人肉喰らいの食屍鬼の登場は、国際政治にどのような影響を与えるのだろうか。リアリスト の解答は、驚くべきものではあるが、いたってシンプルである。すなわち、そこでの国際関係には、何らの変化もないというのだ。このパラダイムは、人類に対する新たな実存的脅威が人間の行動に対して何らかの劇的な変化をもたらすと主張するような人々にとっては、どちらかというと感銘を与えないものであろう。
D・ドレズナー『ゾンビ襲来』白水社、、2012年、58-59頁。
庵野秀明監督のいわゆる「シン」シリーズの第4作目、「シン・仮面ライダー」を観てきました。
ちなみに私、まったく「仮面ライダー」に興味がなく、予備知識もないので、オマージュといったものは全くわかっていません。予めご容赦ください。
それを前提で、今回の記事を書いていきますが、一応、政治学徒の端くれとしては、その視点・観点からの感想めいたものになります。
- 1 なぜ私は仮面ライダーが好きではなかったのか?
- 2 仮面ライダーは自警主義か
- 3 政府が登場するシン・仮面ライダー
- 4 特殊部隊の機能と限界
- 5 「戦いは数だよ、兄貴!」(ドズル・ザビ中将)
- 6 「敵は社会をひっくり返すゴジラ並みの怪物か。それとも人ごみにまぎれたアマチュアテロリスト程度の存在なのか・・・」(平間警部補)
- 7 「軍を動かすってのは釜に札束を放り込んで汽車を走らせるようなもんだ」(荒川茂樹)
- 8 「我々も決して一枚岩ではない」(政府の男)
- 9 「ここにミサイルを撃ち込むってのはナシ?」(後藤警部補)
- 10 「全員これよりなすべきことは、警官としての職務とは、かなり異質のものと考えろ!」(平間警部補)
- 11 ショッカーの黒幕は日本政府?
- 12 「戦後は続くよ、どこまでも」(矢口 内閣官房副長官)
- 13 「政治の終わり?」
- 14 シン・プラトン主義
なぜ私は仮面ライダーが好きではなかったのか?
そもそも私がなぜ、子供時代に、仮面ライダーを好きではなかったのか?
「そんな個人的な話はどうでもいい!」と言わずに、まあ、しばらくお付き合いください。
それは、子供心に感じていた「違和感」でした。
「なんで警察を呼ばないの?自衛隊は?」
といつも思っていました。
悪の秘密結社が社会に脅威を与えており、それをライダーが単身鎮圧するというのが、シリーズのコンセプトなんでしょうが、さて、その「社会」というのは、「政治社会」と同義です。
政治権力によって、秩序だった統治・規律が存在している訳です。
その秩序を最終的に担保するために存在しているのが物理的強制装置、暴力装置(ウェーバー)である軍隊と警察です。
そもそも、政治権力の必要最小限の目的とは「秩序の維持」に尽きます。いわゆる「夜警国家」論というやつです。
対して、ゴジラは好きでした。曲がりなりにも、暴力装置=軍隊(防衛軍、防衛隊とか様々な名称でしたが)が出動して、その脅威を排除しようとしていましたから。
ただ、仄聞するところによると、「平成ライダー」シリーズでは、警察や自衛隊も出てくるらしいので、一先ず「昭和ライダー」の話ということで。
仮面ライダーは自警主義か
そんな昭和ライダーの思想的背景には、いわゆる「自警主義」があるのかもしれません。
日本人からすると、何か犯罪に巻き込まれれば、すぐに公権力に助けてもらうと、考えてしまいますが、これは決して国際的・歴史的に「常識」ではありません。
現代社会では自衛のための武装は必要ないという感覚は、自らが政府の権力に保護してもらえるということを暗黙の前提にしている人間のものであり、必ずしも万人のものではない。
小熊英二『市民と武装』慶應義塾大学出版会、2004年、52頁。
典型的な例がアメリカ。
その建国が、英国への叛乱(抵抗)によって出発している国です。
三つ子の魂百まで。故に、強力な政治権力に対しては、常に不信感・警戒感がある。
権力は必要悪であり、必要最小限が望ましいわけです。
だからといって、現実に脅威はある訳ですから(暴漢・強盗から侵略者まで)、それにどう対処するのか?
