方で、依然、従来型の正規軍同士の戦闘が大きなウェイトを占めているように見受けられます。
そこで、当座行われるべきは、従来型の戦力の「選択と集中」です。
陸上自衛隊の問題点は、部隊がむやみに多く、部隊単位と実態が乖離しているところにあります。
方面隊が実質師団で、師団が実質旅団で、連隊が実質大隊で・・・
まず、師団は師団の規模に、連隊は連隊の規模に、統廃合が必要でしょう。
そして部隊単位として適正になった部隊を再配置します。
そこで「選択」として、まず地域を選択し、そこにその部隊を「集中」する。
- 沖縄・南西諸島及び、その後背地となる九州。
- 北海道
- 首都圏
この三つの地域に部隊を集中します。
そうすると、他の地域がガラ空きになってしまいますが、これを補うのが緊急展開部隊でしょう。
私案としは、都合4つの戦略単位となります。現状の建制だと、
- 西部方面隊
- 北部方面隊
- 東部方面隊(但し関東のみ)
- 陸上総隊直轄部隊(旧中央即応集団)
いわばガラ空きになるのが、
- 東北方面隊
- 中部方面隊
これは致し方ないのですが、それらの地域での緊急事態(災害や侵略)に対処するのが陸上総隊直轄部隊(第1空挺団や中央即応連隊、富士教導団etc.)の緊急展開になります。
全国各地に満遍なく部隊が駐屯していると言うのが理想なのはわかるのですが、予算的にも戦力の集中の点からも難しいでしょう。
重戦力の縮小に異議
二正面の脅威を抑止する為には、現状、二正面にそれ相応の抑止力を維持するしか道がありません。
南西諸島の抑止力と、北方の抑止力ではその性格が異なることが救いになるやもしれません。
南西諸島の場合、島嶼部に配置される警備隊(軽歩兵)やミサイル部隊と、海空両自衛隊が主役になるような制空戦・制海戦がメインになると想定されますが、北海道の場合は、ロシア領との距離の近さから、着上陸侵攻からの地上戦の不安が拭えません。
すると、自ずから、陸上自衛隊は、南西諸島では海上機動や島嶼部防衛の、比較的「軽い」部隊がメインになるのに対して、北海道は、「重い」戦力(機甲・野戦特科)が必要になってくるでしょう。
ソ連崩壊で重戦力(戦車など)を削減したり、廃止したりしたNATO諸国と違い、日本の場合は、機甲戦力は削減されたとはいえ、幸い維持されています。
結局、戦車の優位性は、現代も揺らいでいないように見えます。
それならば、現在の防衛政策に見られる、機甲科・特科(砲兵)の抑制は、転換すべきでしょう。