鉄道の車内は、よく「走る密室」と言われます。昨今、走行中の車内で、乗客を無差別に狙った刺傷事件が発生し、それに対して、国交省や警察、鉄道各社が、合同訓練や巡回強化、防犯カメラの設置など、次々と対策を打ち出しています。
しかし、これらは本当に有効な対策となるのでしょうか?
「防犯」だけで本当にいいのか?
防犯とは、犯罪を事前・未然に抑止することです。
犯罪を起こそうとする人間が、それによって結果、未然に思いとどまる、抑止になることです。
ところが、いわゆる「無敵の人」と言われる、もはや、死刑を喰らおうが射殺されようが、一向に構わないという人間に対しては、この「防犯」は、ほとんど効果がありません。
防犯カメラに映ろうが、警備員がいようが、関係ないのです。
日本の場合、防犯対策を講じることで、犯罪を阻止しようとしますが、一定の割合存在する、このような「無敵の人」には、それは無力です。
現状、犯罪そのものを実力で止めるのは警察官しかいないわけですが、逆にいえば、警察官が到着するまでの時間は、市民は完全に無防備な状態に晒される訳です。
警察が犯罪の発生を認知(主に110番)してから、最初の警察官が現場に到着するまでに要する時間(レスポンスタイム)は地域差がありますが、7~10分です。
この時間をただ逃げ惑うだけなのか?
特に、「走る密室」では、被害は拡大するばかりではないか?
「防犯」ではない第二の選択肢
この約10分間の、凶悪犯にとっての「やりたい放題」、市民(被害者)にとっては「なされるがまま」の無防備状態の解消こそが、本当にすべき対策ではないでしょうか?
つまり、市民(被害者)の側に「対抗策」を用意することです。
この「対抗策」というものは、「防犯」とは似て非なるもので、あまり論点になっていない気がします。
こう指摘すると、「警備員の車内巡回・乗車」という意見がすぐ思いつかれますが、首都圏を走る鉄道の2千を超える編成の全てに警備員を乗車させるというのは、あまりに非現実的です。おまけに、朝夕のラッシュ時の満員電車に警備員が乗って意味があるでしょうか?身動きできないだけです。
その警備員にしても、武器を持った凶悪犯と戦えるような人間は、ごく僅かでしょう。警察官のように武装している訳ではないし、犯人制圧訓練(逮捕術)を叩きこまれている訳でもない。凶悪犯に対峙した時には一般人と大差ない。
「警備員の車内巡回・乗車」という対抗策は、思ったよりも効果が低い。
では、「警察官の警乗(警戒乗車)」はどうでしょう。
まず警察官の能力に関しては十分です。日本社会において、数少ない武器携帯と使用が許されており、一般人とは比較にならない能力を持っています。
ところが、問題は、先ほどと同じく、いつ起こるかもわからない電車内の凶悪犯罪の為に、警察官を大量に警乗に駆り出すなどは、警察行政・治安政策上、正気の沙汰ではありません。
警視庁には43000人の警察官がいますが、その警察官は、各種事件の捜査、交通事故の処理、交番勤務など日々、眼も回るような膨大な業務に従事しており、そのリソースは限られています。
一体、何の分野に何人の警察官を割くのが適切なのか?
例えば、殺人事件の捜査を、たった警察官4人でやって、万引き犯の捜査に警察官100人投入するとしたら、どう思いますか?(万引き犯がどうでもいい訳ではありませんよ、念のため)。
そう考えた時に、「警察官の警乗」というのも非現実的なことだとわかります。そんな事をしたら、他の警察業務がパンクします。
では一体どうすればよいのでしょうか?
「自衛」は避けて通れない
それは、約10分間の悪夢に乗客が「自衛」するしかない、ということです。
「自衛」などと言うとギョッとする人も多いかもしれませんね。
米国だと、全米ライフル協会あたりならば、「悪人に対して善人が武装すればいい」と言いそうですが、日本の国情を考えうるとそれはあまりに突飛であり、現状、10分足らずで警察官が到着するならば、武装する必要はありません。
要は、10分間を乗り切る防御手段でいい。
一番、効果的な方法は、電車内に設置されている消火器と同じように、盾(シールド)を設置しておくことでしょう。
乗客がすぐに取り外せる簡易で軽量なもの。女性や子供でも使えるものがいいでしょう。
攻撃する武器ではなく、防御する盾ならば、社会的にも抵抗は少ないでしょう。
そして、車掌などの乗務員には、やや攻撃的な装備があってしかるべきかもしれません。
例えば防犯スプレーや「さすまた」などの非致死性武器。
乗客らが盾で抑えている間に、乗務員が駆け付けて、できる限り対抗・制圧する。
これならば、電車の状況で、10分以上、最悪20分、警察官が到着しなくても、凶悪犯が暴虐を好きにするような事態は避けられるのではないでしょうか。
「防犯」一辺倒から、「対抗策」「自衛」を考えうるべではないかと愚考する次第です。
(あくまで一素人の一私案ですので)