(まさか無抵抗非暴力ではありません)
そこで登場するのが自警主義です。自分の身は自分で守る。
米国で銃規制が進まない背景には、これがあります。
犯罪者から自分(と家族と地域共同体)を守るのは自分自身であり、より強大な脅威(軍事侵略)があったならば、その時は民兵として戦えばいい(ですから常備軍にも反対です)。
だから大きな政府は不要だし、余計な介入(徴税など)をしてくるな。
(場合によって、政府に抵抗するための武装でもある)
政治思想的には、リバタリアニズムといわれるものです。
武装権という発想は、自己および地域社会の生命や財産を守る市民の権利を国家に譲り渡さないという思想から発しており、同時に国家への意義申し立て能力を確保するという側面をもっている。
小熊、同上書、51頁。
これを念頭に昭和ライダーを見てみると、政府(公権力)が介入せずにライダー個人が社会を守るという点が、リバタリアニズムと共通点がありませんか?
リバタリアニズムのイメージとして、西部劇の保安官や、映画「ダーティハリー」でクリント・イーストウッドが演じたキャラハン刑事ですかね。
この孤高の英雄像が仮面ライダーに重なります。
※以下、ネタバレあり
政府が登場するシン・仮面ライダー
さて、前置きが長くなりましたが、ようやく「シン・仮面ライダー」のお話です。
前章までみてきた昭和ライダーと異なりシン・仮面ライダーでは、かなり前半で、政府が介入してきます。
「政府の男」(演:竹野内豊)と「情報機関の男」(演:斎藤工)が、主人公らに接触してきます。おそらく前者は内閣官房、後者は警備公安警察か防衛省筋でしょう。
彼らから、日本政府がショッカーを監視しており、その殲滅に協力してくれるように、主人公らに打診してくるのです。
かくして、政府公認の「アンチ・ショッカー同盟」が成立します。
先ほど、昭和ライダーとは違う、と書きましたが、仮面ライダーの要素としての自警主義は残っています。
それは、仮面ライダー1号と緑川ルリ子は、政府の指揮下に組み込まれたわけではなく、あくまで対等な協力者・同盟者となっている点です。
近代国家の権力は、本性的に、国内の暴力を独占しようとする傾向があり、普通、国内に別の暴力の存在を認めません(先の米国の例は特異)。認めると内乱の契機になります。
ライダー1号が政府との一種の「契約」状態である独立した個人として描かれているのは、昭和ライダーの自警主義思想の残滓といえるかもしれません。
特殊部隊の機能と限界
本作において、ある意味、衝撃的だったのは、怪人(本作ではオーグメント)が、通常兵器によって殺害可能な点でした。
コーモリオーグを監視していた情報機関の男は、「即時介入」を口にしていましたし、サソリオーグは政府が独力で「排除」しています。
時に、そこで投入されていた部隊は、特殊部隊に見受けられましたが、これは妥当な選択なのでしょうか。
そもそも日本政府が有する特殊部隊はどのくらいあるのでしょう。
代表的な特殊部隊としては、
- 陸自特殊作戦群(SOG)
- 海自特別警備隊(SBU)
- (警察)特殊急襲部隊(SAT)
- 海上保安庁特別警備隊(SST)
その他、特殊部隊と見做される、あるいは準じる部隊として、
- 空自基地警備教導隊
- 陸自冬季戦技教育隊
- 警視庁東京国際空港テロ対処部隊
- 警視庁第7機動隊銃器対策レンジャー
- (各都道府県警察機動隊の)銃器対策部隊
- (各都道府県警察刑事部の)特殊班
・・・etc.
