「お前は戦いたいのか?殺したいのか?
血が流されるのを見たいのか?黄金の山を見たいのか?
囚われの女たちを見たいのか?奴隷たちを見たいのか?」
ガブリエーレ・ダンヌンツィオ
皆さん、「世界征服」好きですよね?してみたいですよね?
でも一体、どうやったらいいの?
そんな迷える侵略者に、オタキングこと岡田斗司夫が贈る「世界征服マニュアル」が本書です!
「世界征服」ことはじめ
「ところで、このガーゴイルって秘密結社は、なんで世界征服なんかしたいんでしょうね?」
庵野秀明監督は、ため息をつきました。
岡田斗司夫『「世界征服」は可能か?』筑摩書房、2007年、9頁。
冒頭、この庵野秀明の疑問から、本書は始まります。時は1991年。NHKのアニメ「ふしぎの海のナディア」の制作の際のエピソードだそうです(「ガーゴイル」は同作品の“悪の組織”)。
そして、それから15年。岡田斗司夫が、「世界征服」と担い手である「悪の組織」について、(オタク知識総動員で)大真面目に考察してくれるのが本書です。
「悪の組織」はプレイヤーとして最適か?
本書は、懇切丁寧に、人事のリクルートや作戦の合理性、資金の獲得などを教えてくれます。
組織マネジメントのビジネス書みたいな感じがあります。
しかし、一点抜けているように思えるのが、「悪の組織」と既存の支配機構との戦いそれ自体は、どうするのか?という課題です。
一からコツコツと悪の組織(まあ、テロ組織ですわな)を作り上げる訳ですが、なんかオーバーテクノロジーやらオーパーツやらブレイクスルーな代物を保有していない限りは、かなり困難な事業、というか、無理ゲーな訳です。
だって、相手は、既存の支配機構、つまり国家権力な訳です。
ヒーロー戦隊みたいに数人、あるいはせいぜい数十人じゃないんです。
日本から悪の組織を起業したら、ざっと、警察25万人、海上保安庁1万5000人、自衛隊25万人(+予備5万)の戦力(暴力装置)とガチンコ勝負しないといけない訳です。
(在日米軍もいますが、ややこしくなるので割愛)
この敵は、なにもピストルや警棒のお巡りさんだけじゃない。自動小銃なんか当たり前、装甲車に戦車はあるわ、対艦ミサイルに多連装ロケットシステムはあるわ、やれ戦闘機だ、やれ水上艦隊だetc.
並みの戦闘員だとハチの巣にされますし、ちょっと強い怪人とかじゃ灰にされます。
そして物理的な力だけではありません。更に手強いのは、その権力に「服従」している1億2000万人の国民がいる訳です。
「服従」なんていうと、ギョッとしてしまう人もいるかもしれませんが、つまりこういう事です。
悪の組織が何かを企もうと、どこかの賃貸アパートや雑居ビルの一室でコソソコとなんかやっている訳です。
すると、善良な近隣住民は、ご丁寧に110番なり♯9110にピポパとダイヤルしてくれる訳です。
また、刑事さん(というか公安の捜査員)が聞き込みにくれば、懇切丁寧に不動産屋さんから管理人さんまで、「怪しい住人」のことを、それこそ彼のゴミの出し方に至るまで説明してくれる訳です。
近くのビルの防犯カメラ映像も、警察手帳を出せば二つ返事で見せてくれる訳です。
要するに「服従」とは既存秩序の維持を肯定(濃淡はあるにしても)しているという事です
逆にこれは悪の組織にとっては、四面楚歌、パノプティコン状態です。
まあ、普通はやってられなくなる訳です。
つまり、悪の組織は、世界征服ゲームのプレイヤーとしては不適当なんです。
では、そのプレイヤーとして最適なのは何か?
