機動戦士ガンダム『一年戦争全史』~虚構とリアリティへの執念

筆者は歴史学者として問いたい。地球連邦に国家元首がいるとすれば、それは何者であるかと。その職名、個人名いずれもが、あらゆる文献から排除されていることは、いったい何を意味するのかということを、研究生命を賭して問うものである。

『機動戦士ガンダム 一年戦争全史』(下)、2007年、107頁。

ガンダム関連本数多しといえども、この類書はないのではないでしょうか?

体裁は学研の戦記ムックシリーズと同じです。

後世(・・)()史家・研究者が「一年戦争」を研究・執筆した戦記本という設定で構成されています。

つまり、ガンダムの「一年戦争」を、どこまで史実の如くリアルに描く(再構成)できるかにこだわった本と言えます。

↑上巻は、一週間戦争からオデッサ作戦まで。

↑下巻はジャブロー降下作戦からア・バオア・クー攻防戦まで。

執筆陣には、SF作家の林譲治(『星系出雲の兵站』シリーズ!)を中心に実力派揃い!

岡田有章、上田信、高荷義之らのイラストもリアルな戦場風景と兵器としてのモビルスーツを、これでもかと表現しています。

これは史実か?

我々が第二次世界大戦を振り返るように、本書も、一年戦争後の人々が、一年戦争を振り返る形での歴史・軍事研究の書の形を取っています。

両軍のドクトリンの考察あり、戦闘序列表あり、進撃図あり、兵器工学からの考察ありetc.と、垂涎ものの論考・図表・イラストに溢れていますが、いくつか興味深かった論考をピックアップします。

インフレ状態のジオン軍の階級

(上巻112-113頁)

ジオン軍の階級と役職の相関関係のおかしさは、観ていていつも気になるところでした。

大佐であるガルマが「地球方面(・・)軍司令官(・・・・)」だったり、大軍を率いるマ・クベが佐官だったり・・・。

本稿では、その原因を、ジオン軍が「革命軍」である点に求めて説明しています。

確かに、将官のいない軍隊とか、国家指導者が「大佐」だった国とか、歴史上存在しますからね。

巨大な官僚機構である地球連邦軍との対比で、そのメリット、デメリットをと論じ、特に、大戦末期に、その独特な「気風」が仇になる点まで。

ジャブローの存在意義

一大地下要塞にして地球連邦軍総司令部ジャブロー。

この地下要塞(というか地下都市)の必要性は、単に軍事戦略上のものだけではないようです。

地球連邦軍の司令部がアマゾンの奥地ジャブローに建設されたのは、そこが堅固な地下要塞であるからというよりも完全に人口的な居住空間で生活することで、国や民族の帰属意識を取り除く為ともいわれている。

同上書(上)、105頁。

なるほど。地球連邦軍人は、地球市民でなければならない。

従って、ナショナリティのようなものは、漸次、消していかなければならないのですね。

地球連邦は、「連邦」ではありますが、その連邦構成国(国民国家)は漸次その価値を下落させていく必要がある。

もともと、現代の国民国家(ネイション・ステイト)はそれ自体が、自明のものでも自然のものでもありません。

「ネイション(国民)」というのは、近代に人工的・作為的に作られたものです。

慣習・文化・言語の違いを矯正・統合して無理に「フランス人」とか「日本人」という単位を創出(イメージさせ)し、これを、「ステイト(秩序状態・権力機構)」と結び付けた政治概念が「ネイション・ステイト」です。

これにならって、地球連邦政府は、地球上の慣習・文化・言語の違いを、極力(・・)、政治的統合とは切り離して、「地球市民」という政治概念を創出しようとしているのでしょう。

しかし、穿った見方をすれば、単に、アースノイドとスペースノイドという新しい「他者」(敵)が生まれたがために、「地球市民」のアイデンティティは成立したとも言えるかもしれません。

このアースノイドとスペースノイドという「政治単位」ですら、成立に1世紀を要していないとすれば、国民国家の解消も不可能ではないでしょう。

史上最大の陸上作戦「オデッサ作戦

(上巻56-62頁)

ヨーロッパ反抗作戦(オデッサ作戦)につても、その過程が詳しく記されています。

オデッサ作戦に動員された連邦兵力は770万人(!)だそうで、対するジオン軍の地上()兵力は98万。

いやはや、なんですかこの数字は。第二次大戦における「史上最大の陸上作戦」と呼ばれるバルバロッサ作戦(ソ連侵攻)のドイツ軍兵力で400万人。「史上最大の戦車戦」と言われたクルスク大戦車戦が両軍合わせて200万(最終的に400万人)だそうなので※1、770万の大きさがわかると思います。

そりゃ、マ・クベも核兵器使いたくなりますよね・・・。

本稿でも、「神技的」と称されていますが、「いつから」計画されていたかは謎だとしても、これ程の大兵力の展開・集結・兵站を行えたレビル将軍は、その意味でやはり「天才」なのでしょうね。あんたハンニバルの生まれ変わりか?