ザっと思いつく限りですが、色々と設置・運用している訳です。
さて、これら特殊部隊を構成する人員は、何にもまして貴重です。優秀な人員を通常の部隊から選抜している訳ですから、いわゆる「精鋭部隊」です。
故に、数は少ないし、その錬成には、相当な時間と費用がかかっている。
警察のSATは機動隊から選抜された300人しかいない精鋭です。対してその母胎たる機動隊は全国に1万人います。
陸自特殊作戦群も300人と言われていますが、陸自の兵員数は、およそ14万人。SOGの母胎となったと言われる第1狂ってる団(狂ってるほど精鋭という意味です)第1空挺団は、2000人ほどです。そもそも第1空挺団自体が陸自の最精鋭なので、その精鋭の中から選ばれた「精鋭中の精鋭」300人であることをお忘れなく。
それを念頭に置いた上で、対サソリオーグ戦、対チョウオーグ戦を見ていると違和感があります。
それは、特殊部隊を投入する情勢ではないのではないか、という事です
当然、以下のような反論があるでしょう。
「え?だってショッカーに対して秘密戦争をやっている訳でしょ?オーグメントのような強力な敵に対しては、精鋭である特殊部隊を投入するのは適切だし、機密保持上も理に適っているよ。」
然り然り。
一見、論理的な反論ですが、実は、ここには誤謬があるのです。
確かにショッカーと日本政府は、一種の「秘密戦争」をやっている訳です。公然と行えない戦争。冷戦時代にCIAあたりが主導していた第三世界諸国での非公然軍事活動(暗殺、襲撃、武器供与、訓練、宣伝活動etc.)と同じ類です。暴露されれば世論に袋叩きに合う類の。
それには、特殊部隊やアクションサービスのような隠密性の高い組織を投入することが最適解です。
しかし、オーグメントの戦闘力があまりに高い場合、特殊部隊の投入は理に適っていません。
どうも誤解があるのですが、特殊部隊というのは、スーパーマンのような超人ではありません。
暗殺、破壊工作、扇動、テロ制圧、人質救出などの特殊かつ高度な任務に適している存在ですが、それは、いわば「点」をピンポイントで攻め、一撃離脱(ヒット・エンド・ラン)するような存在です。他の部隊が得意としない非正規戦を担います。
オーグメントが通常兵器で排除できるとはいえ、その力は生身の人間のそれを遥かに凌駕している。
そんな「化け物」に対して、いくら個々の戦闘力が高く戦技に優れているとはいえ、少数の特殊部隊を投入していては、犠牲が増えるばかりです。
ここで考えるべきは、軍隊の本来の能力を発揮すること。本来=正規戦です。
特殊部隊のような「高度な戦技」の非正規戦ではなく、正規戦部隊の「面」を制圧するような圧倒的な兵力と火力の組織的動員のことです。
当初こそ、致し方ないとしても、対オーグメント戦が、多大な犠牲を強いられることが明らかなら、オーグメントの排除に貴重な特殊部隊員を、むやみやたらと犠牲にする作戦は避けざるを得ません。
「戦いは数だよ、兄貴!」(ドズル・ザビ中将)
※1
セクシー女優怪人サソリオーグ戦では、政府側に大きな被害が出ていましたが、重火器を装備した正規戦部隊、陸上自衛隊でいうところの普通科(歩兵)部隊が相手だったらどうか想像してみて下さい。
小銃だけで戦っているから、あれほど苦戦する訳で、普通科の火器であればどうでしょう。
小銃は同じとしても、MINIMI分隊機関銃や06式小銃擲弾(グレネード)が使える訳ですし、更に火力が必要と推定されるなら、M2重機関銃や40ミリ自動擲弾銃、更には、ATM(対戦車誘導弾)etc.
