劇場版「機動警察パトレイバー the Movie」(1989年)の考察・解説~東京は美しく死ななければならない

「災いなるかなバビロン、そのもろもろの神の像は砕けて地に伏したり」

(イザヤ書)

既に公開から30年が経過しましたが、全く色褪せない押井守監督の劇場版長編アニメーションです。

本作を観て、いつも想起させられることがあります。

それは、ソ連(現カザフスタン及びウズベキスタン)の「アラル海」です。

アラル海は、ご存じのように、かつて世界第4位の面積を誇る湖でした。

一体、なぜそんな遠い異国の湖とパトレイバー劇場版が結び付くのでしょうか?

あらすじ

「レイバー」と呼ばれる産業用歩行型機械が急速に広まった20世紀末の日本。

1999年、夏。

東京都内各所で、建設作業中のレイバーが、操縦者の操縦を無視して暴走する不穏な事件が続発する。

レイバー犯罪鎮圧を専門とする警視庁警備部特車二課(パトロールレイバー中隊=パトレイバー)第二小隊の面々は、独自に捜査を始めるが、そこには、「東京」の存続すら脅かす恐るべき犯罪計画が隠されていた。

※以下、ネタバレあり

「アラル海は美しく死ななければならない」

アラル海は、かつて世界第4位の湖でしたが、今や見る影もありません。

その原因はスターリンによる「自然改造計画」です。

ソ連政府はアラル海に流入する河川の水を「有効」利用しようとして、大規模な灌漑事業を実施しました。

その勢いは凄まじく

そこで見たものは、かつて沿岸住民が、永遠に広がっているだろうと信じて疑わなかったアラル海の大海原が、ほんの二、三年で湖岸の漁村から見えなくなり、ついには大沙漠に変わったさまだった。湖面積が琵琶湖の100倍もある世界第四位の湖が、今ではたった琵琶湖10個分にまで縮小したのである。

石田紀朗『消えゆくアラル海』藤原書店、2020年、15頁。

ソ連の地理学者A・N・ヴォイコフの言葉とされる「アラル海は美しく死ぬべきである」※1に端的に示されるように、それは、意図的な自然環境・地理の変更・改造でした。

20世紀の後半世紀、ソ連政府はそれを計画し、実行し、ほぼ達成してしまった。

これが、20世紀最大の環境破壊といわれる「アラル海」の消失です。

「東京湾は美しく死ななければならない」

翻って、機動警察パトレイバーの世界線においても、これと酷似した計画が推し進められています。

「二つの人工島を経て、木更津-川崎間を結ぶ総延長15キロメートルの大突堤建設が本格的に始まることになります。完成の暁には首都圏を一周する大環状線が開通するだけでなく、十数箇所に設置された水門で潮差を利用した排水を開始。

海面沈下と埋立てで、10年後には東京湾に45000ヘクタールの用地を確保。21世紀を通しての首都圏の用地問題が一挙に解決されます。永遠の都バビロン、コスモポリス東京をめざす文字通り今世紀最大の洋上工事計画バビロンプロジェクトというわけですよ。」

(パトレイバー劇場版冒頭・ヘリパイロットの説明)

そう、「バビロン・プロジェクト」です。

東京の一極集中・過密化に対しての、おそらく最も極端な答え。

「そうだ、目の前にある東京湾を埋め立ててしまえ。」

東京湾を45000ヘクタール(東京23区が61900ヘクタールなので、23区のおよそ7割相当!)埋め立ててしまう事実上の自然改造計画です。

この発想は、アラル海に対してのソ連指導部の発想と一体何の違いがあるのでしょうか?

パトレイバーの世界観は、「戦後」日本そのものですが、おそらくバブル崩壊を経験していない。高度経済成長の緩やかな延長にあると推察されます。

そうでないと、バビロン・プロジェクトなどという、壮大な国家事業に踏み込む訳はなく、レイバーが一大産業として勃興などしなかったはずです。

パトレイバーの世界線では、アラル海と東京湾は20世紀最大の環境破壊として記憶されるでしょうが、それを成した日ソ両国の精神的背景とは一体何なのでしょうか?

そこには一種の科学至上主義と経済至上主義が垣間見えます。

科学至上主義は、物質科学の力によって自然を「改造=征服」するという考え方を有しています。

近代に入ると、人間の「理性」は、合理的にあらゆる計算が可能であり、超越的な神を持ち出さなくても、人の理性の力で、万事は全て計画し、達成され、進歩していくことができる、という考え方(進歩主義、理性主義)が興隆します。

例えば、フランス革命は、歴史的な制度や慣習を打破(征服)し、理性の計算によって社会を「改造」(設計)するという試みです。

同じように、自然科学は、理性によって得られた(解明された)知見をもとに、自然を「改造」し「征服」していきます。

(進歩主義に関しては、こちらの記事を→保守主義とは何か?5分でわかる解説

これと関連するのが、後者の経済至上主義です。

本来、「経済」は古代の「家政学」をその原点にするものであり、決して、最上位の価値を持つものとしては扱われていませんでした。

ところが、近代資本主義の勃興以降、「経済」は一気にその覇権を確立し、さながら他の分野・諸学を、中世の神学を捩れば「経済の侍女」にしてしまった感があります。

その経済は、自己の本質原理たる「利益」を追求する為に、最適化・効率化に邁進します。

その経済の舞台が「市場」です。

国家が戦争機械と評されるように、市場は利益追求機械になります。

この市場は、最適化・効率化という目的の為に、画一化の傾向を持ちます。それを最も端的に表現できるのが「グローバル化」です。諸国の、諸文化の「差異」を消していく、否、一色に塗りつぶしていく。

