自衛隊統合司令部は「令和の大本営」か?~旧軍から統幕会議、カナダ統合軍まで

「地上、海上、航空と分ける時代は過ぎ去った。将来、戦争があるとすれば、我々は地上、海上、航空のすべての軍事要素を1つに集中して戦うであろう」

ドワイト・D・アイゼンハワー(1958年)

政府が2024年度末に、陸海空三自衛隊全体を一元的に指揮する「統合司令部」を発足させる方針が明らかになりました。

これを受けて、様々な反応が出ていますが、その中で、いちばん「うん?」と首を傾げざるを得なかったのが、「自衛隊の統合司令部は戦前の大本営の復活だ」という声でした。

これは果たして本当なのでしょうか?

「大本営」とは何ぞや

「大本営発表」でお馴染みの、大本営ですが、おそらく「日本軍の最高司令部」というのが一般的な認識ではないでしょうか?

そこから、自衛隊の統合司令部=日本軍の最高司令部(大本営)のような、発想に至るのでしょう。

しかしながら、昭和の大本営と、令和の統合司令部には決定的な違いがあります。

それは、「統合」ではないことです。

戦前、日本軍は陸海軍の2つの軍隊(軍種)に分かれていました。

では、大本営が、この2つの軍隊を統合(・・)指揮したのか?

答えは否です。

大本営は、その中で、「大本営陸軍部」と「大本営海軍部」に分かれていました。

もし、大本営が日本軍全体の司令部ならば、陸海両軍に対して、単一の指揮権を持つ人間がいなければなりません。

ところが、大本営は、その中で、陸海両軍が並列しており、これを両軍統合指揮する司令官がいた訳ではありません。

厳密に言うと、統帥権を持つ天皇がその立ち位置にありますが、昭和天皇は大元帥ですが、直接、全軍を指揮するということはありません。

百歩譲って、昭和天皇が実質的な軍事作戦を指揮できる立場になったとしても、本質的に天皇が文民である以上は、職業軍人(制服組)の最高位の幕僚長(参謀長)が欠かせません。

通常、職業軍人ではない(=文民)の元首・執政長官(政府の最高責任者)は、政治的判断・国家戦略の最高意思決定者であり、実際の軍事作戦は制服組が立案・執行します。

現代アメリカを例に取れば、最高司令官は大統領であり、その政治的決定を受けて、実際に軍令を執行するのは制服組の統合参謀本部議長(軍人の最高位)率いる統合参謀本部です。

「統合」と「共同」

では、陸海軍の単一の最高指揮官がいない日本軍は、どうやって米国と戦っていたのか?

それはどこまでも「共同」であって、「統合」ではなかったのです。

この「共同」と「統合」とは似て非なるものです。

「共同」とは、対等の軍隊(部隊)が文字通り共に戦う訳ですが、両者の立場は基本的に対等な場合が多い、あるいはどちらかの指揮官が指揮を執るとしても一時的なものです。

戦時中、陸海軍は、作戦遂行にあたり、「共同」作戦であたりました。

その際、大本営レベルでは陸海軍中央協定を結び、現地軍レベルでもそれぞれ、いちいち陸海軍部隊が協定を結んでいます。

これだと、両軍の人間関係や文化・軍事思想・目的の違いから、合理的な判断や迅速な指揮が困難になるだろうことは素人目にも明らかです。

それに加えて、古今東西、軍種(軍の種類、陸軍とか海軍とか)は基本的に、仲が悪いことが多い。組織の宿命としてのセクショナリズムです。

日本の陸海軍は特にその傾向が強かったようで、敗戦の時に、「陸軍じゃなくて米軍に負けて良かった」と口にした提督がいたという有名な逸話もある位です。

陸海軍は、それぞれ別々に米国と戦っていたと言っても過言ではありません。

対して、「統合」とは、常任の単一指揮官の下で全部隊が作戦行動を実施することです。作戦目的が統一されていて、合理的にリソースを投入し、迅速に判断できる下地があります。

