NHK「エマージェンシーコール 〜緊急通報指令室〜『東京』」~「公助」と「甘え」の狭間で【感想・雑感・解説】

2022年1月13日に放送されたNHKのドキュメンタリー「エマージェンシーコール 〜緊急通報指令室〜『横浜』」の第二弾『東京』が、2022年10月10日・2022年12月3日に再放送されました。

前回は横浜市消防局警防部司令課司令センターでしたが、今回は東京消防庁災害救急情報センターの「日常」を淡々と切り取っています。

前回放送分『横浜』編の記事はこちら(→「エマージェンシーコール」~壮絶すぎる119番通報の最前線

NHK「エマージェンシーコール」見逃した方へ

NHKプラス

NHKの動画配信サービス「NHKプラス」では、放送後一週間、見逃し配信を行っています。

但し、NHK受信契約が必要なサービスです。

(※「NHKオンデマンド」とは別の配信サービスですので、混同しないようにご注意ください)

【NHKプラス配信情報】

「東京」:2022年12月10日(土)午前9時30分まで

「横浜」:2022年12月11日(日)午前3時54分まで

U-NEXT

以前は、U-NEXTでも配信されていましたが、現在は配信されていないようです。

【U-NEXT】申込はこちらから

【NHK総合】

  • 「東京」:2023年10月7日(土)午後4時25分~

「非日常」が「日常」になる場所

淡々と指令員は119番を受理している場面が続きますが、これが全て「緊急事態」なのですよね。

つまり一般市民にとっての「非日常」が「日常」になっている場所な訳です。

その精神的負担は想像するに余りあります。

また、指令員は、災害・救急の第一報の受理、初動指示だけなので、その先、その災害・病状がどうなったのかを、知ることはありません(それは現場の消防隊・救急隊や病院の範疇になるからです)。

その「命」の行方・結末を見ずに、ただただ、文字通り、次々と「命を(つな)ぐ」ことを黙々とこなしてく。

まさに「終わりなき戦い」です。

2つの指令センター

本作の舞台となる指令センターは2か所あります。

  • 災害救急情報センター(千代田区・東京消防庁本庁内)
  • 多摩災害救急情報センター(立川市・立川消防合同庁舎)

23区内の119番を前者で、23区外の119番通報を後者が受理(受付け)しています(一部を除く)。

Tokyo Fire department
東京消防庁本庁舎
fire-brigade
立川合同庁舎

多摩の指令員の方もいましたね。

指令センターが2か所あるのは、東京都の人口が多いのも勿論ですが、震災などで、一方がダウンした時のバックアップの意味もあります(ちなみに警視庁も同じ体制)。

実際、多摩災害情報救急センターのある場所は、千代田区の官庁街が機能不全に陥った際のバックアップ(代替施設)として整備された「立川広域防災基地」内にあります。

(詳しくはこちらの記事を→立川広域防災基地~「シン・ゴジラ」聖地巡礼

おんぶにだっこ?

以前、時の政権が「自助・共助・公助」を掲げて、批判を受けたことがありました。自助が筆頭で、公助が末尾なのは如何なものかと。

時の政権の思惑は別にして、この「公助」の捉え方には、不適切通報などを考える上で貴重なヒントが隠されている気がします。

そもそも、「公助」の「公」は何を指しているのでしょうか?

「え?(おおやけ)なんだから、公的機関、政府・自治体でしょ?」

それはそうなんですが、日本人一般のこの感覚とは別に、西欧(政治学)には別の捉え方もあります。

「公」、あるいは「公共」というのは、ラテン語で「レス・プブリカ」と言います。

そのまま「共和国」の訳語が充てられますが、文字通り、「公共のもの」です。

これは古代ローマから西洋に流れる伝統ですが、レス・プブリカは、公共の利益、共通善(公共善)の実現のために独立した個人の連帯として考えられています。

そういった人々を、「市民」といいます。

現代風に言うと「良き市民」ですかね。

日本人の思い浮かべる「公」は、どうしても、「お(かみ)」であり、自分たちを統治する政府(権力機構)であり、自分達とは別個のものを想定してしまいます。

ところが、レス・プブリカは、自主性を持った個人によってつくられる市民の団体・紐帯であり、国家が自分達と全く別の存在とは意識していないのです。

巨大ビルにおおわれた東京の基底にあるのは、依然としてムラであり、自主性をもった個人でつくられた社会ではない。“他人=身内の錯視”は、しかし、同時に“甘え”としても現象する。

磯田光一『思想としての東京』講談社、1992年、146頁。

自分達が独立した「市民」として、社会・国家の一部であろうとするならば、その関わり方も変わってくるでしょう。

独立しているということは、自分に責任を持つことであり、他者も独立した「個人」と認知することです。決して身内ではない。

身内ではない他者である以上、議論・コミュニケーションに努めなければ、社会は形成されません。そのコミュニケーションの場の最大のものが「政治」です。

故に、「政治」に背を向ける(投票率を見よ)は、「市民」となることへの恐れ、甘えです。

身内の延長である「ムラ」への逃避です。

これは政治にたいする期待と甘えにも当てはまる。いかなる国家も、いかなる地方自治体も、租税以外のものでまかなわれるはずがない。だが、立法・行政機関を“身内”と錯覚している国民・市民は、“身内”から無制限に福祉を引き出すことができるという仮想願望をいだく。

磯田光一『思想としての東京』講談社、1992年、146頁。

不適切通報、いたずら、傲慢な態度、助けてくれて当たり前、救急車に道を譲らない・・・etc.

これら全て、「市民」になりたくない「甘え」です。

話が脱線しすぎたようですが、平時で、政府・行政が機能している内は、まあいいでしょう。

でもそれが機能不全に陥ったら?

有事はもっと厳しくなる

110番も119番も繋がらない時、あなたはどうしますか?

最もわかりやすいのは、大震災でしょう。被災した時、公共機関が助けてくれない時、どうするのか?

また、新型コロナウィルス禍において、医療の事実上の崩壊は起こっていたわけです。「自宅療養」という言葉は、まやかしでしょう。

有事に耐えられる市民社会とは?

「公助」というのは「自助」と反対のものではなく、コインの表と裏です。

「公」と「自」が一致したところに「公共(レス・プブリカ)」は成立します(理想論ですが)

今後起こるであろう最悪の事態「首都直下型地震」、あるいはウクライナ侵攻のような「戦時」。その時も「おんぶでだっこ」の巨大な「東京ムラ」の住人でいるのでしょうか?

↑「第二次関東大震災」を描いた傑作(『日本沈没』第6巻)

シリーズ化のようです

番組の最後に第三弾『埼玉』の予告もありました。今度は大宮市消防局と埼玉県警察本部のようです(2022年12月5日放送予定)。

第三弾放送されました。記事はこちら

NHK「エマージェンシーコール 〜緊急通報指令室『埼玉』」~1分1秒でも速く現場へ

シリーズ化したようですね。

個人的には、今後取り上げて欲しい「エマージェンシーコール」の舞台は

・なかなか周知されずにいる「第三の緊急通報番号」海の事件・事故の118番(海上保安庁)

・火災、救助の通報。

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