「・・・戦争で負けて、憲法論争でまた負けて。二度も負けてしまったよ。」
松本烝治
1996年に日本国憲法制定50周年を記念し放送された、全2回(90分×2)のドラマです。
脚本は、大河ドラマ「葵三代」などで知られるジェームス三木。それだけで、期待が膨らみますね。
錚々たるキャストと重厚な政治ドラマ
主人公といえる松本烝治(憲法改正担当大臣)役に津川雅彦。
そして、近衛文麿に江守徹、幣原喜重郎に神山繁、吉田茂に鈴木瑞穂などなど、重厚な俳優陣を配した、骨太な作品となっています。
内容も、史実に沿った、日本政府とGHQの鍔迫り合いを描いた政治ドラマの名作です。
作中、その鍔迫り合いを、じゃんけんに例えるシーンがあります。
GHQは日本政府より強い、GHQは極東委員会に頭が上がらない、極東委員会は日本の復讐(日帝復活)が怖い。
極東委員会はワシントンに設置された連合国の機関で、米英中ソを筆頭とする代表で構成されます。
また、日本国内でも、憲法問題調査会での議論、国会での論戦なども活写されています。
第一部「象徴天皇」
ドラマ第1回は、タイトルは「象徴天皇」。
憲法問題調査会の論戦を挟みながら、近衛文麿と松本を中心に描かれます。
近衛は、戦犯指名を受け、巣鴨プリズン(現:サンシャイン・シティ)に収監される前夜、服毒自殺します。
「明日からプリンス近衛は、プリズン近衛になるよ」などと冗談を言いつつ、夜半、寝室で妻に、「ありがとう。それでは、さようなら。」と別れを告げます。
憲法問題調査会では、進歩的な宮澤俊義・東京帝大教授(演:近藤正臣)の意見は入れられずに、極めて保守的な憲法草案が完成します。宮沢は、「八月革命説」を唱えることになります。
終盤の見せ場。
外相官邸で松本と吉田が、GHQ民生局長ホイットニー准将と会談します。ここで、ホイットニーは、日本の草案は受け入れられない、なので、自分たちで作った。と、GHQ草案を手渡してきます。驚愕する日本側。
吉田「大事ですな、こりゃあ」
松本「The Emperor shall be the symbol・・・何だ?このシンボルってのは?」
吉田「象徴?・・・でしょうか?」
松本「象徴?天皇は日本国の、象徴?」
第二部「戦争放棄」
第九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
(日本国憲法第9条)
日本政府は、GHQ草案を渋々受け入れます。
GHQ案に基づいて、修正や訳を巡って、松本は民生局次長ケーディス大佐と激しい応酬を重ねます。
第二部では戦争放棄が扱われますが、圧巻は、終盤です。
首相官邸を訪れたホイットニーとケーディスらは、文民条項(文民統制)を強く求めます。曰く、日本が再軍備した時に、民主制を守る為に必須である、と。
日本側が訝ります、戦争放棄しているのに、なぜ再軍備の話になるのか?、と。
ホイットニー「それについては、中国の代表から重大な指摘があった。修正案の第9条に使われている言葉で“前項の目的を達するため”という表現がある。」
日本側の顔色が変わります。金森憲法改正担当相(演:すまけい)の視線が泳ぐ。
ホイットニー「つまり第1項の目的以外の目的なら、再軍備が可能という解釈が成り立つ」
痛いところを突かれたのです。
ホイットニー「中国代表はさらにこう言っている。もし日本が軍隊を持っても、日本はそれを軍隊とは言わず、戦争をしても、戦争とは言わぬだろう。」
日本国憲法施行は1947年。
警察予備隊は1950年に発足します。
戦後日本は長い「神学論争」の時代に入ります。
執務室に戻った日本側は驚きを隠しません。
金森 徳次郎「いやあ驚きました、日本の議員すら気づかないのに。中国は実に鋭いですな。」
入江 俊郎「そりぁそうでしょう。散々侵略を受けた国ですから。」
マッカーサー
本作では、GHQの事情はあまり描かれません。
マッカーサーも登場しない。
しかし、こちらも一筋縄ではいかない。とても一枚岩ではないのです。
例えば、GHQ内の対立。ホイットニー、ケーディスら、民生局(GS)のニューディーラー(ある種の社会主義者)らと、チャールズ・ウィロビー少将率いる参謀第二部(G2)との暗闘。
また、それらを統べるダグラス・マッカーサー元帥も、ワシントンからは「反逆の将軍」と危険視されていました。
彼個人の強烈な個性も日本国憲法、ひいては戦後日本の行方を大きく左右しました。
彼は歴史に自分の名前を永遠に残そうという野心があった。この野心が、彼の全生涯、とくに連合軍最高司令官としての「業績」を説明するかけがえのない鍵となる。
片岡鉄哉『日本永久占領』講談社、1999年、60頁。
「東洋のスイス」を夢見たわけですが、国際政治の現実がそれを許さなかったことは知っての通りです。