さすがにこれはマズイと、陸海軍内でも「統合」の動きが見られました。

即ち、大本営に、陸軍部・海軍部を統率する一人の「幕僚部総長(統合幕僚長)」を設置しようという計画です。

しかし、これも結局、御破算になり敗戦を迎えます。

ちなみに「海軍善玉論」が定着していますが、この陸海軍統合に反対だったのは、ほぼ海軍側で、陸軍側の方が統合に積極的だったのは、意外に思われるかもしれません。

政治学者の丸山真男が、戦前日本を「多頭一身の怪物」と評しましたが、日本の戦争指導はまさにこれでした。

陸軍省、海軍省、参謀本部、軍令部がそれぞれ違う意志決定(方向性)をし、統帥権の壁に阻まれる内閣があり、微妙な立場の昭和天皇がいる。

以上、簡単に見てきたように、「大本営」と「統合司令部」には大きな乖離があります。

ですから「自衛隊統合司令部」を「令和の大本営」と評するのは、いささか大本営を過大評価し過ぎの感があります。

戦後自衛隊の「統合」

大本営は統合に失敗した訳ですが、戦後の自衛隊はどうなのでしょうか?そして、なぜ今、統合司令部設置なのでしょうか?

戦後、自衛隊が創設されましたが、それは陸海空の三軍(三軍制)で、戦前よりも軍種(2→3)が増えました。

戦前の反省から、今度は最初から「統合幕僚会議」(及び同事務局)が設置されます。

そのトップたる統合幕僚会議議長(統幕議長)は、自衛官(制服組)の最高位とされました。

ところが、統幕会議はあくまで三軍の調整機関であり、作戦の執行・運用はあくまで陸海空の各幕僚長にあります。

つまり、三軍に対しての指揮権はありません。

統幕会議を評して「高位高官・権限皆無」などという言葉も生まれる始末。

ミグ25函館亡命事件(ベレンコ事件、1976年)では、ソ連軍奇襲の可能性が高まりました。

しかし統合運用での対応ではなく、各自衛隊が各々(おのおの)独自に警戒態勢に入った為、航空自衛隊の輸送機をソ連軍輸送機(函館空港に強行着陸して特殊(スぺ)部隊(ツナズ)を投入してくる可能性が示唆されていた)と誤認した陸自の高射砲部隊が、あわや撃墜寸前だったという笑えない話もあったそうです。

そんな「統合」運用問題ですが、2006年に統幕会議・同事務局を統合幕僚監部に発展的に解消させました。

統合幕僚監部とそれを率いる統合幕僚長は、実質的に全自衛隊の統合運用機関になった訳です。

統合幕僚長は、首相・防衛大臣からの命令を執行し、三軍の各部隊(陸の各方面隊、海の自衛艦隊、空の航空総隊etc.)を指揮することになりました。

これで万事めでたし?

ラインとスタッフ

ここで突然ですが、先ほどから度々出てきている「幕僚長」と「司令官」という役職に関して。実はこれ、似て非なるものです。

これは、組織論でお馴染みの「ラインとスタッフ」についてのお話しになります。

「ライン」とは、実際に命令し、それを実行する垂直(縦)の指揮命令系統です。

ライン

他方、「スタッフ」とは、ラインの垂直の指揮命令権者に対して、その(かたわ)ら、いわば横軸から、専門知識などで補佐・助言・勧告する組織です。

軍隊では、例えば1万人を擁する師団であれば、師団の指揮権を有する師団長(少将)から連隊長→大隊長→中隊長→小隊長へと命令が各級指揮官に垂直に伝えられます(ライン)。

ところが、師団長ひとりが全てをこなすには物理的に業務が膨大です。

そこで、師団長の傍らには、師団長を補佐する軍人が控えてこれを助けます。これがスタッフ(参謀・幕僚)です。

スタッフは、それぞれ専門知識別に分かれます。作戦幕僚、情報幕僚、兵站幕僚etc.。

この幕僚団を束ねるのが参謀長(幕僚長)です。

この師団長と幕僚たちで構成されるのが師団司令部です。ポイントはあくまで師団長に指揮権があって、幕僚には無いことです

事情は、古今東西、師団より上の部隊でも下の部隊でも同じです。

翻って、自衛隊のそれを見てみると、最高位は統合幕僚長です。つまりこれは形式的にはスタッフな訳です。

自衛官(制服組)のラインを見ていくと、その最高位は、陸なら各・方面総監や陸上総隊司令官、海なら自衛艦隊司令官や各・地方総監、空なら航空総隊司令官あたりになります。

では、自衛隊のラインの頂点は誰か?

