「ガサラキ」というテレビアニメをご存じでしょうか?
1998年から1999年にかけて地上波で放送された全25話のテレビシリーズです。監督は「装甲騎兵ボトムズ」の高橋良輔。
あらすじ
財界の黒幕である豪和一族は、古来から、密かに「鬼」とも言える「骨嵬(くがい)」の使い手として歴史の闇で暗躍してきた。
そして、現代に至り、それを応用した軍事技術として二足歩行型兵器(TA=タクティカルアーマー)の開発を推進する。
しかし、この動きに謎の世界的秘密結社「シンボル」も介入。
様々な思惑が交錯し、国際政治が激動する中、豪和家の四男でTAのパイロット豪和ユウシロウは、謎の少女ミハルと出会う。
異色!異例!
上記のあらすじだけ見ると、典型的なリアルロボットアニメの設定なのですが、実際の作品は、かなり異色、異例の作風になっています。
まず、伝奇モノとして、「鬼」ともいうべき骨嵬が登場し、それを巡る、日本史の闇のような展開が本筋の背景をなしています。「能」が重要な鍵となるなど。
また、ミリタリー色も濃く、後半は一気にポリティカルフィクションの色を強めていきます。
はっきり言って、よくこれを日曜日の朝9時という時間帯に毎週放送していたな・・・、と。
ある意味、新世紀エヴァンゲリオンが夕方18時台に放送していた事実に匹敵する衝撃です。
※以下ネタバレあり
後半から主人公交代?
この作品最大の問題は、「主人公は誰か?」ではないでしょうか(笑)
多分10人中5人は、「西田」と答えるんじゃないでしょうか?
中盤からその存在感を増し、後半には完全に物語を主導していく。
この西田啓(にしだ・ひらく)という和装の老人。国学者。
両目を失明しています。そして、そこには刀傷が・・・。
そう、刀傷によって失明しているのです。それも、自らの愛用の日本刀で・・・。
その理由は、この醜く堕落していく日本を見るに堪えずという・・・。
しかし、光を失ったことで、より本質や日本の姿を見ることが出来るようになってしまった、という。
凄い人物ですが、その名前の由来自体が、226事件で北一輝と共に刑死した国家改造論者の西田税(みつぎ)が由来だそうで・・・さもありなん。
さて、西田は、そんな日本を、「美」を取り戻そうと、広川中佐ら自衛隊の青年将校と結んで(というか広川らは西田と師弟関係)、クーデターと対米戦争(第二次太平洋戦争)を図ります。
西田の魅力
おそらく、この西田の魅力は、単なる「右翼」で片づけられないところにあります。
常に静謐で、深い学識を持つ人物として描かれます。実際、作中の演出でも、西田が発言すると、厳かな音曲が流れる演出がなされています。
西田を深い見識を持った人物として描く為に、その思想が吟味される場面もあります。
西田がクーデターへの参画をユウシロウの上官である速川中佐に促すため、二人で問答を重ねるシーン。
日本の再生を説く西田に対して、速川は、「そんな美しい日本というのは幻想ではないか?」と問い正します。
これは、近年になってマスコミや右派が喧伝する、いわゆる「日本スゴイ」論への批判に通じるものがあります(本作が1999年の作品であることをお忘れなく)。
これに対して、西田は、自身の愛刀の刀身を披露し、その卓越性・芸術性から日本固有の「美」を説きます。
「焼身を研ぎ直したもので、身幅の割に重ねが薄くなっていますが、私にはもうその繊細な刀紋を見る事は出来ません。ですが、その怜悧な気を感じる事は出来ます。これこそが真の日本人の姿ではないでしょうか。」
西田(本編より)
そんなクーデター計画と期を合わせるように、米国が日本に対して穀物モラトリアムを仕掛けます。
これに対して、西田らは、日本の全金融資産2000兆円をホットマネーにして、米国市場にぶつけてハイパーインフレを起こし、アメリカ経済を崩壊させるという“金融のパールハーバー”を仕掛けようとします。
西田の真意と資本主義の限界
