昨今、「哲学対話」や「哲学カフェ」といった、大学のようなアカデミアの場ではない、市井の場で、「哲学」を実践する試みが盛んになってきているようです。
元々、フランスのパリで始まった試みですが、それが日本にも輸入されました。
現状、一種の「哲学対話ブーム」とも言える状況で、全国に百単位の会が存在し、様々な形(対面、オンライン通信)で実践しているようです。
しかしながら、どのような活動であれ、手放しで称揚されるということはなく、そこには批判と改善が求められます。
ましてや、すべての前提を「疑う」哲学の名を冠する以上、この日本版「哲学対話」「哲学カフェ」といった営みも批判(≠否定)を免れません。
「哲学対話」に批判的・懐疑的な立場から、関連記事をまとめてみました。
哲学カフェは反知性主義の砦となるか~「哲学対話」ブームに隠されたもの
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そして、アカデミズムに背を向けることによって、一体何が起こるのでしょうか?
哲学対話・哲学カフェへの入門書おすすめ本6選~「書を捨てよ!哲学カフェに行こう!」?
哲学対話・哲学カフェの多くにおいて、教養・知識といったものは、必要ではないというスローガンが見受けられます。「書を捨てた」哲学は、果たして可能なのでしょうか?
梶谷真司『考えるとはどういうことか』の違和感~「哲学対話」と「対話」は同じものか?
哲学対話・哲学カフェの主宰者の間で、もはやバイブルとなった感がある本です。
しかしながら、本書を読み進める内に、そこには重大な「落とし穴」があるのではないか?と危惧するようになりました。
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「敬称」についての謎マナーに隠された深刻な事情
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哲学の入門書,おすすめ本6選
「哲学」に興味を持って、哲学カフェに足を運ぶのもいいのですが、哲学書を手に取ってみるのは如何でしょうか?
え?難し過ぎて無理?
いえいえ、こちらでは、そんな心配が杞憂になる「入門書」をご紹介しています。
関連リンク
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哲学カフェの主宰者は「先生」なの?
もし、「哲学対話」の場で「先生」が登場したら、それは黄色信号かもしれませんよ。
哲学カフェで「哲学」を学べるのか?
哲学カフェに「哲学の勉強に来ている」方はいらっしゃいますか?その選択、本当に大丈夫ですか?
ETV特集「7人の小さき探求者~変わりゆく世界の真ん中で」を観て感じた“違和感”
日本の小中高(中等教育)で、今静かに広まっているのが「P4C」(子どもの哲学)です。
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哲学対話と「政治」~平壌で哲学カフェを、香港で哲学対話を
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学問のコスパを知っていますか?
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対して、「リアルな哲学」「哲学の生の現場」とか持て囃される哲学対話。
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十人十色でしょうが、一例を。