また別の言い方をすれば、のっぺらぼう。

この過程で、経済的利益にそぐわない、最適化・効率化にそぐわない事物は排除されて行きます。

その排除されるものの典型は「文化」です。

「文化」は、それ自体、経済的追求から見れば、不統一な、モザイク状の、非合理的な、不要なもの、余計なもの、無駄なものと判断され易い。

その「排除」されていく東京の風景を、街並みを、帆場は松井刑事らに見せていきます。

そして、その「経済の侍女」の筆頭にいるのが「技術」です。

「科学」と「技術」の結託、「科学技術」の興隆が経済の覇権に拍車を掛ける。

地球上のどの民族にもその発達度にさして大差なく存在していた「技術」 は、古代ギリシアに発する西洋の学問的伝統のもとで、またその伝統のもとにおいてのみ、「科学技術」へと変容することになった。いまでは、技術は科学なくしてはありえず、また科学も技術なしにはありえない。しかし、科学技術の成立の意味するところはそれだけのことにとどまらない。このようにして現出された今日の科学技術とは、人間の生物的生存と行動の直接的な有効化の本能そのものを駆動因とするがゆえに、その有無を言わせぬ誘引力によって政治と経済を巻きこみつつ体制化されて、ひたすら人間の生存条件の効率化とで高化をめざして推進する巨大な運動体なのである。

藤沢令夫『世界観と哲学の基本問題』岩波書店、1993年、まえがきⅩⅥ(16)頁。

この科学(技術)と経済を至高原理としたものが、日本の「戦後」という歴史空間・思想・観念の体系ではないでしょうか。

そして、「東京は美しく死ななければならない」

そして、ここからが肝要なのですが、「戦後」の暗喩・象徴こそ「東京」という街なのです。

押井守作品に見られる都市論(都市哲学)を端的に語っているのは、映画「イノセンス」のこの台詞だと思います。

「生命の本質が遺伝子を介して伝播する情報だとするなら社会や文化もまた膨大な記憶システムに他ならないし都市は巨大な外部記憶装置ってわけだ」

バトー (映画「イノセンス」より)

「戦後」という経済至上主義と科学技術の専横を内に秘めた(記憶した)巨大な外部装置こそ「東京」と言えるのではないか。

東京が「戦後」の外部記憶装置であるならば、そこに余計な「文化」はいらない。

松井刑事の言葉を借りれば

松井「ちょっと目を離す、ときれいさっぱり消えちまってる。それにどんな意味があるのか考えるよりも速くだ。

ここじゃ過去なんてものには一文の値打ちもないのかも知れんな。」

そう、「歴史(過去)」=「文化」は、経済の前では、余計で、不要なものに過ぎないのです。

のっぺらぼうの高層ビル群を眺めてきた帆場の頭の中に、ふと、こんな言葉が浮かんでも不思議ではない。

後藤「質の悪い冗談につきあってるみたいなもんさ」

後藤と帆場はここで重なります。しかし、その後は違う。

帆場はきっとこう言ったのではないか。

「そんな悪い冗談なら、終わらせてしまおう」、と。

東京が、醜悪なのっぺらぼうに、画一化された一色に塗りたくられてしまう前に、それを滅ぼしてしまおう、と。

「理性」の傲慢ともいえるこの街を灰塵に帰してしまおうと。

帆場は、近代が「理性」の名の下で「神」を侮ったことへの神による復讐(天罰)という計画を、胸に抱いたのではないでしょうか。

神の御名において「東京は美しく死ななければならない」

後藤「俺はね、しのぶさん。帆場って男のものの考え方が、ようやくわかってきたような気がするよ。くる日もくる日も、部屋の窓から高層ビルを見上げて、どんな犯罪を企んでいたか。

エホバくだりて、かの人々の建つる街と塔を見たまえり。いざ我らくだり、かしこにて彼らの言葉を乱し、互いに言葉を通ずることを得ざらしめん。故にその名は、バベルと呼ばる」

ここで「レイバー」は「技術」の暗喩であり、「科学(理性)」の侍女であった「技術」の暴走(言葉を乱されることによって)で、その象徴たるバビロン(東京)が倒されるという、まさに神を気取った皮肉めいた演出があります。

アラル海と東京湾の死が科学と経済の傲慢なら、その象徴たるソ連と東京も死をもって贖罪しなければならない。既に、ソ連は逝った。では、東京は?

「災いなるかなバビロン、そのもろもろの神の像は砕けて地に伏したり」

「東京は美しく死ななければならない」から「戦後は美しく死ななければならない」

物語終盤、東京湾上の洋上プラットフォーム「方舟」における決戦によって、「東京」を葬る帆場の計画は阻止されたわけですが、このテーマはやや変化・拡大して、引き継がれることになります。

即ち、その「東京」の背景たる「戦後」という観念体系を終わらせるというテーマに。

それが次回作「機動警察パトレイバー2theMovie」です。

そう、今度は「戦後は美しく死ななければならない」と。雪の中で。

※1 石田紀朗『消えゆくアラル海』藤原書店、2020年、220頁。

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