いくらでも火力や貫通力を上げていくことが出来る。ショッカー女戦闘員など盾ごとミンチです。
これをイメージするには、映画「ガメラ3」が絶好の参考書です。
ガメラ3では、奈良県南明日香村の山中に出現した巨大生物「イリス」を、監視中の陸上自衛隊1個普通科小隊が攻撃する場面があります。
ここでは小銃の射撃から84ミリ無反動砲(カールグスタフ)や110ミリ対戦車榴弾(パンツァー・ファースト3)など、ありったけの小隊火器を叩き込んでいます。
ガメラ3では、イリスが飛び去ってしまい、空自の守備範囲になってしまったので、出番がありませんでしたが、必要なら機甲科や特科の支援を仰いで、16式機動戦闘車の105ミリ砲や10式戦車の120ミリ砲の火力支援、155ミリ榴弾砲の効力射を実施してもいいいわけです。
極論、ショッカーに機甲師団(第7師団。戦車200両、兵員6000人を擁す)を全力でぶつけてもいい訳ですから。
ただ、先ほどの反論、「秘密戦争」に関して言えば、確かに、正規戦部隊の投入は相性が悪い。機密保持がより困難になるということもあるでしょう。
しかしながら、そもそも特殊部隊の投入とその多大な犠牲は、そう長いこと耐えられるものではありません。
あんな化け物相手に近接戦闘(CQB)を繰り返し、多数の殉職者を出していては、「訓練中の事故死」などと隠蔽しても数が多くなれば疑惑となり情報が漏洩します。
殉職した隊員にも遺族はいる訳で、その遺族への説明や補償も必要。
何より、そんな「血まみれの辛うじての勝利」では、当該特殊部隊の士気が維持できませんし、部隊の補充要員の問題もある。
また予算の問題も大きいはずです。戦いには金がかかるものです。
「敵は社会をひっくり返すゴジラ並みの怪物か。それとも人ごみにまぎれたアマチュアテロリスト程度の存在なのか・・・」(平間警部補)
※2
特殊部隊の限界が明らかであり、正規戦部隊の投入が適切である事が明らかになりましたが、政府はなぜ「秘密戦争」の形態にこだわるのでしょうか。
ところで、このシン・仮面ライダーと同じく、「よくわからない社会的脅威とそれに対応する国家安全保障」について、非常に上手く物語が展開した作品があります。
日本SFコミックの金字塔、岩明均の漫画『寄生獣』です。
『寄生獣』は、全くの未知の寄生生物に一部の人間が寄生・乗っ取られ、超人的な変異と力を発揮する「パラサイト」達が一般社会に潜伏。そのパラサイトらと、とある青年の戦いを描いた作品です。
パラサイトの脅威は、主食が人間であること。
そんなパラサイトに対して、最初、警察は被害者の遺体の惨状から、猟奇殺人事件(ミンチ殺人)として捜査を始めます。
その存在を認知しないが故に、通常の刑事捜査以外に選択肢がありません。しかし、状況を大転換させる事件が起きます。
白昼、あるパラサイトが高校内で暴走して、教師・生徒を殺戮し始めてしまい、警察が出動。
警官隊が、多数の殉職者を出しながら交戦します。
ここではじめて、警察=政府側が、パラサイトの存在と脅威を認知します。
そこからの動きは素早く、公安を中心とした捜査や、パラサイトの生物学的研究が行われ、終盤には、パラサイトが集結・潜伏・組織化を図っている東福山市役所に対して、警察・自衛隊共同による掃討作戦が実施されます。
このパラサイト掃討作戦では、陸上自衛隊は、1個中隊規模の普通科部隊を投入し、圧倒的な火力で、パラサイトを「駆除」していきます。
本作もシン・仮面ライダーと同じく「秘密戦争」の形態を採ります。
それはパラサイトのような存在を公表することによる人心の動揺、パニックを回避する為です。
寄生獣では特殊部隊ではなく正規戦部隊を大量に動員して、殲滅作戦を展開します。
しかし、東福山市役所殲滅戦の最終局面で、圧倒的な戦闘力を持った個体「後藤」の出現で、形勢は逆転、自衛隊側は80名に及ぶ「戦死者」を出します。
秘密戦争を継続できるかどうかの第一の試金石は、「戦死者数」にあるでしょう。
もはや隠蔽が困難な程に、犠牲者が出てしまえば、マスメディアに情報が漏れるのは時間の問題ですし、士気と部隊維持に困難が生じる。
そこまで多数の犠牲者を出すならば、もはや社会的脅威から国家的脅威へフェーズは引き上げられます。
ゴジラのような脅威のイメージへと。
(★関連記事:アニメ「寄生獣 セイの格率」~自衛隊描写の違和感)
「軍を動かすってのは釜に札束を放り込んで汽車を走らせるようなもんだ」(荒川茂樹)
※3
第二の試金石は、正規戦部隊の動員に伴う諸問題です。
『寄生獣』のように、正規戦部隊でも、1個中隊(120—200名)程度なら比較的、機密保持も可能でしょう。
パラサイトらは、組織化の途上であり、政府側も、あくまで個体個体を「害獣駆除」していく感がありました。
対して、ショッカーは完全な私兵集団・私設軍隊であり、このような組織化された敵集団を火力と兵力で圧倒しようとすると、連隊(600-1000名)といった、より大きな部隊単位を動かしていく事が必要になり、機密保味は一気に困難になります。
そして、正規部隊を動かすには、相当の予算が必要です。
燃料、弾薬、糧食、医療・・・etc.
