NHKドラマ「17才の帝国」(感想・考察・解説)~スノウはコロッサスになりたかった《第5話・総括》

「しかしわれわれは政治を運命として傍観したり絶望したり、逃避したりしてはならないのです。」※1

丸山真男

★《第1~3話》の考察はこちら→「ソロンは古代アテナイの夢を見るか?」

★《第4話》 の考察はこちら→「その道はディストピアに至るのか?」

NHKドラマ「17才の帝国」が完結しました。

今回は最終話第5話の感想・考察、及び総括を書いていきます。

ピーターパンの国

第5話では、真木の造ったAI「スノウ」が暴走します。

ソロンに侵入し、ウーアの住民に「理想の世界」のイメージを見せつけます。

それは、汚らしい大人たちのいない世界、子供だけの世界、ピーターパンの国(ネバーランド)です。

この描写は、本気で政治改革・理想を実現しようとする時に、既存の社会(それを構成し維持する大人たち)は最大の障壁ではないのかという、政治思想史の中でも長く底流している思想の暗示とも言えます。

既存の社会(大人たち)を一体どうすればいいのか?彼ら彼女らは必ず抵抗するのに・・・。

政治思想で、おそらく最も根本的な政治改革・理想国家を構想した古代ギリシアの哲学者プラトンは、著書『国家』の中で、理想国建国についてこう言います。

「まず、第一にその画布の汚れを拭い去って(きよ)らかにするだろう」

プラトン『国家』(下)岩波書店、2000年、61頁。

つまり、白紙の、“白いカンバス”にその理想国は描かれるべきだと。

そのためには、既存の悪しき社会という「染み」「汚れ」は 消されなければならない。

抵抗するであろう「汚れ」=大人のいない世界です。

この問題は、以後、政治思想史の、あるいは、現実の歴史のあらゆる場面で顔を覗かせます。

フランス革命を想起する人もいるでしょう(旧体制(アンシャンレジーム)の徹底的な破壊)。

あるいは、もっと近く。カンボジアのポルポト政権の悪夢との共通点を見る人もいるでしょう(大人を追放・殺戮し、子供たちを洗脳し尖兵とする)。

スノウは、その名の通り、汚れなき白い雪。

白いカンバスを思わせます。

その雪原はいつでも赤く染まりうる。

世論の専制

スノウの暴走に伴う、真木のウーア総理罷免は、世論の一時の感情というか、世論の専制を思わせる感があります。

スノウはあくまで、真木のプライベートな領域の存在であり、ソロンと直結している訳ではなかったように見受けられます。

ここでのポイントは、「政治」にその為政者の個人的な、プライベートな部分がどれほど関係するのか?という疑問です。

ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、政治は結果責任だと言います。

政治(政治家)は、動機(理想や道徳)といったものの内容や責任(心情倫理)よりも、政治(政策)によってもたらされた事実・結果に責任を持つということです(責任倫理)。

ウーアの統治それ自体の結果とは直接関係ないプライベートの、百歩譲ってそれに起因する一時の事故(ウーアのシステムダウン)で、罷免というのは行き過ぎです。

通常、政治の首長・執政官は任期制で、その期間、簡単に解任・罷免できません。

簡単に罷免できてしまうと、その人物が実施しようとする政策が、極めて短期的な視点でしか評価されなくなり、大局を失った、その場しのぎの、人気取りの衆愚政に堕するリスクがあります。

ウーアの「支持率30%以下罷免制」は、そう考えると極めて不安定な、政治改革を困難にするシステムだと言わざるを得ません。

真木の在任期間はわずか数カ月・・・。

長期的な視点での政策が、世論の支持を受けない典型としては、少子化問題が挙げられます。

少子化を放置すれば、1世紀後には、日本そのものが無くなる、あるいは大きく変質する可能性が高い。

どう論理的に考えても、あらゆる問題より優先すべきなのに、政府も世論も、どこか他人事。予算も使いたがらない。

文字通り、国家百年の計なのですが、100年後の子孫の事で必死になる人はあまりいません。今の生活や、せいぜい20~30年の心配が限界です。

政治AIなら、人間の寿命からの短期的視野を超越しているので、どんな判断を下すでしょうね。

議員とは・・・

ウーアの環境開発相・鷲田輝(演:染谷 将太)は、市議会に代わって、各年代の人々の意見を吸い取ろうと、「市民オブザーバー制」を導入します。

彼は、世代を超えた意見の交換の場を作ろうとしたわけです。

ここで考えるべきは、「議会」は何のためにあるのか?議員の「責務」とは何か?でしょう。

真木が市議会を廃止したのは、市議会が特定の利益集団などの一部の利益を代弁する存在になっているに過ぎないと考えたからだと推察します。

現実の議会も国会から地方議会まで、この傾向を感じない人はいないでしょう。

これには、選挙民の責任もあります。なにせ選挙権を持っているんですから。

「あの議員さんは、地元に新幹線を敷いてくれた」

「あの議員さんは高速道路を取ってきた」etc.