最強の征服装置「国民国家」
それはもうズバリ、国家です。
はい、悪の組織の首領である貴方自身が戦っている国家こそが、最良の「悪の組織」なのです。灯台下暗しです。
国家、それは国民国家、近代国家のことなのですが、これほど、効率的な世界征服マシーンはありません。
戦闘員(軍人)のリクルートは心配いりません。勝手に入隊してきます。いざとなれば、徴兵制も敷けます。
お金に悩んで銀行強盗する必要もありません。徴税権がありますし、通貨発行権もあります。
怪人を作りたくなったら潤沢な資金と優秀な科学者の陣容で仕事に掛かれます(米ソ共に失敗していますが)。
近代以前だと、悪の組織で群雄割拠を乗り切って、テッペンを目指すことも可能でしょうが、現代のように、世界中が全て国民国家に区分けされてしまっていると、その余地がない。
更に、その国民国家は巨大な人口と経済力・資源をコントロールできる。
この既存の国民国家の権力核・指導層になってしまった方が何倍も効率がいいんです。
そして、国民国家(の支配者)として「世界征服」ゲームに参戦した方が、あなたの夢を実現できる!
世界覇権国はつらいよ
本書後半でオタキングがぶっちゃけていますが、この「世界征服」というのは、もう現実の歴史でも、ある程度達成されてしまっている訳です。
いわゆる、パックス・アメリカーナ、米国の一極支配というのは、本書の議論そのまんまなんですよね(まあ、最近かなり怪しいですが・・・)。
現代のアメリカ合衆国は、アメリカによる世界支配をパックス・アメリカーナと考えています。(中略)よく評論家は「アメリカの世界戦略」「アメリカ主義による世界制覇」などと言いますが、「ローマ帝国の後継者」を名乗るぐらいなんですから、世界制覇することなどあたりまえです。
本書、153頁。
ビジョンははっきりしています。詰まるところ、米国は、世界がリベラル・デモクラシー一色になれば満足(安心)な訳です。
なんといっても、自分と同じ価値観(リベラル・デモクラシーは最良)という国々で世界が覆いつくされれば、事実上、宗家たるアメリカが世界を支配していると、言えなくもない。
第一次大戦中の大統領ウッドロー・ウィルソンが「世界をデモクラシーにとって安全なものにするため」と宣言してから、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』まで。
本書で紹介していた、ハーレムで生まれた自分の子どもを、どんどん、外に養子に出して、他の有力一族も自分の血縁にしてしまう支配方式(江戸時代の徳川家と大奥)に似ていませんか。
血ではなく思想ですが。
米国というのは、本書の支配者タイプで言えば、「Bタイプ:独裁者=責任感が強く、働き者」でしょう。
この好例として挙げられているのが、漫画『バビル2世』の敵の首領ヨミ様。
とにかく地球支配を邪魔するバビル2世との戦いに、自ら先頭に立って戦います。
旧日本海軍の「指揮官先頭、率先垂範」の見本みたいな御方。
あんまり頑張りすぎて、作中で三回も過労死(!)してしまう。
これ、米国と同じですよね。毎年、日本円に換算して60兆円から70兆円もの軍事予算(国防予算)を投じて、世界中に軍隊を展開し、中東に火種あれば介入し、東アジアに危険な兆候あれば牽制し、東欧に圧力が高まれば増派し・・・etc.
自分の国のことだけやっていれば、その巨額の予算を内需・内政に使えるのに、そうはしない(できなくなってしまった)。
本来、米国の建国以来の伝統にも反しています。
「アメリカは軍事戦略について、あるいは国民生活の構造の中の軍事力の位置について、伝統的な観念をもたない国である。(中略)またわれわれにとって軍事的問題をアメリカ社会の内部的問題に関連づけるのが難しいのは驚くべきことではない。アメリカは平和時に常備軍を維持する伝統をもったことは一度もなかった。」
ジョージ・F・ケナン『アメリカ外交50年』岩波書店、2000年、266-267頁。
でも、やらざるを得なくなった。
でも、もうやめられない。少なくとも次の交代選手が出てくるまでは(覇権の循環)。
なにか国際問題が起これば、どこであろうと、関係あろうが無かろうが、アメリカの動きをみんな期待する訳ですから。
本書でも指摘するように、支配者なのか、保育士さんなのか、わかりません。
そういう、面倒事をさんざんに引き受けさせられるのが「人類の管理人さん」つまり、支配者であるあなたの役割なのです
本書、67頁。
そりゃ、オバマだって、「世界の警察を辞めたい」と言いたくなります、疲れますよ。
トランプだって、「アメリカファースト」と言いたくなりますよ、お金勿体ないもん。
こういう風に(世論が)なってくると、覇権も終焉かもしれいような・・・。