【前編はこちら】
→機動警察パトレイバー旧OVA「二課の一番長い日」解説・考察【前編】~自衛隊クーデターのリアリティ(押井守)
米国という最大の「障害」
在日米軍の存在は、日本でクーデターを企図する場合、最大の妨害要素であり、そのハードルは高く、成功の確率を限りなく零にしてしまいます。
ルトワックはクーデターの前提条件の一つとして、
クーデターの標的となる国は充分に独立した国家でなければならず、その国内政治における外国の影響は比較的小さくなければならない
ルトワック『“ルトワック”のクーデター入門』芙蓉書房出版、2018年、69頁。
を挙げています。
翻って、日本にとっての米国の存在は、ほとんど絶対的で、「政治的独立」など、絵にかいた餅です。
本作にもオマージュが見られるクーデター映画「皇帝のいない八月」では、決起将校の背後には在日米軍の情報機関の影があり、それを察知した政府側はワシントンと連絡を取り合う場面があります。日本でのクーデターには、実質的に宗主国たる米国の「承認(黙認)」が必要になってしまうのが現実でしょう。
(余談ですが、本作のパトカー銃撃は「皇帝にいない8月」冒頭のパトカー銃撃のオマージュでしょう)
この絶対的なハードルをクリアにしてしまうのが、核兵器です。
叛乱軍は米国の黙認どころか、横田基地から米軍の核弾頭を強奪してしまっており、完全に米国に敵対しています。
核武装した決起軍に、米軍は簡単には手出しできません。
ここから見えるのは、叛乱軍指導部の思想(甲斐の真意は別にしても)が、いわゆる親米右派ではなく自主独立志向の民族派であるという推測です。
米国の支持なしで、核武装によって、軍事革命政権を樹立するのですから、その後の国際関係は一変するでしょ。
米国の対日姿勢は良くて中立、おそらく経済制裁対象かもしれません。
逆に、ソ連(パトレイバーの世界線では存続しているらしい)など東側との関係が深くなるかもしれません。
最後通牒の謎
ところで、甲斐は、「政府」に対して、核攻撃の脅迫を持って、最後通牒を突きつけます。
その内容は、
- 国会の解散
- 政党の禁止
- 憲法の無期限停止
だと言います。なるほど、民主国家から軍事独裁政権ですね。
うん?ちょっと待ってください。
この時点で、官庁街は制圧され、政府要人(閣僚)は拘束軟禁下にあります(劇中の報道番組や海宝の発言から)。つまり日本政府は甲斐の手中にある訳です。
そうすると、叛乱軍、甲斐が要求するこれらの事項は、一体誰に対してのものなのでしょうか?
自ら拘束している政府中枢に対して要求してもそれは意味をなさない。
これが、中枢の占拠が無い状態ならば理解できます。
クーデターに類似した、「プロヌンシアミエント(宣言)」に近いでしょう。
これはスペインや南米に見られる、軍部による政府への退陣要求(脅迫・恫喝)です※1。
しかし、日本政府はもう無いのだから、これは違う。
まさか、警察や防衛庁に対してじゃないでしょう。
そうすると、この「政府」の答えはひとつしかありません。
米国政府です。
実質上の宗主国たる米国に対して、日本での統治権を寄越せ(承認しろ)と言っているとしか考えられません。
米国は、核兵器の一件がある為、表立っての軍事介入が出来ない以上、渡りに船と、後藤ら第二小隊に協力します。
幻想の自衛隊クーデター
色々と見てきましたが、自衛隊のクーデターというのは、極めて難しいものです。
そもそもクーデターというのは、先進国には極めて「異質」のものでしょう。
本記事で参考にしているルトワックにしろ、かの書の狙いを、クーデター・ハンドブック
ではなく、
私の本当の狙いは、完全に異なるものであり、上品な言葉で「発展途上国」と呼ばれる後進国における、政治の究極の意味を探ることにあったのだ。
ルトワック、10頁。
逆に言うと、先進国においての、政治は、全く別の形を見せる訳です。
それはつまり前編で引用したように、先進国の「権力」は、後進国と違って、多極的・分散的・複合的ということです。
それは国民(市民社会)が「政治参加」(政治への参加)を果たしているということを意味している結果だと言います。
この「政治への参加」であるが、ここでは「国政に積極的に関わる」という意味ではなく、単に「経済的に発達した社会の大衆に共通して見られる、政治の基本が一般的に理解されているような状態」ということに過ぎない。
ルトワック、61頁。
ここから、クーデターのひとつの前提条件が示される
「クーデターの対象となる国は、社会・経済の条件が低く、国民のごく一部しか政治への参加を認められていない国であるべきだ。」
ルトワック、60-61頁。
日本はこの条件を「クリア」できるでしょうか。
まず無理でしょう。結局、先進国ではクーデターは不可能、絶無とは言いませんが、極めて困難なのでしょう。
逆にクリアしてしまっている国々として、近隣でいえばミャンマーや、一昔前の韓国などを想起できます。
「自衛隊のクーデター」というのは、ひとつの破局点というか、戦後日本にとっての最悪の悪夢として、フィクションのテーマとなり、革新勢力にとっての脅威となってきましたが、要するにこれは一つの巨大な幻想だったわけです。
旧軍のイメージをそのまま自衛隊に投影し、軍閥的な、ナショナリスティックな、権威主義的な軍隊像・軍人像を生み出し、それが自衛隊の本性・エートスであると思い込みました。その極点にクーデターを見ています。
