映画「日本沈没」(1973年)感想~「なにもせんほうがええ」と天皇制

【あらすじ】

日本列島の地質的な異常を調査していた地球物理学者の田所(演:小林桂樹)は、恐るべき結論に達する。それは、「1年を待たずに日本列島は完全に海に沈む」という衝撃的な予測だった。

この事実を知った政府は極秘裏に日本人の国外退避計画と日本国の存続の道を模索する。

そんな中、日本沈没の「前段階」ともいえる大地震が首都東京を襲い・・・。

原作は小松左京の同名SF小説です。

日本列島が完全に海に没するという有史以来最大の国難を描いた、言わずと知れた傑作です。過去、何度も映画、ドラマ、アニメ、漫画にとメディアミックスされてきた『日本沈没』の、1973年の映画作品を今回は取り上げてみます。

「なにもせんほうがええ」

本作屈指の名場面。それは、山本首相(演:丹波哲郎)が政財界の黒幕である渡老人(演:島田正吾)と密会する場面です。

皇室の問題を短く話した後、渡は封筒を山本に手渡します。

それは、渡が三人の知識人に書かせたレポートでした。タイトルは「日本民族の将来(D2基本要綱)」。

それは3つに分けられていました。

  • 日本民族の一部がどこかで再建国する為に
  • 散らばった日本人が各国に帰化する為に
  • どこにも受け入れられなかった人々の為に

そして三人の一致した意見書も同封されていました。

その意見書は、

「このまま、なにもせんほうがええ」

山本が驚愕を押し殺しながら、渡に尋ね返します。

「なにも、せんほうがええ?」

「そうじゃ。1億1千万の人間が、このまま日本と共に沈んでしまうのが、日本および日本人には、一番ええことじゃ。とな」

この後、山本の、いや丹波哲郎渾身の「沈黙の演技」が展開します。

顔の表情、それだけで、あらゆる情念を表現します。涙を湛えた眼は宙をさまよい、その結論の意味を反芻し、苦悩していることが、観客に伝わります。

そして、やや小首を傾げ、首相として、人間として、何かを決したように、再び、口を開きます。

「しかし渡さん」

「それは付属的意見じゃ、気にせんでええ。」

渡は山本の言葉を押し止めます。

「ただそいういう意見があったことを、総理にも知っておいてもらった方が、ええと思ってな。」

山本は遠くを見つめながら、頷きます。

ここで、色々書いても、その迫真の演技の半分も伝わる気がしません。ご覧になったことが無い方は、是非一度ご覧ください。

痛い、熱い、苦しい

今、この作品を観ると、丹波哲郎らの重厚な演技もさることながら、映画全編に貫かれている不穏な空気、観客を不安にさせる演出が際立っています。

CG技術など、映像技術は現代と比べるべくもありませんが、この「不穏」「不安」は、現代のディザスター映画に、決定的に欠けているものだと言わざるを得ません。

本作の見せ場である東京大震災。

とにかく、この描写は、トラウマものです。

そこで展開される描写は、「痛い」「熱い」「苦しい」。

人が炎に吞み込まれ、ビルの窓ガラスの破片が容赦なく通行人に突き刺さり、さながら東京は地獄のような有様です。

この1973年版の後、「日本沈没」は2006年に再び映画化(リメイク)されます。このリメイク版は、CGを駆使して日本列島の破壊を、これでもかと描写します。しかし、1973年版と比べると「痛くない」「熱くない」「苦しくない」のです。

それは、絶望感の足りなさ、「日本」が無くなるということへの重みが欠けていることにも繋がっていきます。

権威・権力観の変遷、あるいは天皇観の変遷

東京大震災の場面で、避難民が皇居前広場に殺到しますが、そこにも火の手が迫り、群衆は皇居各門に殺到します。

ところが皇居各門は固く閉ざされ、機動隊がジェラルミンの大楯と警棒で、群衆を阻止しようとします。

首相官邸の非常災害対策本部に警視庁から緊急無線が入ります。

それは、皇居に群衆が押し寄せてきているので、機動隊が武器を使用して制圧してよいか?というものでした。

火の手を逃れて逃げ惑う老若男女に銃口を向ける。

今見ると、正気の沙汰ではないのですが、そこには権威や権力への根深い不信感と深い洞察があります。

「政治権力」というものが、いざとなったら何をしでかすか、というものは、1970年代のまだ戦争を知る人々が多い中では、よく体験されていたことです。

もし、これが極論というか、大げさな反権力演出だと思う方は、周辺のアジア諸国を見てみればいいのです。平気で国民を戦車で踏みつぶすではないですか。

皇居の門を固く閉ざす。

これは、昭和と平成の権威観、権威のイメージ、いってしまえば天皇観の違いを如実に表します。

戦後とはいえ、天皇制と昭和天皇は今なお、「侵すべからず」な聖域であり、避難民の命よりも、その権威を守る事が優先されかねない。「命」が軽くなってしまう。

権威を優先し過ぎると、例えば昭和天皇が重篤になった際に、その玉体に輸血することは是か非か?みたいな天皇自身の「命」まで天秤にかける極論にまで至ります。

これが平成になるとイメージは一変します。

現代の人々は、首都直下地震で皇居に集まっても、「まさか」銃で制圧されるとは思っていなし、皇居各門は遅滞なく開かれると、何の疑問もなく思っているはずです。

これは、平成の天皇(現・上皇)が、国民と「近く」「共に」という方針で歩んできた成果ではないでしょうか。その位に、国民と「権威」との「信頼」関係は構築されている。

また、「命」というものの価値が上がっている、とも言えます。

権力といえども20世紀前半の軍国主義や全体主義のように、それを「粗雑」に扱うことが許されなくなったのです。

そのような権力は「長生き」できない。

権力がその方向にシフトしたため、「まさか」罪なき群衆に銃口を向けるわけはなく、むしろ「助けて」くれると、我々は思うようになりました。その方が権力にとってもメリットがあります。

先述の「なにもせんほうがええ」も、旧来の日本的美徳(日本人と日本列島は一心同体)と、国民の「命」に重きを置くステイトマンたる山本首相の拮抗・葛藤でもあります。

閉ざされたままの皇居の門、射撃の可否に対しても、山本首相は宮内庁長官を呼び出し、受話器に向かって、

「門を()けてください!!非常災害対策本部長・内閣総理大臣の命令です!直ちに門を開いて避難者を宮城内にいれてください!」

と断固命令します。