これはもう言わずと知れた首相、内閣総理大臣です。

つまり、統合幕僚長は首相(及び防衛大臣)の幕僚(スタッフ)ということになります。

スタッフを考慮に入れなければ、海の作戦ならば、首相から自衛艦隊司令官に命令が出される訳です。

ところが文民の首相に純軍事作戦の指揮が取れるわけではないので、実質的には統幕長が執行する訳です。

それならば、現在のままでも問題ないではないか?という疑問が湧いてきます。

東日本大震災と統合任務部隊

何らかの統合作戦を実施する場合、状況に応じて、臨時の「統合(J)任務(T)部隊(F)」が編成されます。

東日本大震災では、陸海空自衛隊から10万人もの兵力が東北地方に集中されました。

これを統合運用するために、「災統合任務部隊―東北」(JTF-TH)が編成され、陸の東北方面総監が指揮官に任命され、10万人を指揮しました。

では、この時の政軍関係はどうだったかというと、自衛隊全体については当然、統幕長が実質上指揮する訳ですが、統幕長は首相・防衛大臣の幕僚なので、首相官邸での政軍調整に忙殺され、三軍への指揮に支障をきたしたと伝えられています。

その解決策として、全自衛隊の統合指揮に専任する常設の統合司令官・統合司令部創設の運びとなったようです。

究極の統合案?(軍令と軍政)

およそ指揮官は彼の指揮下にある部隊に対して一種の所有権を有するかのように思いなし、部隊の一部がたとえ短期間にもせよ引き抜かれるようなことがあると、必ずといってよいくらい反抗するという事実を挙げることができる

クラウゼヴィッツ『戦争論』(中)岩波書店、2000年、142頁。

では、そもそも三軍制それ自体の存在が問題はないのでしょうか。

「統合、統合言うならば、いっそ陸海空三軍の垣根を壊して、自衛隊をひとつの軍隊にしてしまえ。」という意見が出てきてもおかしくはありません。

つまり、軍種の三軍制(陸海空三軍)を廃止して、一つの軍隊(一軍制)の方が良いのではないかという極論です。

これを実際に行った国があります。カナダです。

カナダは、運営の効率化などを目的に、それまでの陸海空三軍を廃止して、1960年代後半から1970年代初頭に「カナダ統合軍」という単一の軍隊(一軍制)に移行しました。
ところが、これが思ったより上手くいかない。陸海空三軍独自の文化・訓練体系・作戦思想を破壊した為でしょうか。

2010年代に入って、カナダ統合軍の形は残しつつ、地上軍、海上軍、航空軍に再編します。

なんのことはない。実質的に従来の陸海空の三軍制に戻ったのです。

一般には、「一国の軍隊(正規軍)を陸海空軍に分けた」というイメージが強いでしょうが、実際は「元々、別々に発足した軍種(陸海軍)を、後々になって国家の軍隊としてまとめた」というイメージの方が実態に即しているかもしれません。由来も歴史も、別の組織と考えた方が良い。