何千万、何億円といった金額が翼をつけて、毎日、飛んでいきます。
この予算をどこから持ってくるのか?
内閣官房機密費など焼け石に水です。
最終的に国会の承認が必要になります。
正規部隊を動員した瞬間から、ダムの決壊のように、情報と金は拡散せざるを得ないのです。
ではどうしたらいいでしょうか?
簡単です。「秘密戦争」を終わらせればいい。
「秘密戦争」ではなく、「戦争」にしてしまうのです。
つまり、合法的に自衛隊を出動させてしまう。
警察力でショッカーに太刀打ちできないのだから、防衛出動、少なくとも治安出動をすれば、秘密戦争に付き纏った多くの困難は解消されるでしょう。
「我々も決して一枚岩ではない」(政府の男)
テロ組織・革命軍として「ショッカー」を見た際、その鎮圧に正規軍を正面からぶつけるのが妥当だとしても、なお、政府部内がその決断を躊躇することは想像に難くありません。
治安出動にしろ防衛出動にしろ、国内で自衛隊を軍事的に出動させるのです。
国内人心の動揺、パニック、政局、外交上の問題・・・etc.
秘密戦争の継続が困難かつ自衛隊の軍事出動も困難であったならば、どうすればいいか?
政府は第三の道を選択します。
それが、仮面ライダーとのアンチ・ショッカー同盟です。
つまり、自衛隊を投入せずに秘密戦争を政府外=仮面ライダーに「委託」してしまう。
これは、アメリカが冷戦以降に頻繁にやってきた戦争のアウトソーシング(外注化)と同じことです。
米軍自体を動かすことが困難な場合(世論や国際関係などの諸事情)、米国政府は、民間軍事会社、つまり傭兵に依頼して、その目的を遂行する。
仮面ライダーは対ショッカー戦をアウトソーシングされた「傭兵」といえます。
「ここにミサイルを撃ち込むってのはナシ?」(後藤警部補)
※4
一般の感覚だと、軍備を考える際、装備している兵器のベラボーな値段にばかり関心が行ってしまいますが(戦車1両10億円とか戦闘機1機100億とか)、もっとも高くつくのは、実は兵隊です。
機関銃の弾幕の中、歩兵を突撃させていた20世紀初頭(第一次世界大戦)とは隔世の感がありますが、人命の価値は上昇することはあれ、下がることは、ありません。
人権意識の向上などから、世論は、多数の犠牲者が出る戦争を忌避する傾向があります。
アメリカは、自国兵士の大量戦死に世論が耐えられません。そこで台頭してきたのがPMCです。
人道上の問題だけではなく、兵器の性能向上や複雑化に伴い、兵士の教育にかかる投資が桁違いのものになりました。
例えば、パイロットの養成。プロペラ機を駆っていた第二次世界大戦と、ジェット機の現代ではその養成期間も投資額も桁違いです。そもそも適正人員の選抜のハードルが高い。
貴重な兵員を損耗したくないのです。
ですが、PMCにも限界があります。
彼らは正規軍ではないので、正規軍そのものとの正規戦に投入するには困難ですし、あくまで装備も陸軍歩兵の延長線上です。
そこで第二の選択肢として、スタンドオフ兵器の登場です。
こちらが絶対に安全な(反撃されない)、敵の勢力圏外からの巡航ミサイルや無人攻撃機を使った「安全な攻撃」。
ここ20年位の国際ニュースを見ていると、米国は、いわゆる「ならず者国家」に、やたらめったらトマホークを撃ち込んでいるイメージがありませんか?
