様々なメディアミックスが展開されている小松左京のSF小説『日本沈没』。
小松左京の膨大な知識を土台に展開される傑作小説です。
派生した映画版(1973年)やコミック版(一色登希彦・版)は原作に劣らない傑作として知られています。
もし、日本列島が1年後に沈没することが明らかとなった時、日本政府、そして日本人は、一体どうなるのか?
日本政府は、日本国民の国外退避計画「D計画」によって、全力で国民を国外退避させようとします。
日本人はこのディアスポラ(民族離散)によって、事実上、第二のユダヤ人となるわけですが、果たして、その日本沈没によって、国際情勢はどうなってしまうのでしょうか?
世界経済・国際金融にまではとても手に余るので、国際政治・軍事情勢に絞って考えてみます。
自衛隊をどうするのか?
日本沈没と日本人の国外退避という最大の国難に、日本は国力の全てを傾けなければならないのですが、その輸送・救援の陣頭に立つのが自衛隊になるでしょう。
自衛隊の持てる人員・装備もこの方向に全力投入されます。
これは実際に災害や、映画で見慣れた光景ですが、ひとつ忘れている事があります。
自衛隊の本質は軍隊であり、戦うことです。装備も、その兵器(武器)がメインになります。
輸送や救助に資する装備ばかりではない。
単純にいって、輸送車両やヘリコプター、艦船はフル稼働で、いくらあっても足りませんが、逆に戦車(まあ輸送にも使えるかもいれませんが)、自走砲、戦闘機、潜水艦などといった戦闘に特化した装備は、一体どうするのでしょうか?
駐屯地や基地に放置して、そのまま海に沈めますか?
おそらく、それはないでしょう。
救助・輸送に資さない膨大な兵器を遺棄することは、おそらく許されない。
それは、自衛隊上層部や政府が許さないのではなく、米国が許さないでしょう。
特に、航空自衛隊の戦力は、その乗員・支援要員含めて、米国の世界戦略にとって、重要な「駒」であり、宝の山です。それをみすみす、海に沈めるなぞ、言語道断。
また、海上自衛隊は世界的にも有数の艦隊を擁しており、米海軍と一体化していると言っても過言ではないほどの密接な関係にあり、これも同じく貴重です。
おそらく、グアムやハワイなどで全て受け入れて、温存するように日本政府に強制要請するでしょう。
また、陸上自衛隊の戦闘部隊なども北海道の強力な部隊(第7師団など)を中心に、「駒」として温存するべく、民間人の退避より優先して、国外に移動させようとするでしょう。
その為に、本来助かるはずだった民間人の犠牲も止むなしと。
この「軍備退避」が、人命よりも優先されるのは非情なことですが、米国にとっては、「日本沈没後」の世界戦略を再構築する上で、欠かすことが出来ない事業です。
亡くなるのは、米国市民ではありません。後世、国際政治の非情を物語るものとなるでしょう。
韓国に訪れる脅威
日本列島の沈没という未曽有の地殻変動が、周辺諸国ひいては環太平洋沿岸に及ぼす影響は計り知れません。特に地震と津波は、スマトラ島沖津波(2004年)や東日本大震災の比ではありません。
まず、韓国は、沿岸部はもとより、なにより済州島が相当な被害を受けます。済州島はもしかすると巻き込まれて沈没するかもしれません。
重要な釜山港を喪うのも確実。
韓国は、対日支援どころではないはずで、第二の被災国となるでしょう。
そうすると、その混乱に乗じて、北朝鮮が、何らかの大胆な行動を取るかもしれません。
韓国の防衛にとって重要なのは在韓米軍の存在です。
しかし、日本沈没により、在日米軍基地という後背・バックアップを喪い、いきなりハワイやグアムにバックアップ機能が遠のいたわけです。
米国にとって、韓国が、日本亡き後、東アジアにおける大陸への「孤立した」橋頭堡となるか、はたまた、混乱に耐えられず大陸側(中国)に靡いてしまうのか。予断を許さないでしょう。
台湾
台湾はどうでしょう?
