映画「UFO~オヘアの未確認飛行物体」~あの日、あそこで「何が」起きたのか?【感想】

2018年(米)、88分。

「世界最大の謎は何だと思う?神の存在。死後の世界。それから、宇宙の知的生命の存在。その一つでも答えが見つかれば、全てが変わる。」

(本編より)

あらすじ

2017年10月17日、米国ケンタッキー州、シンナシティ・ノーザンケンタッキー国際空港。

多数の乗客や空港職員が、空港上空に「何か」を目撃し、空港内は騒然となる。

事件直後から介入する連邦政府・FBI。

当局は、「ドローン」であったと発表し、事態の鎮静化を図ろうとする。

この報道に違和感を覚えた数学科の大学生デレクは、その数学的才能で、独自に真相を探ろうと動き出す。

果たして、あの日、あの場所で「何が」起こっていたのか?

※以下、多少ネタバレあり

タイトルに騙されるな

本作の副題は「オヘアの未確認飛行物体」となっています。

これは2006年11月7日にイリノイ州シカゴのオヘア国際空港で起こったUFO(未確認飛行物体)目撃事件を指しています。当局は、この目撃事件を気象現象と発表しました。

当然、誰しもが、このオヘアでの「事件」を映画化したものと思われて、鑑賞するでしょう。

ところが、冒頭から予想は裏切られ、時は2017年、所はシンナシティのノーザンケンタッキー空港を舞台に物語は始まります。

どういうことやねん。

どうも、オヘアのUFO目撃事件を()()した(・・)作品のようでして、オヘアの事件が直接描かれる訳ではないのです。

なんか騙された感がありますね・・・。

また、最初はオヘアの事件の作品だと思っていたので、一種のモキュメンタリーのような作品を想像(期待)していたのですが、当然、これも外れます。

UFO関連のモキュメンタリーといえば、映画「フォースカインド」のような秀作がありましたね。文字通り「第四種接近遭遇」です。

あんな感じで、オヘアの事件を追う形にしたら良かったのに、とも。

数学×SF

それはそれとして、気を取り直して、鑑賞してみれば、本作は非常に面白い視点でのUFO映画となっています。

雰囲気は、往年の「Xファイル」(但し初期シーズン)といったところでしょうか。

なにせ、あのXファイルのヒロイン、ダナ・スカリーFBI特別捜査官役のジリアン・アンダーソンが、主人公の大学の数学者として出演しているんですから。

そう、数学なんです。

本編は数学×SFというモチーフの作品です。

UFOが残したメッセージを数学の天才である主人公が解読していくという形で進行していきます。

言語学×SFがモチーフだった映画「メッセージ」のような作品との親和性があります。

他に例を挙げれば、映画「コンタクト」とか。

そんなテイストの作品です。

フェルミのパラドクス

なぜ数学なのか?

そもそも、可能性に満ちた宇宙で、なぜ未だに異星人と接触できないのかと言う疑問があります。いわゆる「フェルミのパラドクス」です。

本作の主人公デレクが友人と異星人の「姿」に関して議論する場面があります。

いわゆる「グレイ」のような姿と想像する友人にデレクは言います。

「多分だけど、―想像の域を超えた姿じゃないかな」

人間の想像には限界があり、だからこそ、神は厳かな老人とイメージされ、宇宙人はグレイのような姿をしています。つまり人間の延長や、地球の動植物の延長です。

しかし、宇宙の可能性の広さを考えると、そんな想像を吹き飛ばす、文字通り埒外の存在である方が、はるかに可能性が高い。

そんな相手とコミュニケーション可能なのか?

世界的ベストセラーとなったSF小説『三体』にもこんな台詞がありました。

「異なる文明種族間の生物学的な差異は門か界のレベルに達するかもしれない。文化的な違いとなると、とても想像がつかない」

劉慈欣『三体Ⅱ黒暗森林』(下)早川書房、2020年、296頁。

そう、想像を超えるのです。

そもそも、お互いを、認識できるかどうかも疑わしい。人類の生物学の範囲を逸脱してしまっている場合は?

そんな時、唯一の可能性があるのが、数学でしょう。

数学はそれ自体、形而上的なものなので、人間が作ったものではない。発見したものです(これには異説・反論はあります)。

つまり、星を超えた普遍言語の役割を果たせるかもしれない。