日本が分断国家となったifの戦後史~佐藤大輔『征途』&矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん!』

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あの戦争で、もし、日本がドイツや朝鮮半島のように「分断」されたらどうなっていたか?

小説家や歴史家にとって、とても魅力的な題材であるifの世界、歴史(オルタネート)改変(ヒストリー)小説。

今回は、そんな「日本分断」の戦後史を描いた二大巨匠の作品をご紹介します。

佐藤大輔『征途』

びしょ濡れで隣に座っていた中尉が場所を開けてくれ、大変なことになっちまいましたね、サーと言った。

ハインラインは、ああ、と頷くしかなかった。しかし、本当に大変なことになったのはどっちだろうかと、訝っていた。

(レイテ湾で救助されたロバート・A・ハインライン中佐)

佐藤大輔『征途』中央公論新社、2017年、126頁。

未完(・・)架空戦記の帝王、佐藤大輔の唯一の完結長編。

太平洋戦争末期、ソ連軍の北海道上陸で、南北に分断された日本を舞台にした長編作品です。栗田艦隊が「もし」レイテ湾突入に成功したら?

それが本作の「歴史」を決定づけることになります。

レイテ沖海戦で日本艦隊は大勝利。数多の米艦船と共にマッカーサーは戦死。

しかし、結果、米軍の沖縄侵攻は史実より遅れ、ソ連軍の北海道侵攻を招いてしまいます。かくして、日本は、釧路―留萌線(スターリン・ライン)を境に、東京を首都とする日本国と、豊原(ユジノサハリンスク)を首都とする日本人民共和国(北日本)に分断されてしまいます。。

有り得たかも知れない「もうひとつの戦後」の、半世紀を描いていく作品です。

作中には、幾人もの実在の人物が登場し、史実とは違った役割を担っていきます。

冒頭のハインラインもその一人です。もちろん、SFの巨匠ロバート・A・ハインラインその人です。

その他にも、司馬遼太郎、中曽根康弘、後藤田正晴、ジョージ・パットン、ジェイムズ・ティプトリー・Jr.などなど。

また、分断国家になったが故に、1950年代には北朝鮮の韓国侵攻と同時に北日本も日本に侵攻。在日国連軍と警察予備隊は函館橋頭堡に追い詰められますし、ベトナム戦争には自衛隊が派兵されている。

そんな戦後史のもう一人?の主役は戦艦大和です。沖縄海上特攻で戦艦武蔵が沈み、大和が戦後も生き残り、海上保安庁から海上自衛隊へと籍を移し、改装を重ねながら、この「戦後史」を歩んでいきます。彼女(・・)()もう一人の主人公でしょう。

ちなみに、個人的には、佐藤作品で楽しみにしているのは、「政治」の場面です。歴史上の政治家・権力者たちが交わす、ウィットに富んだ、かつ、世界の運命を左右する決断や野望が秘められ言葉の鍔迫(つばぜ)り合い。例えば、本作のポツダム会談での立食パーティーの一幕。

チャーチルは再びハヴァナを吹かし、声を落とした。

「そう言えば、ニュー・メキシコで何か興味深い事件が起こったとか?プラトンがかの大陸の沈没を記して以来の事件だそうですな」

「その事件については、貴方にも御相談しようと思っていました」

背中に冷たいものが走るのを感じながら、トルーマンは答えた。畜生、英国情報部の外套と短剣を操る長い腕はどこまで伸びているんだ。

同上書、179-180頁。

さてさて。惜しむらくは、これだけの膨大な設定を抱えながら、本作は当初の構想よりも大幅に巻数を減らしての出版であったと仄聞しています。田中芳樹作品のように、シェアード・ワールドがもし(・・)出版されると嬉しい限りです。

矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん!』

「平岡さんは、国としての西日本をどう思われますか?」と、私は尋ねた。

「国ね。《壁》の西は、富を得て国家を失ったような場所だからな」

「これは意外だな。では、どんな国家がお望みなんですか」

「さあ」と、彼は言い、口の端に手榴弾のピンのような笑いをそっと浮かべた。

矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん!』(上)新潮社、1998年、247頁。

第二次大戦の敗戦により東経139度を境に東西に分断された日本。

西に大阪を首都とする「大日本国」、東を東京を首都とする「日本社会主義人民共和国」。かくして東経139度には「壁」まで建設された。

そして、半世紀。京都御所で昭和天皇が崩御し、ひとつの時代が終わる中、来日した米国人記者は、東西日本の運命を左右する事態に巻き込まれていく・・・。

アテンション・プリーズ。この小説を何と形容したらいいのか、正直わかりません。

なにせ、まずタイトルから「読めない」。

タイトルの最後の「ん」は実は「ん」と「!」を結合させた架空の文字です(カバーの画像見てください)

この、最初から読む人を困惑させ気まんまんで、本編も進みます。

しかし、それでいて、本作は(まご)うことなき傑作です。

全篇に散りばめられた、衒学的な、アイロニー、パロディ、ギャグ、複線・・・諸々、一度読んだだけでは、到底、理解不能。それでいてストーリーの展開はしっかり追えて、飽きさせない。

なんでしょうか、例えるなら、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』に、映画「インディー・ジョーンズ」と空知英秋のコミック『銀魂』をブレンドした感じでしょうか?(失礼!)