人的犠牲のリスクを払わずに、かつある程度の効果が期待できる、ホワイトハウスの主にとっては、極めて選びやすいオプションです。
そういえば、対ハチハーグ戦で、ライダーが無人機から空挺降下して、彼女のマインドコントロールの中枢機能施設を破壊していましたが、まさにアレです。
あれが出来るなら、トマホークでも精密誘導爆弾でも何でもいいから、スタンドオフ兵器で片っ端からショッカーの拠点を「空爆」すればいいんです。
この選択は、日本の為政者にとっても魅力的でしょう。
正規戦部隊を出動させるよりも、遥かに容易です。
正規戦部隊でショッカーを圧倒するにしても犠牲がゼロというのは難しい。地上戦に持ち込んだ時点で、犠牲は回避できない。
自衛隊も含めた先進国の軍隊は、志願制故に、人手不足に常に苦しんでいます。貴重な兵員を失いたくない。無尽蔵に畑から兵士が供給できるような赤い大国ではないですから。
ところが、空爆やスタンドオフ兵器等の攻撃なら、それは可能でしょう。その後で、残敵掃討に移れば、普通科部隊の安全は格段に向上します。
「全員これよりなすべきことは、警官としての職務とは、かなり異質のものと考えろ!」(平間警部補)
※5
軍隊をショッカーにぶつけるには、もうひとつの視点があります。
それは「ショッカーは犯罪者なのかどうか?」という問題です。
通常、刑事犯として逮捕され、裁かれるという事は、どういう意味があるのか。
これには二面性があり、応報的な意味合い(応報刑論)と、矯正的な意味合い(目的刑論、特に特別予防論)がりあります。
応報刑論は、不法行為への報いそのもの。
目的刑論の特別予防論は、犯罪者の矯正・更生を企図したものです。
いずれにしろ、犯罪者は、当該の政治社会(政治単位)の構成員であることを前提とされ、いずれ矯正・更生して、社会復帰することになります(特に特別予防論では)。まさか「敵」ではありません。
ところが、ショッカーは、日本国そのもの転覆、ひいては人類世界の転覆を狙っている(=ハビタッド計画)。
となると、ショッカーは、政治社会内の構成員というよりは、敵対する別の政治単位。明確な「敵」であり、いわば「内敵」となります。
故にその鎮圧活動は、犯罪者の「検挙」ではなく、「殲滅」目的になります。
更生・矯正の余地がない「死刑」と同じ意味合いです。
警察は、同一政治単位内の秩序の維持・回復を目的としているので、上記のような任務とはきわめて相性が悪い。
軍隊は、最初から自分の所属政治単位以外の政治単位と戦うことを前提としているので、この任務に適任です。
最初から、ショッカーの構成員の「逮捕・検挙」ではなく、その「殲滅」(全員殺害)を目的としているなら、いきなりミサイルを撃ち込んだ方が合理的です。
ショッカーの組織的性格が、既存の政治秩序の破壊そのものである以上、事態はこういう帰結にしかなりません。
作家の埴谷雄高(1907-1997年)は政治の本質についてこう喝破しています。
政治の裸かにされた原理は、敵を殺せ、の一語につきるが、その権力を支持しないものはすべて敵なのであるから、そこでは、敵を識別する緊張が政治の歴史をつらぬく緊張のすべてになっているのであって、もし私達がまじろぎもせず私達の政治の歴史を眺めるならば、それがあまりにも熱烈に、抜け目なく、緊張して死のみを愛しつづけてきたことに絶望するほどである。
埴谷雄高『幻視のなかの政治』未来社、1971年、9-10頁。
政治の世界から見た仮面ライダー、それは、「ショッカーを殺せ、皆殺しにしろ」。これに尽きる。
ショッカーの黒幕は日本政府?
ところで、シン・仮面ライダーとは直接関係ありませんが、ネットで、昭和ライダーの設定では「ショッカーの黒幕は日本政府」という話を見つけました。
これはどうも眉唾、誤認情報らしいですが、それを踏まえた上で面白いので敷衍していきましょう。
確かに、日本政府自体がショッカーの黒幕だったとしたら、自衛隊や警察といった公的権力機関が、怪人事案に対処しないことへの説明になりますね。政府が介入を止めているという。
では、怪人を使って、各種の犯罪を引き起こしている理由は何か?
