軍事力という保険制度~軍事はゼロサムゲーム~

国家(政治権力)の最も裸の、原初的な機能は防衛であることは、容易に想像がつきますが、それが最優先かと言われると疑問符がつきます。

国家にとって、使用できるパイ(資源、予算)は有限だからです。

時折、まるでノンゼロサムゲームのように軍事が語られることがあります。

空母も欲しい

戦力原潜も欲しい

戦車も今の5倍は欲しい

兵力も今の倍以上欲しい

兵器は全て最新鋭で揃えたい

予算も今の2倍、3倍にしたい

お金や資源が無限にあるならば、それも可能でしょう。

しかし、それはゲームの中の話だけであって、現実的にそのようなことは責任ある政府ならば不可能です。だって、予算も資源も、現実の政策はゼロサムゲームなんですから。

財政も経済も破綻していいのならば構いませんが(それでも不可能かもしれない)。

軍事なき政治が夢想であるように、政治なき軍事も非現実的です。

保険の掛け金は?

基本的に、軍隊(軍事)というのは保険のようなものです。

広い意味では、治安(警察)・防災(消防)も入ります。

保険を掛けることは普通の人でも、ごくごく当たり前のことでしょうが、問題はその掛け金です。

自分の給料から、食費や遊興費や家賃や、様々な支出を勘案して、保険額を決めると思います。

心配し過ぎて、給与の全額を保険に掛けたら破産です。本末転倒でしょう。

国家も同じです。一体、いくらかけるべきなのか?

高ければ他の生活部分(教育・福祉・インフラ等)が圧迫されて、日々の生活(日常)は苦しくなる。

低ければ低いで、いざという時(非日常)に困った事になる。

110番や119番しても、10分以内で来たものが40分になったり。

ゼロでいい、という人もいるでしょう。「健康だから大丈夫。医者いらず」。

国家に例えると非武装主義ですか。でも、その健康にはなんら保証はありません。明日、卒倒するかもしれない。癌の告知を受けるかもしれない。

無保険=非武装論のリスクです。

また、自宅療法というか民間療法というか、保険や病院にお世話にならないで自力でやっていくという人もいるかもしれません。ロビンソン・クルーソー的な。

国家だと、一種の自警主義、リバタリアニズムでしょうか。

料率計算の難しさ

さて、この料率計算(予算決定)には、様々な情報判断(分析・評価)が必要ですが、これが難しい。

軍事の場合、官僚(軍の背広組・制服組、情報機関etc.)やシンクタンクから、

「こういう脅威があります」→対して「装備が必要です」「この規模の兵力が必要です」

という形で情報と提案が上がってきて、為政者は、予算と睨めっこする訳ですが、この“情報と提案”が客観的である保証はどこにもない。

それは、情報の精度の低さであったり、担当者間の見解の食い違いだったり、はたまた軍需産業や世論への忖度やら・・・。

また、専門家(軍人・アナリストetc.)にしても安全保障をやっていると、やや「心配性」になることがあります。

つまり、常に“最悪の事態”を想定している(そう訓練されている)ので、どうしても脅威を誇張する時が出て来る。

更に、これは軍というより官僚機構の弊害ですが(軍隊も官僚機構の一つです)、常に自身のセクション(組織)を肥大化させようとする傾向がある。

いわゆる「パーキンソンの法則」ですね。

従って、国家の保険たる軍事の料率(規模と予算)は一筋縄ではいかない訳です。