(クーデターが続発した80年代までの韓国軍と昭和自衛隊を相似形で見ているように見受けられます)
しかし実際は、戦後日本は、戦後民主主義と経済成長により、高度な「政治参加」を実現しました。
自衛隊もその落とし子であり、決して無縁な存在ではないのです。
この幻想は、平成になって自衛隊のイメージが劇的な転換を迎えるまで続きます。
★関連記事 《フィクションにおける「自衛隊」イメージの変遷(全三回)》
この昭和自衛隊の幻想を、おそらく押井守は、十分に承知した上で、「自衛隊のクーデター」というフィクションとしては魅惑的な舞台装置を、旧OVAのフィナーレに持ってきたのでしょう。
後年、再び「自衛隊のクーデター」を扱った作品、劇場版「機動警察パトレイバー2 the Movie」で、後藤にこんなセリフを吐かせています。
「そりゃまあ、不平や不満はあるでしょうけど、今この国で叛乱を起こさなきゃならんような理由が、例え一部であれ自衛隊の中にあると思いますか?」
これほど、クーデターの幻想を打ち壊す台詞もありますまい。
パトレイバー2は、本作のように、「自衛隊のクーデター」という物語的な意味での娯楽性よりも、幻想を打ち捨てて、より政治哲学的な思想を展開させようと企図されたように見受けられます。
よく「「二課の一番長い日」は、パトレイバー2の習作」と言われますが、それはこの意味では正しいでしょう。
幻想の自衛隊ではなく、リアルな自衛隊によって。
いわば「クーデターの否定としてのパトレイバー2」です。
クーデターはデウスエクスマキナか?
もしかすると、一部の右派の論者には、「クーデター」というものが、全てを解決するデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)と考えている向きがあるかもしれません。
国内に渦巻く様々な政治問題・社会問題を一瞬にして、一夜で解決してしまうという甘い誘惑。
頼りがいのある、立派な軍部ならば、それが出来るだろうという期待。
この「全てを一挙に解決する方法」というのは確かに魅惑的ですが、そんなものはありません。
軍事力や軍隊というのは、政治の一側面を担っているに過ぎないのであって、魔法の杖でも万能の超人でもありません。
政治社会は、複雑かつ多面的なのであり、一挙に解決できるものではなく、徐々に、漸次、一歩一歩改善していくしかないのです。試行錯誤の道しかない。
軍隊にそれを期待してしまうのは、一種の政治的メシア主義、英雄待望論です。即ち「政治参加」の放擲に等しい。
政治は物理的強制を最後的な保証としているが、物理的強制はいわば政治の切札で、切札を度々出すようになってはその政治はもうおしまいである。
丸山真男『政治の世界』岩波書店、2014年、54頁。
軍隊を英雄や超人と見るような政治的ロマン主義は警戒すべきものです。
とりあえず『銀英伝』2巻を読んで、救国軍事会議の顛末と、ヤン・ウェンリーやビュコック提督の言葉に耳を傾けてみよう。
甲斐 冽輝とは何者か
本作で叛乱の首謀者・思想的指導者とされる甲斐 冽輝とは何者でしょうか。
自衛官?には違和感があります。決起当日のニュースで「反乱の思想的指導者」として写真が出る程には、その界隈では有名人ということなのでしょう。
一番イメージが近いのが海原雄山なんですが
元自衛官の作家・思想家といったところでしょうか。
ひとつ、はっきりしているのが、後藤との関係です。学生時代に交友があり、甲斐曰く、後藤は「最高の生徒」だった。
いわば、2人は友人であり、師弟であり、同志だった。
「二人から始めて、ここまで準備するのに20年。生きてりゃあ、もう一回位やれるさ」
この甲斐の言う「二人」というのは、勿論、甲斐と後藤でしょう。
ですが、後藤は袂を分かち、警察官になります。
松井刑事が喝破します
「後藤さん、あんたもしかして、今でも、あの甲斐って男の同志なんじゃないのか?」
後藤はこれに答えません。その沈黙は雄弁に語っています。
そう、後藤は、甲斐と、ある意味でまだ同志なのです。
それはあくまで思想上の目的のことです。
手段・行動において、やり方において、彼らは袂を分かった。
もし、押井守の描く後藤喜一が、彼の代弁者だと仮定したならば、それは日本の「戦後」という状況を終わらせること。
甲斐は躊躇なく核ミサイルの発射ボタンを押します。これには、核が脅迫手段に過ぎないと思っていた部下が必死で止めます。まさか撃つとは。
甲斐にとっては目的は、最後通牒の受け入れでも、核攻撃でも実現される。それは、どちらに転んでも、「戦後」を清算するということになります。
「二課のいちばん長い日」は、押井守にとっての「戦後論」の習作でもあります。
そしてそれが本格的に展開されるのが、劇場版「機動警察パトレイバー2 the Movie」であり、甲斐に代わって登場するのが柘植行人という男です。
【了】
ここからの詳しい議論は、下記の記事に譲りますので、ご興味があれば。
→「機動警察パトレイバー2 the Movie」の政治哲学的考察(全三回)
【脚注】
※1.ルトワック『“ルトワック”のクーデター入門』芙蓉書房出版、2018年、39-39頁。
【参考文献】
ルトワック『“ルトワック”のクーデター入門』芙蓉書房出版、2018年。