パッと思いつくのが下記の2つです。
- 生物兵器の実験
- 政府指導部内の権力闘争
怪人という生物兵器(生体兵器)の実験と言うのは、とても表だってできない。国際政治上も人道上も、とても許容できないので、バレれば、国内世論は激昂し、国際社会から袋叩きにあい、政権の崩壊待ったなし。
そこで、秘密組織(=ショッカー)を結成させて、そこでやらせる。
わざわざ、別の組織を作らんでも、自衛隊内に秘密機関を作ればいいような気もしますが、万が一、露見した場合に、「第二の731部隊」だと騒がれ、政権崩壊・自衛隊解体にまで発展するので、その予防策でしょう。
次に、権力闘争というのは、「我々も決して一枚岩ではなくてね」(政府の男)の言葉通り。
政府指導部(権力核)が一枚岩ではなく、その中の一勢力の私兵としてショッカーが結成されている場合ですね。
いうなれば、ショッカーは軍閥です。
様々な怪人事案を頻発させることで、社会不安を醸成し、権力主流派の統治能力に疑義を呈させること。
この場合の政府は、西側民主国よりも、ソ連や中国のような権力状態(群雄割拠)を想像して頂ければ理解し易いでしょう。
ただ、どちらの説でも、国際政治的には瑕疵があります。
それは日本国内での実際の権力状況を反映していないことです。
つまり、米国の存在、日米安保体制が考慮されていないこと。
「戦後は続くよ、どこまでも」(矢口 内閣官房副長官)
※6
ショッカーのような武装力・秘密謀略組織の存在は、米国に許容されるかどうか、その一点に掛かっています。
なぜなら、日本の政治、分けても、外交・安全保障に関しては、米国の意志が強く影響するもので、日本政府にフリーハンドなぞ、最初からあるわけがないからです。
なので、少なくとも、ショッカーのような非公然武装組織を日本政府が隠密裏に運用するには米国の承認、少なくとも黙認がなければなりません。
その大前提は、ショッカーの存在が米国の国益にプラスになること。
実は「黒幕は日本政府」よりも「黒幕はアメリカ政府」の方が、リアリティは格段に増すわけです。
米国内で行えないことを同盟国もとい従属国の日本の国内でやってしまえ、つまり実験場という訳です。
ちなみに、この「実験場」説に、ちょっと設定が近いのがアニメ版の「デビルマンレディー」です。
(★デビルマンレディー関連記事:惜しかったアニメ「BLUE SEED」(ブルーシード))
「政治の終わり?」
最後に、劇中のショッカーの最終目的である人類補完計画ハビタッド計画について。
作中で明かされているのは以下の通り。
理不尽な暴力(通り魔)によって母親を奪われた緑川イチローが、「暴力のない世界」を夢見てたてた計画。
全人類をハビタッド世界に送る事。このハビタット世界は、肉体を捨てた魂(精神)だけが存在し、他者との境界自体が消滅していて、嘘偽りのない世界。
まんま人類補完計画ですな。
この複数性の消滅、つまり人々がいなくなり、ただ唯一の「人」(巨大綾波レイ)だけが存在するというのは、同時に「政治」の消失を意味します。
20世紀を代表する政治思想家に、ハンナ・アレントとカール・シュミットの2人がいます。
共に第二次世界大戦に生き、前者はユダヤ人としてアメリカに亡命し、全体主義を研究。後者は、ドイツでナチスの法学理論を支え、戦後、その責任が議論になった人物です。
そんな 対照的な2人ですが、「政治とは何か?」という政治学の根本問題に大きな影響を与えています。
アレントは著書『人間の条件』の中で、人間の営みを3つの領域に分けました。
- 「労働」・・・生命それ自体の条件。食事などの生存するための行為。
- 「仕事」・・・人の世界性の条件。人工物の制作により自然界と分離して独自の世界を構築。
- 「活動」・・・人間の条件。事物ではなく、人と人の関係性・複数性で進行する。
アレントはアリストテレスに依拠しつつ、③「活動」こそ「政治」であると考えます。①と②は、単独性の領域であり、そもそもかかわる他者がいない「単独性」には、政治の余地がない。
③「活動」だけが、唯一、人々の間という「複数性」に対応しています。
ここでわかるのは、人間(複数性)が消滅し、人の世界(自他の消滅により究極の単独者)は「政治」の余地がない、消失した、「政治の終わった世界」ということです。
他方、カール・シュミットは、「政治」の本質を友敵理論で説明します。
そもそも、あらゆる分野には、それをそれたらしめている、それ固有(特殊)の究極的な区別があると考えます。
美的なものであれば、そこには「美」と「醜」の区別があり、道徳には「善」と「悪」が、経済には「利(益)」と「(損)害」が・・・etc.
