映画「五月の七日間」~米軍のクーデターを描いたポリティカル・サスペンス(感想・考察)

1964年制作(米)、ジョン・フランケンハイマー監督

あらすじ

米ソ間で核廃棄条約が合意され、それに対して、国論が分裂する米国。

国防総省の統合参謀本部に勤務するマーティン・ケイシ―大佐(演:カーク・ダグラス)は、五月のある月曜日、将官間で奇妙な「競馬の賭け」にまつわる通信が行われている事に違和感を持つ。それと前後して、未確認の部隊の存在や、右派連邦議員の思わせぶりな発言から、違和感は、いよいよ疑惑に変わる。

それは、彼の上官であり、条約反対派の統合参謀本部議長ジェームズ・M・スコット空軍大将(演:バート・ランカスター)が、次の日曜日の大規模演習を利用して、軍事クーデターを画策しているというものだった!

決起まで残された時間は僅か一週間。ケイシーは密かに、この事態を大統領(演:フレデリック・マーチ)に報告したことで、米国民主制の運命を賭けた7日間の攻防が始まる。

※以下、ややネタバレあり

もしもアメリカでクーデターが起こったら?

大統領と軍部が対立し、軍部(統合参謀本部)がクーデターを計画するという悪夢のシナリオを描いたポリティカル・サスペンスです。

米ソ両政府が核兵器を全廃することに合意したことに、国内右派や軍部制服組は激しく反発します。

「ホッブズ的恐怖の部屋」という言葉があります。部屋の中で武器を持った二人が対峙している時、両者が同時に武器を捨てようと合意したとしても、

  • 「果たして相手は本当に同時に捨てるだろうか?」
  • 「こっちが合図で捨てても、相手がその時捨てなかったら、私は無防備になる」
  • 「そもそも、服の中には他に武器があるのではないか?」etc.

と、猜疑心は止むことを知りません。このジレンマ故にお互い、武器を捨てることが出来ない。

この論理は、政治にとって宿痾のようなものであり、軍人達には当然のことです。

しかし、それを大統領がやろうとしている。それはアメリカを滅ぼす道だ。

そこで、起死回生、全てをひっくり返すクーデターを企図する訳です。

Pentagon

アメリカ政治のダイナミズムは?

魅力的なテーマの映画ですが、本作最大の欠点は、政治あるいは権力機構の「ダイナミズム」があまり感じられない点ではないでしょうか。

舞台が超大国アメリカの政治権力であるなら尚更です。

本作では、クーデターを察知したホワイトハウスも、その調査に極めて属人的な少人数で対処します(旧友の連邦議員や大統領補佐官など)。

そして彼らが直接行動し、ある者は基地潜入に失敗し監禁され、ある者は事故死させられます。

権力のダイナミックが欠けてしまうのはここです。

ここで、高官らが自ら行動する奇異。権力機構を想定すれば、CIAなりFBIなり、シークレットサービスなり、様々な政府機関(情報機関、治安機関、アクションサービス)があって、それを手足として使うべきでしょう。国家のダイナミズムとは、まさにこの巨大な権力機構・官僚機構にある訳ですから。

高官ら自らが動くのはナンセンスです。

クーデター側の描写もそうです。

米軍と一口に言っても、そこには4つの軍隊(陸海空三軍及び海兵隊)がある訳で、決して一枚岩ではない。

予算や権限、政治的発言力を巡る長年の「軍対軍」という軍種間対立があるのです。

核全廃条約であるならば、軍部が一枚岩になるかもしれませんが、例えば、核戦力に関しては海空両軍よりも比率の小さい陸軍・海兵隊が簡単にクーデターに同調するか?

ペンタゴン内部の権力闘争をもっと描ければ…。

このような点から、本作は、「米軍のクーデター」というテーマのスケールに比して、その攻防劇はダイナミックさに欠けるものになってしまいました。

余談ですが、統合参謀本部議長がとにかく若すぎます。演じたバート・ランカスターは50歳位の筈ですが、実際は、更に若く見えますので違和感が。統合参謀本部議長は制服組の最高位ですから、大統領と同じ位の老齢な人物でしょう。

(コリン・パウエル陸軍大将のように牛蒡(ごぼう)抜きで、52歳で統合参謀本部議長に就任した例はありますが)

憲法か正統性か

スコット大将は、軍人として、国家を守る責任があり、その国家の存続を危うくする大統領を排除(クーデター)することは、「非合法だが正当」であると考えているのでしょう。

政治学において、正統性と合法性は、必ずしも一致するものではなく、時に激しく対立する概念でもあります。

また、辛い見方をすれば、スコットは統合参謀本部議長とはいえ空軍大将ですから、空軍の利益を考えているのかもしれません。米国の核戦力は、大陸間弾道弾(ICBM)、潜水艦発射型弾道弾(SLBM)、戦略爆撃機の三本柱(トライアド)です。うち、SLBMは海軍、ICBMと戦略爆撃機は空軍の所管です。

条約が成立すれば、空軍は「大負け」する訳です。前述の軍種間対立を考えると、空軍としては何としても阻止したい。そんな皮算用があるのかもしれません。

他方、ケイシー大佐は、個人的には条約に反対ですが、軍人は軍事に徹するべきで、政治に介入すべきではないという、プロフェッショナリズムを貫きます。

ここでいう軍事的プロフェッショナリズムとは

すべてのあるいはほとんどすべての将校に共通した、そしてすべてのあるいはほとんどの文民からこの将校を区別するような特有な軍人としての能力の分野というものが、 存在するのである。そのもっとも重要な技能は「暴力の管理」 (The management of violence)というハロルド・ラスウエルの言葉におそらくもっともよく要約されている。軍事力の機能は、武力を使った戦いを成功させることにある。

サミュエル・ハンチントン『軍人と国家』(上)原書房、2008年、13頁。

これは、逆に言えば、「政治の管理」(統治)については、厳格に軍人はそこから排除されていることも意味します。

政治家は政治を為し、軍人は軍事に徹すると言う、いわゆるシヴィリアン・コントロールです。

これをそのまま否定するのがクーデターですから、軍部全体が一致団結するとは、到底思えません。ケイシー大佐が特殊な訳ではない。実際、空軍将官のひとりは、部隊の異常な行動を、直接、大統領に報告している場面がありました。

アメリカ軍事革命は有り得るか?