例えば、こんなブラックジョークまがいの東日本建国史秘話。

戦前からの日本共産党は跡形もなくなっていた。幹部クラスで残っていたのは野坂参三ただひとり、他はスターリンの勲章に釣られてモスクワへ呼び寄せられ、そのまま帰らぬ人となったのだ。伝達式に正装で臨んだところ、ドアの向うは、秘密査問会場だったというわけだ。

同上書(上)、164頁。

合掌。

また、例えば、現実の自衛隊の英称は「ジャパン・セルフ・ディフェンス・フォース」(JSDF)ですが、本作の東日本の軍隊は、「ジャパン・ソーシャリズム・ディフェンス・フォーシズ」(JSDF)で、「社会主義自衛隊」(笑)。

全編こんな感じで展開していきます。

更に、前述の『征途』もそうでしたが、史実の人々が、まあ、わんさか登場致します。

現実とは全く違う立場と役割で。

田中角栄、中曽根康弘、渡辺美智雄、川端康成、小林秀雄、ヘミングウェイ、ライシャワー、そして平岡公威(三島由紀夫!)etc.

この辺りだと、まだわかるのですが、更には、

加山雄三、笠置シヅ子、長嶋茂雄、山下清、明石家さんま(!)

一体どんな「奇想」な戦後史が繰り広げられるかは、是非、本書をお読み下さい。

「日本」の正統性はどこか?

なぜ?と、私はその問いを右から左へ田中角栄に投げつけた。

彼は言った。東日本で戦後を生きることになった者は、心に焼けた石をのみこまざるをえなかった。自分は天皇を裏切って生き延びたのだ、という石を。その天皇が天に召されたとき、石は取り除かれ、《壁》は結界ではなくただの境界になった、と。

同上書(下)、323頁。

日本が分断国家になった時に、一体どちらが、「正統」な日本であるかが問われると思います。それは、他の分断国家でもそうでしょう。

南北朝鮮は、お互いを対等な国家として認めてきませんでした。

例えば韓国は、北朝鮮側に地方行政単位としての5つの道(「以北五道」)を設定していて、ここの知事も任命しています。しかし、もちろんその知事は、自分の任地には赴任できないし、韓国が行政を執行することも物理的にできません(だって北朝鮮の支配地域だから)。

なぜそんな「無駄」な官職や行政機構を置くのかというと、それは、韓国が北朝鮮を対等な主権国家として承認していないからです。北朝鮮の「国土」はあくまで韓国の「国土」であり、不当に占拠されているに過ぎない。いわば「反乱地域」。その地域の支配権の正統性は自分たちにあるのだ、と。

これは、中国と台湾の関係にも言えます。

中国(中華人民共和国/北京政府)も台湾(中華民国/国民党政府)も、共に「自分達こそ正統(・・)中国(チャイナ)の政府だ」と主張している訳で、実効支配している広さに関係なく、台湾にしてみれば、対岸の中国大陸本土は全て「反乱地域」であり、いずれ主権を回復する(大陸反抗)必要がある地域となります。

もちろん、これは逆に北京政府=中国共産党側もそのロジックを用いることになります(北京政府側も「中華人民共和国台湾省」を名目上だけ設置しています)。

言い換えると、中国(チャイナ)には二つ(・・)()政府があり、その正統性を争っていることになります。

この支配権力の「正統性」の問題。日本の場合は、どうも「天皇」に帰着するようです。

マックス・ウェーバーは、「正統性」を三つの理念型(モデル)に分けました。

  • 合法的支配の正統性
  • 伝統的支配の正統性
  • カリスマ的支配の正統性

天皇という、君主にして宗教的存在(祭祀王)は、伝統的支配の正統性を与えるのに有力な「装置」となります。

『あ・じゃ・ぱん!』においては、京都(西日本側)で昭和天皇が崩御することで、日本版の「汎ヨーロッパ・ピクニック」(ベルリンの壁崩壊の道を開いた)が発生します。

本節の冒頭に掲げた分析で言えば、「昭和天皇への後ろめたさ」が、代替わりで、一気にその呪縛を解かれた形ですが。

天皇というのは、好き嫌いを別にして、日本人にとって極めてナイーブな存在です。

政治学では「ミランダ」という概念がありますが、これは支配の服従を調達する為、被治者の理性ではなく情念・感傷に訴えるもの(国旗、儀式など)です。天皇もこちらでしょう。

また対概念として、「クレデンダ」というものがあり、これは人間の理性に訴える合理的な手段です。「赤い日本」が(建前上であれ)掲げるマルクス・レーニン主義はそのひとつです。

そして後者は前者に勝てなかったように見えます。

作中、ハリソン・ソールズベリーが書いた『暁の選択/東京の白い雪』(もちろん実在しない架空の本)の一節が登場します。

『東日本が、毛沢東、金日成のような国父、アジア的社会主義の指導者を持ちえないのはなぜか。社会主義理念の中心に喪失感を持ち続け、国民もまた指導部に対して決定的な虚無感を抱えているのはなぜなのか。私にはそれが、“自国の一部に不法に君臨する”天皇と大いに関係があるように思えてならない。もし、東京の共産政権が、自らの手で天皇の系譜を断ったうえで樹立されていたらどうだったろう。この空想は、大いに刺激的だ』

同上書(下)、324頁。

今回紹介した『征途』では、あまり天皇に触れられませんが、それでも、1951年の北海道戦争の戦場では、警察予備隊の隊員らが歌う「君が代」に、赤い日本兵たちも銃を捨て合唱する印象的なシーンがあります。

佐藤大輔風に言うと、“天皇(エンペラー)の魔法がマルクスの亡霊を滅ぼした”とか?

どうでもいいんですが、日本も、北方四島の領有権を主張するなら、いっそ行政区画や首長を形だけでも置いちゃえば・・・。

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