「スターシップ・トゥルーパーズ」~軍国主義よ、こんにちは

ロバート・A・ハインラインの“悪名高い”(?)SF小説『宇宙の戦士』の実写映画化です。

監督は「ロボコップ」や「トータルリコール」のポール・バーホーベン。悪い予感しかしない(誉めています)。

【あらすじ】

近未来の地球連邦。地球外の惑星への進出過程で、人類は地球外異種生命体「バグス」と接触。星間戦争に突入していた。

高校生のジョニー・リコは、親の反対を押し切って地球連邦軍に入隊。

鬼軍曹の“しごき”の嵐の中、兵士として成長していくが、実弾演習中のミスで同期を殉職させてしまい、失意の中、除隊しようとする。

しかし、その直後、故郷ブエノスアイレスがバグスの隕石攻撃で壊滅したことにより、その怒りから再志願、復帰。

以後、最前線の機動歩兵として激戦、死闘の中に身を置くことになる。

SF版フルメタルジャケット

本作は、地球連邦軍に入隊した“ひよっこ”の青年が、一人前の軍人になっていくのを、ベトナム戦争下のアメリカではなく、未来の宇宙戦争を舞台に描いた、SF版フルメタルジャケットと言えなくもない。

ただ、フルメタルジャケットと異なるのは、兵営が男の世界ではなく、女も同じように鍛えられること(これは後述します)。

違和感?宇宙艦隊と歩兵

この映画版では、ハインラインの原作ではメインとなるパワードスーツが出てきません。

しかし、バグスとの星間戦争なので、普通に宇宙艦隊は出てきます。

そして、この宇宙艦隊から無数の上陸艇(降下艇)を敵惑星に降下させて戦う訳ですが、その降下艇から吐き出されるのは歩兵。

無数の歩兵です。

これでもかと人海戦術で押します。

バグスは、実質、巨大な昆虫の大群です。こちらも雲霞の如く押し寄せます。これと、白兵戦となります。

この戦闘シーン。どこか違和感があります。

宇宙艦隊と歩兵の間がないんです。

戦車や装甲車といった陸戦兵器が全く出てこない。機械化歩兵どころか、自動車化すらされていない。いわゆる軽歩兵、徒歩の歩兵しか出てこない!((原作のパワードスーツも勿論出てきません)

いやいや、歩兵で立ち向うから、あんな悲惨な切り株だらけの白兵戦になっちゃうんでしょ!

戦車がいて、歩兵戦闘車なりがいれば、全然戦況違くない?

僅かに歩兵進撃前の航空支援が挟まれる位です。

これ映画の制作予算やらなんやらの理由があるにしろ、この「落差」は観る者に違和感を生じさせます。

逆に、どんなにハイテク化しようと、未来になろうと、最後は歩兵が血路を開いて、占領するしか勝利はない。という、軍事における普遍的テーゼを可視化しているとも言えなくもない。

先祖返りした近未来

この地球連邦では、選挙権を持つためには、兵役を経る必要がある。

地球連邦は意外にも徴兵制ではないのです。

本作では、兵役を果たした「市民」(シチズン)と、それを果たしていない「一般民」(シビリアン)に二分されていて、前者にしか選挙権は与えられません(人権は平等のように見えます)。

現代日本の感覚から言うと、かなり違和感がありますが、これは一種の公衆デモクラシーです。但し、財産ではなく、兵役の有無で。

我々が大衆デモクラシーに慣れきってしまっていて、わからなくなっているだけです。

そもそも、「市民」という概念は古代ギリシアのポリス(都市国家)における、自由市民のことであり、彼ら市民は戦争において兵士でした(アテナイ型とスパルタ型で違いがあるにせよ)。

自分たちが自分たちのポリス(及び自由)を守るために戦い、かつそれ故に政治参加できるという思想です。

本作冒頭で、リコの高校の歴史の授業のシーンがあります。そこで歴史教師ラズチャックが生徒に語ります。

「この一年で民主主義の崩壊を学んだ。社会科学者たちがもたらした混乱。武力による事態の収拾。安定の名のもとの長期支配。この一年間、君たちに有益なことを教えたか。なぜ市民にだけ選挙権が?」

「地球連邦軍に入った報酬です。」

「そうではない。与えられたものに何の価値もない。投票とは政治的権威、つまり力を使うことだ。力とは暴力であり、それは最高権威というべきものなのだ。」

「母が“暴力は何も解決しない”と」

「剥き出しの力こそが問題を解決してきたのだ。“暴力は何も解決しない”など希望的観測に過ぎん。」

(中略)

「一般民と市民の倫理的な違いはなんだ?」

「市民は国家の為に、命を投げ出しますが、一般民はそうしません。」

つまり、本作において、人類はリベラルデモクラシーの崩壊を経て、古代ギリシアに「先祖返り」した、と言えなくもない。

まことに、「歴史は繰り返す」。

皮肉、皮肉、皮肉・・・!

この軍国主義的、武断主義的な地球連邦は一種のユートピアとして描かれています。

人種による差別はありません。生活も豊かです。

軍隊での営内生活では、男女の区別もありません。寝食を男女が共にします。シャワー室も男女共用で浴びているシーンがあります(全裸で!)。

更には、この男女平等は徹底していて、主人公の機動歩兵部隊も普通に女性兵士がいます。

現実の軍隊だと、前線に立つ歩兵のような戦闘職種(兵科)には極力女性を配置せず、男の世界です。

これを女性の男性化と考えるか、男女の平等の実現と捉えるかは意見が分かれるでしょう。

また、映画の随所に、ニュース映像やプロパガンダ放送が流れる。それが、地球連邦の軍国主義的な性格を暴露する場面にもなっています。

差別なき平等社会の唯一の区別は「兵役」の有無のみです。

本作全体に通底するのは、「皮肉」です。軍国主義への皮肉は勿論、過剰な平等主義、武断主義、世界政府構想に対しても。

そして、バグスの前に惨殺される「生身」の兵士たちをショッキングに描くことで、「戦争」というものの美辞麗句を剥がして、軍国主義を皮肉ってみせる(戦車も装甲車も出てこない本当の理由かもしれません)。

表面的には、マッチョイムズの礼賛に受け取られるかもしれませんが、内実は。どこまでも皮肉に満ちた作品だと思います。

バグスは、ある意味で、その為の背景でしかない。

但し、バグスとの星間戦争も、最初に人類が手を出したという説が、作中内で語られる箇所もあります。これなどは、この戦争が人類(あるいは科学主義)の増長がもたらした「人災」であるという、皮肉のひとつかもしれませんが。

後世への影響

ちなみに、この映画は1997年ですが、ハインラインの原作は1959年です。この原作が後の作品に与えた影響については、各所でよく語られます。

個人的には、機動戦士ガンダムにおける地球連邦との類似が印象的です。

どちらも人類初の統一政体でありながら、平和主義などで語られるような理想の政治社会ではなく、強大な軍部が常に見え隠れします。

ガンダムの地球連邦軍はその軍国主義的な性格がシリーズを追うごとに強調されていった感があります(ティターンズとか)。

地球の全国家を束ねる史上最大の権力ならば、さもありなん。