そこで重要になってくるのが、軍政と軍令という概念です。

  • 「軍令」とは軍の垂直な指揮命令系統。ラインそのものです。
  • 「軍政」とは軍における訓練・予算・人事など、軍自体を支え維持する業務(軍隊内行政)です。

現在では、軍種の役割は軍政がメインになっており、軍令(ライン)は、統合軍化が進んでいます。

世界で最も統合軍が上手く機能しているであろう米軍がその典型です。

陸海空軍の軍種は維持されていますが、陸海空軍を横断した各・統合軍が常設される二重構造になっています。

各・統合軍は、地域(戦域)別あるいは機能別に分けられています。

  • 地域別統合軍:欧州軍、南方軍、北方軍、インド太平洋軍、中央軍
  • 機能別統合軍:輸送軍、戦略軍、特殊作戦軍、宇宙軍

指揮命令は、大統領の決断を受けて、統合参謀本部が常設の各統合軍司令官に命令を発します。

第二次世界大戦以前のように、陸軍長官や海軍長官が軍令面(ライン)に顔を出すことは無くなりました。現存する陸軍省・海軍省・空軍省の役割は、軍政面に絞られています。

面白いことに、統合が叫ばれ実践されている現在も、軍種はむしろ増えつつあります。米軍は、陸海空に加えて海兵隊も有する四軍制ですが、海兵隊を廃止するどころか、2019年に新たに「宇宙軍」を創設し(機能別統合軍のそれとは別)、五軍制となりました。

軍政面からみると、やはり、独自の文化・訓練体系を持つ各軍種が分かれている意味は大きいのでしょう。

近年では、軍令面を「フォースユーザー」、軍政面を「フォースプロバイダー」とする概念も導入されてきています。

統合司令部は屋上屋を架すのか?

命令を下達する段階が長ければ、従ってまた命令の迅速な伝達、迫力及び精確さはますます失われる

クラウゼヴィッツ『戦争論』(中)岩波書店、2000年、142頁。

しかし、統合運用の本家本元である米軍の場合、この全軍の「統合司令部」にあたるものは存在しません。

大統領から統合参謀本部を経て、各・統合軍(各地域の戦域統合軍と機能別統合軍に大別される)が指揮されています。

つまり、統合参謀本部(日本の統合幕僚監部のモデル)で事足りているように見受けられるのです。

例えば、統合幕僚監部の機能強化で乗り越えられるのではないか?

また、統合司令部を設けると、指揮結節が増えるだけではないかという不安もあります。

陸上自衛隊の場合、戦略レベルの指揮・統制の流れを見ると、

首相・防衛相→(統合幕僚監部)→陸上総隊司令部→各・方面総監部(×5)→各・師団・旅団(×15)

という形になっていますが、統合司令部を発足させると、

首相・防衛相→(統合幕僚監部)→統合司令部→陸上総隊司令部→各・方面総監部(×5)→各・師団・旅団(×15)

という指揮の流れが想定されます。14万人の兵力の指揮に、これは司令部が多過ぎではないか・・・

文字通り、屋上屋になりかねません。指揮系統が、逆に凡雑になり、混乱するのではないか?

パーキンソンの法則と軍隊

この点を、組織論の視点から見てみましょう。官僚組織の宿痾(しゅくあ)からの観点です。

英国の歴史学者・政治学者シリル・N・パーキンソンは、英国の官僚制(海軍省と植民地省)を研究し、官僚が増加し続ける法則を提唱しました。

例えば、英国植民地省の官吏の数は、管轄すべき植民地の数が減少(独立していく)しているにも関わらず、増加していきます。

この増殖は、軍隊も例外ではありません。

自衛隊の場合、常態となっている人員不足(定員と実員との乖離)は兎も角。司令部や部隊の数、駐屯地などによって、パーキンソンの法則がやや変則的な形で適用できるかもしれません。

中国との緊張関係で西方(南西諸島・九州)に、自衛隊の重点がシフトしてきています。

南西諸島では、次々に駐屯地が新設され、新部隊が創設されています。近々には、沖縄の第15旅団は、師団に格上げです。

ところが、西方以外の駐屯地は廃止されることなく、維持されるままです。

戦略級の部隊(師団・旅団)も、万年定員割れですが、第15旅団が師団に昇格しても、別の師団・旅団が格下げないしは廃止の予定はありません。

部隊が廃止されずに新設部隊だけが増えると、当然、ポストは増えるのですが、部隊自体は、定員割れが深刻になったり、形だけの師団・旅団になってしまいます。逆にポストだけは増加していく訳です。