無傷ではないでしょう。但し、後述するように、南西諸島がどうなるかによって、その状況は大きく異なります。
それを置いておくとしても、米国が、在日米軍基地を喪うので、韓国と同様に、かなり不安定な状況になるでしょう。
中国がこれを機会に、「1つの中国」を「実践」してくる可能性は皆無ではありませんが、中国沿岸部もそれなりの被害を受けているとしたら、それどころではないかもしれません。
南西諸島が沈むか沈まないか問題
おそらく、日本沈没後の国際情勢にとって最も重要になる分岐点は、南西諸島が沈むかどうかでしょう。
「日本沈没」のメディアミックスの内、映画版(1973年版)では沈んでいるようで、他方、一色登希彦のコミック版では沈んでいません。
さて、九州に近い、大隅諸島やトカラ列島は駄目かもしれませんが、問題は、それ以南、つまり奄美群島や沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島が沈むかどうか。
沖縄は、米国にとっては、嘉手納基地をはじめとする有力な米軍基地があり、日本列島沈没後も、韓国・台湾を支える為の重要な根拠地となります。
ここまで沈んでしまえば、韓国・台湾を防衛あるいは自国の勢力圏として支えることがより難しくなってきます。
次に、日本にとってはどうでしょう。
これはもう、日本にとっては文字通り死活問題です。なぜなら、沖縄が残れば日本沈没は「日本列島沈没」であって、「日本国沈没」には、ならないからです。
沖縄さえ残っていれば、そこは日本の国土であるので、那覇に遷都し、できる限りの国民を退避(移住)させて、日本国の存続を図るでしょう。
沖縄まで沈没するケースに比べれば、苦難の道ですが、同じ苦難でも雲泥の差です。
但し、南西諸島のみが日本国の国土となると、別の問題も発生します。
それは従来の県民と本土からの移住者との対立です。
沖縄にとってみれば、本土との軋轢を長年抱えてきたので、この機会に「琉球」として独立しようという「地域ナショナリズム」が勃興することは、おそらく避けられないでしょう。
一色登希彦のコミック版では、沈没前後に沖縄は独立していますが(!)、日本国の存続を第一に日本政府が行動したら、下手をすると内戦まがいの状況が出現するかもしれません。
対して、南西諸島も含めて、文字通り、日本の国土が全て消滅する場合、日本国が主権国家として存続するのは極めて困難な道となります。
統治機構は国土なしで存続できるか?
全国土の消失の後も、日本国が主権国家として存続するのは、ある意味、日本人の国外退避そのものよりも難題かもしれません。
そもそも「主権」とはなんでしょうか。
主権とは、16世紀の思想家ジャン・ボダンによって提起されましたが、ざっくり要約すると「一定の地域(国内)で、絶対的で最高の、恒久的な不可分の権力」です。
多少、揺らぎや議論・諸説はあるとしても、現代でも「主権」の大枠はここにあります。
これを前提に日本沈没後を見てみると、実体としての日本政府がどこかに避難した、暫定的に所在したとしても、現状、無主地が存在しない以上、他の主権国家の土地に、間借りしている状態しかできない訳で、そこの主権は他国政府にあって日本政府にはない以上、「主権」があるとは、実態としては無理があります。
国土を喪ってしまうと、抽象的な「日本国」は法人格としては存在しても、実態としての主権国家の存続は、甚だ怪しい。
どこぞの国なりが、国土の一部を割譲・売却してくれない限りは、極めて困難なことがわかります(19世紀に米国がロシアからアラスカを購入したような)。
とはいえ、日本政府の置かれた状況は、ちょうど、第二次大戦中にナチスに祖国を追われた欧州各国の亡命政権(在ロンドン)に近いものですから、全く打つ手なしとはいえません。
実際、朝鮮戦争で、韓国が危なかった時に、米国はグアムに韓国政府及び韓国人10万人を受けいれる計画があったそうです。
現在でも、長期に渡って、亡命したままの政府としては、チベット亡命政府(在インド)がありますし。
租借という手もあるかもしれません。友好国の一定地域を租借するという形です。
しかし、どちらにしろ、そこに全日本人を収容することなど不可能なので、ほとんどの日本人は世界中に難民として散らばることになります。
その散らばった日本人に、具体的には難民キャンプに、遠く日本亡命政府の施政権・保護が及ぶということは、まず考えられません(それこそ、難民受け入れ国の主権の侵害です)。
難民がどう扱われるかは、悲観的にならざるを得ません。
各国がどこまで日本人退避・受け入れに、表面上はともかく、実際に動いてくれるのか?