ナチス・ドイツとジオンの類似

(下巻102-105頁)

ナチス・ドイツは、各部門の長がおのおのの部門を自分の権力基盤とした。ただし、ヒトラー自体はその全体を統括する権限を握り続け、各部門を分割統治していたといえる。だがジオン公国は、総帥たるギレン・ザビに対抗する勢力が存在しており、一種の「群雄割拠」の状態だった。

同上書(下)、105頁。

ザビ家兄弟の確執が、実質的に軍閥を生んで、それが戦争遂行に大きな影を落とします。

そりゃ、宇宙はドズルの宇宙攻撃軍とキシリアの突撃機動軍に分かれているわ、情報機関と資源採掘部隊・海洋部隊はキシリアが握っていて、地球方面軍の一部に指揮が食い込んでるわ、ギレンは自分の総帥親衛隊を持っているわ・・・。

これでは、戦争が、特に押されている時には、大きな足かせになります。

軍事合理的な戦争指導に対して、政略が食い込んできますから(本書では、特に、コロニーレーザー使用時の「目標」選択を非難しています)。

このような軍閥化は、実際の全体主義国家などでも、よく見られる負の現象でもあります。

冒頭のナチスしかり、ソ連や中国なども大なり小なりそういう面があります。

90年代位までの中国人民解放軍も、地方(軍区等)が軍閥化していたり、ソ連の場合は、各軍に加えて、内務省軍やKGBの武装部隊もいたわけですし。

そういえば、ジオン軍には、政治将校がいませんね。

「地球連邦」は最善策なのか?

当時の地球連邦の行政システムはわからないことが多い。旧世紀のアメリカ合衆国の連邦制ではなく、どちらかというと旧ソ連の連邦制に近いものと思われる。

同上書(下)、104頁。

では、地球連邦の軍令・軍政はどうだったかというお話ですが、こちらもなかなかに「危うい」ものがあります。

議会に現役武官がいるくらいですから。

ただ、連邦軍全体の戦争指導がレビル大将に一任(?)されていたことから、

いわばレビルは、ギレン・ザビが夢見て果たせなかった完璧な軍事的独裁を、それが有事限定のものとはいえ、民主国家において実現していた存在だったともいえるのである。

同上書(下)、105頁。

言うなれば、ジオンが戦略級部隊の指揮官レベルで、軍閥化(群雄割拠)していたのに対して、連邦軍は、連邦軍自体が軍閥化して、地球連邦の統治システムを浸食していたイメージでしょうか。

この問題から、「地球連邦」のような巨大すぎる政治単位は果たして、作るべきなのか?という疑問も生まれてきます。

カントは『永遠平和のために』の中で、「世界統一国家」よりも「平和連合」にすべきだと説きます。

現代のグローバリズムを何歩も推し進めたかのような「地球市民」の創出は、確かに、地面をローラーで均すが如く、各地域のアイデンティティを踏みにじるかもしれません(先述のジャブローの目的を見れば)。

また、地球全体を統治する政治権力は、その巨大さ故に、それを民主的に統制するのは、物理的に無理なのではないか?と感じざるを得ません。

そういえば、両軍とも、これだけ巨大な軍隊なのに、「元帥」が見当たりませんね。

ガンダムファンの執念

率直に言うと、ガンダムの初期(放映当時)の世界観というか、細部の設定は、今から見ると、それほど緻密に、計算して設計・構成されていたとは言い難いと思います。

しかし、その後の様々なメディアミックスを経て、「洗練」されていきます。

ぶっちゃけ、「設定としておかしいだろ」という設定すら、知的動員をかけて、「いや、こういう理屈がなり立つんだ」と、牽強付会理論付けしてしまいました。

この後付けできる「自由度」「遊びの部分」が、知的な「洗練」が可能だった理由ではないでしょうか。

逆に、細部の設定が最初から厳密に詰められていたら、後の「自由な」世界観の構築や後付けの妙(発展)も生まれなかった。

では、それにガンダムファンを狩りたてたものは何か?

やはり、戦争に向き合ったテーマ性や、モビルスーツという兵器の魅力、宇宙戦争の壮大さ、登場人物の人間模様など、各種の素材の魅力にあったと思います。

しかし、兎にも角にも、ファーストガンダム最大の問題は、「戦争期間が短すぎる」でしょうね。いやいや、たった1年のタイムスパンでここまで展開できないでしょう・・・。

こちらも併せて

本作のような、インテリにも十分に楽しめる「ファーストガンダム」という試みは、他にもあります。以下、いくつかご紹介します。

一年戦争戦場写真集

一年戦争の戦場写真集という体裁のイラスト集です。

決定的な歴史上の場面、戦場での悲惨や、兵士の日常、戦時下市民の生活など、極めてリアルに「切り取れらた」、一年戦争の群像風景です。

コミック版「一年戦争全史」

「再解釈」とか「新約」とか称されている巨匠・安彦良和による全24巻にも及ぶまさにコミック版「一年戦争全史」が「機動戦士ガンダムTHE ORIGIN」です。

一年戦争を、ストーリーの骨格を残しつつ、ひたすらリアルに「再設定」(再構築)しています。

例えば、ジャブローは、地質的に無理があったアマゾン川流域からギアナ高地になっています。

ホワイトベースの搭載機がたった3機というのも無理がありましたが、これも是正、複数の機体が運用されています。

人物設定でも、ガルマ大佐は北米方面軍西部地区軍司令官に()下げ(・・)し、逆にマ・クベは地球侵攻軍司令官・中将に()上げ(・・)されています。

ブライトも士官候補生ではなく、最初から青年士官(中尉)として登場します。

また一年戦争前史として、幼きシャアやセイラ、連邦とジオンの関係悪化の過程も丹念に描かれています。

十分、大人の鑑賞に耐えられるよう知的に「仕上げ直された」作品になっています。

※1.青木基行『クルスク大戦車戦』学習研究社、2001年、10頁。