この日米の一触即発の最中、西田はシンボルのCEOである青年ファントムの訪問を受けます(おそらくファントムは輪廻転生を繰り返し、作中最大の謎「ガサラキ」にも精通しています)。
このファントムと西田の会談は、本作の最大の見せ場ではないでしょうか。
余人を交えず、二人は能舞台で対面し、問答します。
そこで西田の計画の真意が漏らされます。
西田「確かに、私の個人的な目的はもっと別のところにあります。
それは、この国を貧しくすること。」
ファントム「貧しく?」
西田「この二百年間、人は、ただひたすら発展の幻想に踊らされてきました。しかし、宴は終わったのです。
今、我々がなさねばならぬのは、人が歴史を刻み始めてから初めて、自らの意志で、目の前の坂を、胸を張って堂々と下ること。」
(本編より)
西田は資本主義を否定する。その為のアメリカ経済の破壊=国際経済の崩壊、清貧によって日本を生かす独裁、ということです。
単純な日本礼賛でも国権拡大論でもない、哲学者としての資本主義思想への否定が彼の思想の根底にありました。
天皇論なき日本論
西田の思想で特徴的なのは、そこに「天皇」が顔を出さないことです。
これは、天皇をどう考えるかによるかもしれません。
天皇を日本「そのもの」を象徴させる存在と捉えるか、日本の、重要であるが、あくまで「部分」として捉えるか。
西田はどうも後者のような気がする。
90年代日米関係の幻想
西田の思想や日米経済戦争など、ほとんど、子供を無視した作風と展開は、日曜日に家にいる休日のお父さん方をターゲットにしていたと考えて間違いないのでは?
しかし、この日米が対等に「戦える」という状況設定は、やはり幻想な気がします。
90年代はバブルが弾けてたとはいえ、まだ、中国も現在のように台頭してきているわけではなく、日本は世界第2位の経済大国であり、日本の軍事力も、アジア地域においては一目置かれる(?)ような扱いでした。
そんな時代の空気がこの「幻想」を生んだのではないか?
ですが、蓋を開けてみれば、米国の存在は日本にとって圧倒的であり、軍事力ひとつとってみても、自衛隊は米軍に組み込まれた補完的軍隊に過ぎませんでした。
「護衛艦」とは商船を護衛する為ではない。米第七艦隊の空母の護衛です。
そんな現実にあって、米国と「対等」に戦うなどというのは、大いなる“幻想”だったのでしょう。
この様な“幻想”は、ガサラキから17年後の「シン・ゴジラ」になると、完全に消え失せます。
「戦後、日本は常に彼の国の属国だ。」
「戦後は続くよ、どこまでも。だから諦めるんですか?」
(映画「シン・ゴジラ」より)
ゴジラへの核使用を巡って、主人公の政府高官らの会話。
ここでは米国は現実の国際関係により近い、リアリスティックに描かれます。
第四の自衛隊
さて、ミリタリー色が色濃い本作には、当然、自衛隊も登場しますが、それは現在の陸海空三自衛隊ではなく第四の自衛隊がメインになります。
それは「特務自衛隊」(略して特自)。主人公のユウシロウの所属も、西田の弟子たる広川中佐らも特自の所属です。
PKOなどを担当する軍隊のようですが、都心の暴動に治安出動するなど、もしかすると、米国の海兵隊のような扱いかもしれません。
第四の自衛隊を創設するには、既存の三軍から部隊を抽出すれば可能かもしれません(法と世論のハードルは知りません)。
しかしそれより、特自の階級呼称がビックリです。
現行の二佐や一尉ではなく、旧軍と同じ中佐や大尉を採用しています。こちらの方が、余程ハードルが高いような・・・(幕僚ではなく参謀の語が使われていました)。
でも、将官は少将ではなく「将補」が登場するなど、その辺の事情はよくわかりません。
まあ、しかし、アニメ作品では様々な自衛隊が登場します。
エヴァンゲリオンの「戦略自衛隊」。
ラーゼフォンの「統合自衛隊」。
しかし、まさか、現実が、「航空宇宙自衛隊」とは・・・、事実は小説より奇なり。