米国でクーデターが起きるか?というのはなかなか難しい問題ですが、おそらく一般論として、先進民主国では、ゼロではないですが、極めて難しいと考えられます。

現代の行政国家は、いわば、巨大な「機械(マシーン)」です。クーデター研究のロングセラー、エドワード・ルトワック『クーデター入門』を引いてみますと、その機械(国家機構)のレバー(中枢・権力核)を奪うのが目的であり、

まさにこの「国家が機械として機能するのか」という点から、奪ったレバーの価値が決まるのだ。なかにはこの「機械」がまこと精巧にできていて、その命令の妥当性を判断してから実行するような国もある。ほとんどの先進国がまさにこのような例に当てはまるため、そこではクーデターの実行は非常に難しくなる。

ルトワック『ルトワックの“クーデター入門”』芙蓉書房出版、2018年、35頁。

仮に、クーデターが成功したら、クーデター政権は、成立するでしょうか。

つまり、武装蜂起し、首都ワシントンを占領し、大統領を幽閉すれば、権力は転がり込むのか?

これは、決起それ自体よりも難題だと言えるのです。

少数のエリートが運営する中央集権国家の権力は、厳重に守られた宝物のようなものである。一方、発達した民主国における権力は、自由に漂う大気のようなものであり、それをつかみ取れるものは誰もいない

同上書、62頁。

複雑化した現代国家、米国のような大国は、大統領一人に(公式・非公式共に)権力が一手に集中している訳ではありません。

連邦議会、各種圧力団体・利益団体、政治組織、学界etc.

それだけではありません。アメリカは合衆(州)国、つまり連邦制です。

各州はそれぞれ国家です(日本の都道府県と州は同格ではありません、それは州の中の「郡」です)。

50州が非合法なクーデター政権に従うのでしょうか?

また、「抵抗権」の問題も出て来るでしょう。

米国建国の思想的論拠としては、ジョン・ロックが挙げられます。

「17世紀に身を置きながら、18世紀を支配した思想家」(丸山真男)とさえ評されますが、18世紀とは米国独立革命(独立戦争)をまさに指します。

ロックは、政府(政治権力)は、人民からの「信託」であり、これを裏切る時は、その「暴政」に対して、人民が武器を持って抵抗する権利を(慎重ながら)認めています。

アメリカの銃器所持問題は、この抵抗権を市民に保障している面があるのですが、それはともかく、クーデターに対して、抵抗権を発動される可能性もあります。それが自発的な市民集団なのか、州単位(州兵)なのか、軍内部の部隊単位なのか、それともそれ全てか・・・。

リメイク版「アメリカが沈むとき」

本作は、1994年に『アメリカが沈むとき』というタイトルで、リメイクされました。

しかしながら、やはりここでも権力政治のダイナミズムは失われており、主人公のケイシー大佐(演:フォレスト・ウィテカー)のアクション映画的な面が強調される作品になりました。

幸いなことに、クーデターの首謀者である統合参謀本部議長は老齢な軍人(演:ジェーソン・ロバーズ)になりましたが、今度は大統領(演:サム・ウォータースン)が若すぎる(笑)

現実は映画の斜め上を行く

さて、ホワイトハウスとペンタゴンの対立という、本作の政治情勢そのままの事態が21世紀、トランプ政権で現実のものとなります。

ドナルド・トランプ大統領の無知・無軌道な外交・軍事政策にペンタゴンの諸将は頭を抱えることになります。

特に、政権末期になると、トランプの暴走が、「最悪の事態」を招きかねないとして、統合参謀本部は、予想される、大統領選挙結果に対するクーデター紛いの出動命令や大統領の「異常な」核攻撃命令を阻止する動きを見せたのは、国際ニュースでも話題に上っています。

その方法が、統合参謀本部諸将の全員辞任という「叛乱」であることがプロフェッショナリズムを象徴しています。

このような、「大統領の暴走」を抑えるという姿は、本作の全く逆の展開であり、ステレオタイプな、好戦的な軍人(将官)と理性的な文民(政治家)というのが、一種の虚像・神話であることの証左と言えるかもしれません。

同じような前例は、ニクソン大統領が、ウォーターゲートで追い詰められたときに、議会に「核の使用」をちらつかせる発言がり、当時の国防長官は、「大統領からの異常な指示には従ってはならない」と軍部に特別警告を発したそうです※1

「TSUTAYA発掘良品」で復活

ところで、本作は長年、視聴困難でした。ソフト化はされていましたが、中古市場で高額取引されており、おいそれと購入できない。

そんな中、「TSUTAYA発掘良品」で、本作がリリースされ、手ごろに視聴することができました。

このレーベルは、いまやタイトルだけで入手困難な映画作品を「発掘」し、リリースしてくれるという、まさに痒い所に手が届く企画です。

映画好きは、要チェックです。

TSUTAYA発掘良品公式ホームページ

【参考文献】

エドワード・ルトワック『ルトワックの“クーデター入門”』芙蓉書房出版、2018年。

【脚注】

※1. 藤井治夫『アメリカ軍事力の徹底研究』光人社、1986年、15頁