では「政治」をそれたらしめている固有(特殊)の区別とは何か?
シュミットは、それを「友」(味方)と「敵」の区別だといいます。
そして、あらゆる分野の区別も、それが闘争の色彩を帯びて来れば、やがて「政治的なもの」に転嫁(昇華)し、友と敵に分かれます。
イチローの忌み嫌う暴力も他者も、突き詰めれば「政治」の存在に至る訳です。
「政治」の本質の、最も暗いところをシュミットは喝破している訳ですが、ハビタッド世界は、友と敵に分かれる自他そのものが消滅するので、それは、政治の消滅も意味します。
以上のように、ハビタッド計画は、上記2つの意味での「政治」を共に抹消する意味合いを持っています。
ところが、この「政治を終わらせる」というのは、その理想の究極性故に、最後に反転して、最悪の帰結をもたらすであろうことは想像に難くありません。
それは過去の歴史を見ればわかることで、例えば、「政治」と切っても切れない関係である「戦争」を考えてみれば、「戦争を終わらせる」という理想は、「戦争を終わらせるための戦争」という大いなる矛盾を生み出し、最悪の第二次世界大戦を招きました。
人間の本性上、不可避的・宿命的なことを、人の分際で「終わらせる」というのは、一種の傲慢であり、瀆神であり、その罰は、必ず下るのでしょう。
ショッカーの目指す、「政治を終わらせる政治」も同じ帰結を生むことは不可避的ではないでしょうか。
その意味では、間違いなく、ルリ子の言うように「地獄」が待っているのでしょう。
シン・プラトン主義
さて、そんなハビタッド計画は、人類を魂に還元し、ひとつの究極の世界に送る事だと説明されますが、この思想は、そう珍しいものではありません。ショッカーのオリジナル、専売特許とは言えません。
個々の魂に、その上位存在が存在するというのは、「世界霊魂」の思想に淵源があるでしょう。
古代ギリシアの哲学者プラトンは、著書『ティマイオス』で、壮大なコスモロジー(宇宙論)を展開しますが、そこでは、宇宙全体を動かしている「宇宙の魂」(世界霊魂)が登場します。
このプラトン哲学を受け継いだ紀元後3世紀にはじまるシン・プラトン主義じゃなくて新プラトン主義の潮流があります。
この新プラトン主義の代表的な哲学者にプロティノスがいます。
プロティノスにおいては、どちらも一と多の関係として、共通の論理で説明される。すなわち、多なるものがあれば、かならずそれに先立つ一なるものがあるというのである。この論理は、他の新プラトン主義者にも受け入れられているので、新プラトン主義共通の見方であると言えよう。
内山勝利・編『哲学の歴史2』中央公論新社、2020年、508頁。
プロティノスは、「一者」から「流出」して万物が成立したと見ています。
ここから世界霊魂の問題を考えてみると、究極的な始原としての「一」(単一)があって、そこから「多」(複数)が存在する。
一を世界霊魂に置き換えると、個々人の魂の始原としての世界霊魂という形が見えてきます。
ハビタッド計画とは、この流れを逆流すること。つまり「一から多」ではなくて「多から一」へと人為的に還すことを意味します。
個々人の魂を、世界霊魂に帰らせること。
その意味で、緑川イチローは、新プラトン主義の末端に属していると、言えなくもありません。
【注】
※1.アニメ「機動戦士ガンダム」より。ドズル・ザビ中将が兄ギレン総帥への不満をぶつけるシーン。
※2.岩明均『新装版・寄生獣7』講談社、2015年、176頁。パラサイト担当官の平間警部補が部下に政府のパラサイト対応の現状を説明する一幕。
※3. 映画「パトレイバー2」の小説版での荒川の台詞。押井守『TOKYO WAR』エンターブレイン、2006年、203頁。
※4.映画「機動警察パトレイバー2」より。後藤が荒川と密会する終盤のシーン。
※5.岩明均『新装版・寄生獣8』講談社、2014年、48頁。平間警部補が、パラサイト「田村玲子」の捜索に集まった私服警官らに対して。
※6.映画「シン・ゴジラ」。立川広域防災基地での、矢口と赤坂官房長官代理のやりとりの一幕。