「政治」をテーマにしたアニメ作品3選(銀英伝、ガサラキ、パトレイバー2)

今回、「政治」がテーマのアニメを取り上げようとしたのですが、意外と挙げることができませんでした。

作品のリアリティを出す為(演出)とか、サブテーマとしてなら幾らでもあるのですが、「政治」そのものがメインテーマになってくるアニメーション作品というのは、意外と少ないようです(単に私が浅学なだけかもしれませんが)。

従いまして、今回は以下の3作品のご紹介です。

ちなみに、「ミリタリー」ものは、「政治」とは切っても切れない関係にはありますが、やはりそこにはボーダーラインが存在し、今回は除外しました。

クラウゼヴィッツの言葉通り「戦争とは政治の手段」であり、そこには主従がありますから。

銀河英雄伝説

西暦を遥かに超えた未来。

銀河全域に進出した人類は、民主主義の失敗を経て、人類統一政体における初の専制独裁国家「ローエングラム朝・銀河帝国」の専制統治下にあった。

しかし、これに抗す共和主義者らにより「自由惑星同盟」が成立するに及び、両陣営は激しく争っていた。

そして、150年の膠着状態を経て、帝国にラインハルト・フォン・ローエングラム、同盟にヤン・ウェンリーという不世出の天才が現れたことにより、歴史は大きく動くことになる。

はい、みんな大好き銀英伝。

あまりに有名過ぎて、いまさら細かく話すことも無さそうですが、日本スペースオペラの傑作・ロングセラーの同名小説のアニメーション版です。原作者は未完の副帝田中芳樹(未完の正帝は勿論佐藤大輔)。

歴史(特に中国史)に精通している田中芳樹らしく、壮大な会戦(万単位の艦艇が激突する宇宙艦隊戦)や権謀術数のオンパレード(マキャベリズムの化身のようなオーベルシュタイン!)となっており、アニメ版も、クラシック音楽で彩られた歴史絵巻に仕上がっています。

(なにせ、本編全110話+外伝が全52話!)

「ジーク・カイザー・ラインハルト!ジーク・ライヒ!」

本作の主題のひとつは、

「私は最悪の民主政治でも最良の専制政治に優ると思っている。」

というヤン・ウェンリーの言葉(思想)にあります。特にラインハルトがゴールデンバウム朝を倒し、自ら戴冠した後は、このテーマ(葛藤)が前面に押し出されます。

ラインハルトの統治が善政であればあるほど、自由惑星同盟の腐敗が進めば進むほど、このジレンマは大きく映りますし、ヤンの苦悩は大きくなります。

視聴者も新銀河帝国に魅了されてしまうのではないでしょうか?

政治学には「ミランダ」という概念がありますが、これは支配の服従を調達する為(権威化)、被治者の理性ではなく情念・感傷に訴えるもの(国旗、儀式など)です。王朝というのは、最大の権威化の装置です。

対して、「クレデンダ」という政治概念もあり、これは人間の理性に訴える合理的な方法です(政治理論など)。民主共和制を成立せしめるのは、こちらでしょう。

ヤン・ウェンリーが、なんとか存続させようとするデモクラシーは、理性に頼る故に、脆く、儚いものでもあります。

人は「ジーク・カイザー・ラインハルト!ジーク・ライヒ!」を叫び、喝采する方が、遥かに気持ちよく、楽なのです。

歴史の逆流?

この関連で思い出すのが、米国の政治学者フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」論です。

フクヤマは、ヘーゲルの歴史哲学に依拠しつつ、「歴史」は「自由」の達成過程だと考えました。

最初の段階では、一人の王だけが自由で、あとは奴隷。という状態から、イエス・キリストの登場で「神の前の平等」という理念が現れ、三大市民革命を経て、「自由」が実現(拡大)していき、成員全員の自由「リベラル・デモクラシー」(自由民主義体制)が成立します。

この体制こそが、人類史における最終的・最善の統治形態・政治体制であり、歴史の終わり(ゴール)である、と。

フクヤマは銀英伝の歴史(銀河連邦⇒銀河帝国)のような「歴史の逆流」に関しても

SFのなかで人類の未来像とされている未開社会は、多くの場合、社会がまだ未発展だった時代の単なる再現ではなく、王侯貴族が宇宙船に乗って太陽系を旅するといった具合に、大昔の社会形態と近代テクノロジーが奇妙に入り混じっている。

フランシス・フクヤマ『歴史の終わり(上)』三笠書房、1992年、150頁

まさに銀英伝ですが、

このような「混在」状況はそうは長くは続かないだろう。というのも、科学的研究法を破壊したり拒んだりしないかぎり、最終的には近代自然科学は復活し、多くの面で今日の近代的で合理的な世界がよみがえってくるはずだからである。