近年のシリア内戦による難民を見ていても分かる通りです。
そして、時間が経つにつれて、日本亡命政府の正統性は揺らいでくるでしょう。
最初の数年はいいとして、全国民が散り散りになってしまっている以上、国政選挙を行うことは、物理的に不可能です。
沈没時の日本政府(政権)が、そのまま政権交代もなく、国会の議員の改選もなく。ズルズルと存続してしまうかもしれせん。
その場合、その政府の正統性や合法性は必ず問題になってくるはずです。
(ネット投票や何やらは土台無理です。沈没の大混乱で有権者を確定できなくなっているだろうし、そもそも、もう日本は最貧国、日本人は貧しき難民なのですから)
また、先述した通り、自衛隊は海と空を中心に有力な戦力が、沈没後も残されるはずです。
これの扱いをどうするか。
まさか、日本政府の指揮下のままで、各国の日本人難民の支援にはあてられないでしょう。
それも主権侵害の問題がでてきます。
せいぜい、国連の指揮下、国連軍のような形で落ち着くかもしれませんが、可能性が高いのは、国連指揮下には、難民支援などの陸上自衛隊がメインとなり、航空自衛隊や海上自衛隊、そして一部の陸上自衛隊部隊(特に精強な部隊)は、名目上は日本政府の指揮下で、米国国内(本土ではなくグアム等でしょうが)にその駐留を認められるという形です。
日米安保条約を結ぶ同盟軍として。
米国は、自衛隊を、自国軍の補完的軍隊と見なしているので、有力な「駒」として利用したいはずです(特に関係の深い海上自衛隊は一体的に運用されます)。
そのためにも形式的にでも、日本政府を存続させる労は惜しまない筈です。
そして自衛隊の実質は、アメリカ太平洋軍の一部として組み込んでしまうのでしょう。
米軍は前方展開の大幅な見直し
ともかくも米国は、日本沈没で、世界戦略の大幅な修正を迫られるでしょう。
かなり巨視的なお話になりますが、米国の世界戦略に大きなウェイトを占める学問として、「地政学」というものがあります。
詳しくは、別記事に譲りますが、地理による国家間関係の歴史的・軍事的なメリット・デメリットを考察し、国家戦略に反映させるという、甚だ、ダイナミック・動態的な(悪く言うと血生臭い)学問です。この点、静態的な「国際政治学」や、紙一重に見える「政治地理学」とも異なります。
★関連記事:H・J・マッキンダー『デモクラシーの理想と現実』読後雑感~アメリカの世界戦略は、ここに全て書かれている(地政学)
そんな地政学の米国における代表的な人物のひとりにニコラス・スパイクマンという人物がいます。
彼は、潜在的な脅威であり続けるユーラシア大陸の勢力(大陸勢力)を、封じ込めるために、ユーラシア大陸の沿岸部外周地帯(リムランド)を掌握する重要性を説いています。
現在の国際情勢を見てみれば、確かにその通り動いている訳で、中国・ロシアという大陸勢力を、米国はリムランドの諸国と同盟し、軍を派遣し、軍事基地のネットワークを構築し、包囲している状態にあります。これを「前方展開」戦略といいます。
ところが、日本沈没は、この計画を大きく狂わす。
米国などの西側自由主義陣営(=海洋勢力)が大陸勢力と渡り合う、あるいは封じ込めるためのリムランドのキースストーンたる「日本」がそっくりそのまま消え失せてしまう訳ですから。
南西諸島が残っていれば、在沖縄米軍は強化され(基地返還の道は閉ざされます)、在韓米軍も強化されるでしょう。
もし、南西諸島まで沈んでいれば、特に、フィリピンやオーストラリアの重要性は否応なしに増すでしょう。
フィリピンにはかつて、米軍のスービック海軍基地やクラーク空軍基地がありましたた。これが90年代に返還されていますが、再び、軍事拠点を求めるでしょう。
米第7艦隊は、横須賀を拠点としていましが、それに代わる軍港を求めるはずです。
グアムが強化されるでしょうし、オーストラリア北部(ダーウィン)にも海軍基地を求めるでしょう。
G7には日本に代わってオーストラリアが仲間入りするのが濃厚です(これでG7は完全に欧米のクラブになります)。
中露にとっての日本沈没
他方、中国やロシアにとっては、日本沈没はどのような影響を与えるでしょうか。
アメリカの極東におけるプレゼンスが大きく低下することは間違いないので、大喜びでしょうか?
しかし、喜んでばかりはいられないかもしれません。
両国とも、日本との距離的近さから、被害を受ける可能性は高い。
また、その距離や大国であるがゆえに、日本人の退避先の有力な候補になります。
これは、嫌でも避けられないでしょう。
国連の場、あるいは国際世論、体面を考えればその負担はやむを得ない。
しかし、何百万、下手すると1千万人単位の異民族、かつ、彼らは奴隷ではなく、西欧の自由民主主義にどっぷりつかった人々であり、それを国内に「飼う」というのは、全体主義国家の為政者たちにとっては、極めて「危険」な、悩みの種になるでしょう。
更に、中国もロシアも、太平洋に進出する障害は事実上、沈んでくれた訳で、日米両軍の「妨害」「監視」を受けずに堂々と展開できる海が目の前に広がっている、と考えるのは早計かもしれません。
なぜなら、日本列島を沈める程の地殻変動。日本列島の跡の海域はどうなっているのでしょう?
海底噴火やら隆起やら暗礁やら、海底火山活動やら、安全に航行できる海域なのでしょうか?
そこが事実上、暗礁海域・閉鎖海ならば、列島が立ち塞がっているのも同じです。
海軍の行動は多く制約されますし、特に海底の地形激変は、潜水艦の行動を大きく制約するはずです。
おまけに、日本が沈むということは、そこにあった工業地帯や都市部の建造物、燃料・薬品の類も大小無数に破壊され、水没ないしは漂流するのであり、それが西太平洋を漂流し、中露沿岸に大挙漂着してくるかもしれません。
なにせ1億2千万の人間が生活していた巨大産業地域・都市が破壊されたのですから、とてつもない量となる。
更には、原発が破壊されるので、核燃料の流出もあり得るでしょう。
まさに「旧日本列島海域」は、文字通り、現代の「魔の海域」になる訳です。
【後編に続く】