いわゆる選挙区や支持母体への利益誘導ですが、それは議会・議員の理想なのか?

英国の政治思想家エドマン・バークは、有名なブリストル演説で、「議員は一旦、選出されれば、選挙区の利益ではなく国家の利益のために奉仕する」という考えを述べています。

議員も選挙民も等しく共有されなければ実現できない理念です。

仕切り直しとしての市民オブザーバー制が、この公共利益の観点から討議できるかが大きな試練でしょう。

「地方自治は民主主義の学校」(ジェームズ・ブライス)という言葉があります。

本作のメインテーマは、まさにこの民主主義を巡る困難性、世代間格差を描こうと、我々の足元の地方政治を舞台に選んだ感があります。

なぜ「ディストピア」に転落しなかったのか?

第5話クライマックスで、ウーアの実験は、ほぼ成功裏に終わったことが描かれています。

平も首相の椅子に座っていますし。

一応のハッピーエンドというか、こういう終わり方だったのはある意味、意外でした。

政治と人工知能という組み合わせは、どうもうすら寒いものを感じさせるからです。

前回の記事の最後で言及した映画「コロッサス(地球爆破作戦)」は、米国の核戦略システムを司るAIの暴走を描いた作品です。

この映画では、自我を持った「コロッサス」が人間の手を離れてしまい、核ミサイルのコントロールを脅迫材料に、人類の統治権を要求します。

「地球全体の平和、人類存続の為、人類を我々の管理下に置く。異論、拒否は認めない。」

コロッサス

つまり暴力を、軍事力を、その内でも最大かつ最終的な核戦力をコントロールする訳です。

その暴走は、人類の運命そのものを左右する。

他方、ソロンは政治AIでも、あくまで地方(・・)政治を補完する存在です。また、「ソロン」自体の「暴走」ということはありませんでした。

ソロンはあくまで、民主主義政治を支援(・・)する(・・)AIの域を超えていません。

この2つのAIは同じ「政治」でもその次元が大きく異なります。

それは、「政治」の本質とは何か?という問題に直結するのです。

「政治」の本質、特に、その負の側面とは、誰かを犠牲にすることを避けられない点にあります。

これは、古今東西、どのような政治体制・国家であろうと、そうでした。

作中でも、真木の理想とは裏腹に、誰かの犠牲(損をする、割を食う)は生じます。

特に第2話の市の公務員の削減に関しては典型的です。

しかし、最終的には政治的(・・・)決定には、構成員は誰しもが従わざるを得ない。

なぜか?

それは、政治(権力)が最終的に暴力を独占(あるいは圧倒的優位)しているからです。

例えば、ある政治の決定が、どうしても嫌だ、従いたくない、と思って抵抗しましょう。

最初は、役人の説得や命令・警告が来るでしょう。しかし、やがて言葉が尽きると、行動が始まります。

警察がやってきて、強制的に執行されたり、逮捕されたりするでしょう。

日本だと大体ここで終わりですが、更に、進めて、この警察の執行にも断固抵抗して、あわよくば撃退しちゃいましょう。

すると、最後には軍隊がやってきます。

もうその段階では、一構成員の違反や違法・不服従の取り締まりではなく、いわば敵、「内敵」として撃滅される対象です。往々にして、殺されます。

政治、特に政治権力の本質にはこれがあります。

暴力の独占。

スノウ、ひいてはソロンが暴走し、人間のコントロールを逸脱しても、それは、所詮(・・)地方(・・)政治(・・)AIの暴走であり、多少の混乱はあっても恐れるに足りない。事態は容易に収拾可能でしょう。

ところが、国政に、それも軍事力を含んだ国政の中枢に政治AIが参加することは、コロッサスを誕生させる危険があるのです。

本作での政治AIは、あくまで地方政治を補佐(・・)する存在でした。

もし、この続編が作られたとき、平首相が、政治AIを国政に導入した時、一体どうなるのか?興味が尽きません。

余談いろいろ

以下は、勝手な思いつきや余談など

  • 「17才の帝国」という番組名を最初に目にして、連想したのが、漫画「チャイルド・プラネット」。大人だけを殺すウィルスによって、子どもだけが残された地方都市を舞台にしたサバイバルものです。
  • AIと政治の問題では、古典になっている映画「コロッサス」。それにしても、邦題の「地球爆破作戦」は、全く内容と関係ないタイトルで、頭を抱えてしまいます。
  • 「サンセットジャパン」と呼ばれているほどに落ちぶれている日本ですが、ドラマ内の描写はそれほど落ちぶれていない感が。まあ、経済大国から滑り落ちても、いきなり最貧国になったわけではない故か・・・。

【脚注】

※1.丸山真男『政治の世界』岩波書店、2014年、75頁。