同上書、150-151頁。

と、「歴史の逆流」に否定的です。

フクヤマの理論は90年代初頭の、アメリカが冷戦に勝利した時代のものですから、そこは割り引かなければならないのですが、確かに、一度、「デモクラシー」「人権」や「合理性」といった概念の「味」を覚えた人類が、いくら諸問題・病根を抱えているとはいえ、民主共和制そのものを放擲して、専制君主制まで「後退」するのかという疑問はあります。

チャーチルの「民主政は最悪の政治制度である、但し、過去人類が経験したあらゆる政治体制を除いて、最悪の政治体制である」という言葉の通り、どんなに嫌気が差しても、民主共和制の形式(・・)()()、辛うじて踏みとどまる気がします。

とはいえ、90年代の「アメリカの勝利」が過ぎると、21世紀には、「歴史の後退」の予兆のようなものも見えます(トランプ現象や中国の台頭)ので楽観視できません。

これは、日本にもみられる点で、特に「政治的メシア主義」として表れていると考えられます。

詳細は別記事(日本の政治家の問題、それ本当に問題?~政治的メシア主義を考える)に譲りますが、「政治的メシア」を制度外の特例あるいは制度を超越する解決手段にしてしまうと、その国の政治制度、いや政治文化は、内側から腐り始めます。

「政治の腐敗とは 政治家が賄賂を取ることじゃない それは政治家個人の腐敗であるにすぎない 政治家が賄賂を取っても  それを批判できない状態を政治の腐敗と言うんだ」

(ヤン・ウェンリー)

ちなみに田中芳樹の長編小説『創竜伝』では、彼の歯に衣着せぬ、政治的皮肉は、現代日本に向けられ、全開になっておりますので、よろしければ。

ガサラキ

日本屈指の財閥豪和一族の四男豪和ユウシロウは、自衛官となり豪和が開発した二足歩行型兵器(TA=タクティカルアーマー)のテストパイロットになる。

しかし、そのTAのテクノロジーには豪和一族が古代から隠してきた「骨嵬(くがい)」という存在が関わっていることを知る。

やがて、国際秘密結社やアメリカ、そして密かにクーデターを企む自衛隊一部勢力などの思惑・陰謀にユウシロウは巻き込まれていく。

ロボットアニメの・・・筈です。

伝奇×ロボット×ミリタリーというテイストの作品ですが、中盤以降、主人公(の筈)のユシロウの影が薄くなり、急速に政治色の強いポリティカルサスペンスの様相を呈していきます。

後半では、「日米関係」が一つの大きな主題になる異色のアニメです。

1999年の作品ということもあり、「日米対等論」のような趣があり、往年の石原慎太郎的な気風も感じなくもない。

詳しくは、こちらの記事をどうぞ

機動警察パトレイバー2the Movie

陸上自衛隊PKO派遣レイバー部隊、現地反政府軍の攻撃により全滅。

それから、3年後、何者かの策謀による横浜ベイブリッジ爆撃事件発生。それを機に続発する不穏な事件によって国内情勢は緊迫の度を増していく。

そして遂に、東京に自衛隊の治安出動が命令される。

果たして、行きつく先は内戦なのか?

はい、みんな大好きパト2です。

みんな大好きですが、ここまで誤解されているアニメも少ない気がします。

右派の人達が言うような、「だから平和憲法が駄目なんだ!普通の国にならなくちゃ(使命感)」も

左派の人達が言うような、「戦争賛美のアニメだ」とか「自衛隊は危険だ」とかそういう見方も・・・

いずれも的外れか表層的な理解に留まるものです。

この作品は徹頭徹尾、「戦後論」あるいは「日本論」として、また、政治哲学(個人の信念の意ではなく学問としての)における「戦争と平和」を表現しています。

監督の押井守自身が、「劇映画というよりは論文みたいな映画」と自ら語っていますが※1、本作は、観る側に相応の知的読解力を求める作品となっています。

形而下の法や制度・政治情勢としての憲法9条や自衛隊問題は、あくまで舞台装置でしかなく、本作の主眼は形而上的・思想的な次元で、「戦後」とは何か?「戦争」「平和」とは何か?という問題を俎上に載せていることにあります。

この思想性が他の類似作の追随を許さない、一線を画している本当の理由ではないでしょうか。

この辺の事情・考察は既に散々やってきたので、以下の記事をどうぞ

アニメで政治学は可能か

如何だったでしょうか。以上3作品の「政治テーマ」をあえて政治学の専門分野に紐付けてみると

  • 銀河英雄伝説⇒政治史、政治体制論
  • ガサラキ⇒国際関係論(日米関係論)
  • パトレイバー2⇒政治哲学、政軍関係論

といったところでしょうか。

学問はある意味、方法論であって、対象は限定されません。故に、アニメ作品であっても立派な研究対象、表現方法になりえます。

【脚注】

※1、DVD「機動警察パトレイバー2 the Movie」(エモーション)のブックレットより。