先述した通り、統合司令部が設置されて、司令部の数だけが純増するのは、この現象の一端ということになります。

指揮結節の増加=ポストの増加です

統合司令部の設置は、自衛隊全体のグランドデザインを文字通り「身を切る」形でおこなわなければ、やはり屋上屋を架すだけで終わってしまうかもしれません。

「自衛隊統合司令部」反対の裏技

また、全く別方向で「自衛隊統合司令部」に反対したいならば、「令和の大本営」などよりも、もっと説得力がある議論があります。傍論ですが、ちょっと触れておきましょう。

ラインとスタッフの項で見たように、ラインの形式上、首相の下の指揮官は複数名(各・総監、各・司令官)がいるのが現状です。

首相→(各)司令官・総監

ところが統合司令官が置かれると、制服組で、単一のライン上の指揮官が誕生する訳です。

首相→統合司令官→(各)司令官・総監

制服組の統合司令官が一手に三軍の指揮権を掌握するのは、それこそ戦前の大本営の弊害に苦しんだ軍人たちが、夢みた光景です。

ところが、軍隊というか権力機構というのは、常に両刃の刃です。

とにかく最も重要なのは、軍や準軍事的な組織、そしてその他の安全保障組織を完全に分離することにより、強制力を独占させないということだ。

ルトワック『ルトワックの“クーデター入門”』芙蓉書房出版社、2018年、3頁。

ルトワックは、クーデターが頻発した韓国軍を例にとっています。

陸海空軍それぞれで別個に存在していた防諜部隊を、効率化・合理化の為に1977年に「国軍保安司令部」に統合しましたが、その司令官の全斗煥(ちょんどふぁん)は1979年にクーデターを起こし、政権を掌握します。

もし、三軍情報部隊が統合されていなかったら、これは起きなかったという見解をルトワックは述べています※1

指揮統制の効率化・合理化の観点から見れば、統合司令部の存在は有益ですが、政治的な観点からは、非効率を承知の上でも、分立状態の方が良い場合もあるということです。

ライン上の司令部を枝分かれさせ、その最も上層部の戦略級で、唯一の司令部を設置しない。これは政治の一種の防衛本能でしょう。

つまり、カウンターシステムとして、ひとつのユニットの叛乱に対しても、別のユニットが対抗できる余地を残しておくことです。相互牽制にもなります。

ただ、自衛隊のような西側の、自由民主主義体制の国家の軍隊で、クーデターというものを過剰に不安視するのは、如何なものかという考えもあるでしょう。

統合司令官の指揮命令に従う各級指揮官が、その命令に正統性・合法性が無いと判断したら、その時点で、ラインは崩壊します。その指揮命令の根拠自体が法令に拠るのですから。

更には、軍隊(自衛隊)も官僚組織なので、派閥・セクショナリズムには事欠きません。陸海空三軍が一枚岩などという事はありませんし、各軍種内でも、そんなことはありません。

統合司令官を設置しただけで、自衛隊が単純にひとつの意志に結集するというのは、幻想であり、一種の願望です。

自衛隊といえども「多頭一身の怪物」なのです。

その様な実態を考えると、統合司令官の叛乱というのは、実質的に不可能ではないでしょうか?

※1. ルトワック『ルトワックの“クーデター入門”』芙蓉書房出版社、2018年、5頁。

【参考文献】

藤井非三四『なぜ日本陸海軍は共同して戦えなかったのか』光人社、2010年。

森松俊夫『大本営』吉川弘文館、2013年。

J・ニコラス他『統合軍参謀マニュアル』白桃書房、1987年。

志鳥學修「統合運用の意義」『国際安全保障』34巻4号、2007年3月。

野木恵一「米国の戦略軍事指揮機構」『軍事研究』1994年10月号。

藤井久「大本営における陸海軍統合運用の試み」『軍事研究』2006年6月号。