映画「パターソン」感想~詩は何のために書くのか?(『山月記』を傍らに)

「もしかして、あなたもパターソンの詩人ですか?」

(本編より)

2016年(米)、ジム・ジャームッシュ監督

あらすじ

ニュージャージー州パサイク郡パターソン。

この街に住む市名と同じ名の路線バス運転手パターソン(演:アダム・ドライバー)は、妻と二人で暮らしている。

毎日、出勤して、帰宅後は妻との何気ない会話を愉しみ、夕食後は、犬の散歩のついでに馴染みのバーで一杯だけビールを呑んで帰宅する。

そんな変わらない日常の隙間で、彼は、秘密のノートに詩を書付け続けていた。

そんなパターソンの7日間の物語。

※以下、ネタバレあり

バス運転手か人喰い虎か

この作品を観て、最初に連想した作品は、中島敦の『山月記』でした。

一見、あまりに共通点を見出せないように思われるでしょうが、「詩」を書くということに関して、とても対象的な2人が描かれているのです。

『山月記』の登場人物()(ちょう)は、詩で名を成そうとしますが、夢かなわず、挙句の果に、虎に姿を変えてしまいます。

偶然再会した旧友の袁傪(えんさん)に、李徴は、己が虎となった原因を語ります。

詩で名を成そうとしたものの、臆病な自尊心や尊大な羞恥心によって、切磋琢磨せずに、折角の才能を生かせなかったと後悔する。

「事実は、才能の不足を暴露ばくろするかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが俺のすべてだったのだ。俺よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者がいくらでもいるのだ。」※1

己が中の猛獣、即ち、尊大な羞恥心を御するを叶わず、それに相応しい猛獣(虎)の姿に堕したのだ、と。

己の才が足りないことが露見するを恐れるあまりの、この芸術家にとっての悲哀は、身につまされるものがありますが、そもそも、「詩によって名を成す」とはどういうことでしょうか。

パターソンの場合、バスの運転手をしながら、ごく平凡に暮らしながら、詩を書き連ねています。

他方、李徴も、詩を数百編したためて、虎の身となった今も、数十は諳んじることが出来ると言う。

この両者を比べると、その詩作それ自体には、それほど違いはないという気がします。

しかし、前者は幸福に暮らしますが、後者は悲劇的です。この差異は何故でしょうか?

このことを考えるには、詩作、もっと広く文学をやるというのは、どういう意味があるのか、という事を考える必要があるような気がします。

おそらく、詩作の端緒は、「書きたい」という純粋な衝動だけでしょう。

パターソンは、まさにそれを具象化した存在であり、詩を公開するでもなく、ただ妻と共有するだけです。

他方、李徴は、それで名を成そうとします。現代風に言えば、賞を掴み、文壇に加わることでしょうか。

しかし、この「名誉」あるいは「承認」といってもいいのですが、これは、詩・文学にとっては二義的な、副次的な問題に過ぎません。

この名誉欲が、多くの文学を志す人の道を誤らせることがあります。つまり、純粋な「書きたい」という衝動よりも、名誉を得たいという事が目的になってしまうという、本末転倒な状態です。

現代であれば、文学賞に一喜一憂し、文学の序列化を招く。

李徴にも、この一面を見ることは、決して飛躍ではないでしょう。

誰もが詩人である

「書きたい」という純粋な衝動で、書きつけていく無名の人々が、本作の途中に幾人か登場し、パターソンと一瞬の邂逅が描かれます。

母と姉を待つ少女、夜のコインランドリーの男性・・・

そしてパターソン本人。

彼らは、どこでも、筆一本と紙一枚で、何らの資格や地位を要求されるでもない、「自由な」詩人です。

「もしかして、あなたもパターソンの詩人ですか?」という、終盤の日本人詩人(演:永瀬正敏)の問いかけは、まさにこれを象徴しています。

沖仲仕の哲学者

高等教育を受けずに独学で学んで、カリフォルニア大学バークレー校の教授(政治学)となったエリック・ホッファー(1902-1983年)という人物がいます。

季節労働者をしながら、図書館に通い続け独学で、諸学(物理学や数学)を修得。沖仲仕(おきなかし)(湾港労働者)の仕事を続けながら執筆活動を続けたことから「沖仲仕(おきなかし)の哲学者」と称された異色の人物です。

しかし、逆に言えばこれは「異色」「異彩」ではないのかもしれません。

ホッファーがそう呼ばれるのは、独学なのは勿論ですが、インテリに相応しい「地位」(社会的身分・職業)を専業にせずに、別の職業(肉体労働)に勤しんでいたからです。

そもそも、哲学者や作家、詩人というのは「職業」なのでしょうか?

人はもしかして、大学教授や文学賞受賞作家をもって、「哲学者」だ「詩人」だとしているのかもしれません。

しかし、それには違和感があります。

そのような「職業」は必ずしもそれらを名乗る「条件」ではありません。あくまで、付随的なものです。

本来、その人を「哲学者」だ「詩人」だというのは、その在り様、生き様です。

何の糧で生きていようが、その人生に哲学の探求があれば哲学者であり、詩作への飽くなき意欲があれば詩人でしょう。決してそれは「職業名」ではない。

職業とその生き様は、別物なのです。

沖仲仕であろうと、バス運転手であろうと、江南尉※2であろうと。

もし、「職業」だと勘違いされているのならば、それは「経済の専制」の時代たる現代の悲劇、あるいは喜劇でしょう。

詩は「閉じる」だけでいいのか?

李徴が名誉ではなく、詩そのものを追い求めていれば、結果は大きく違ったことでしょう。

では、名を成すこと、詩家・作家として世に出る、作品を世に問うことは、傲慢なことなのか?

否、それは、やはり違うでしょう。

それは、また別に意味のあることです。

李徴の後悔の中に、師につかなかった事、詩友と交流し、切磋琢磨しなかったことが嘆かれています。

この才能を生かす、というのが、つまり「磨く」ということです。

詩や文学は、パターソンのように自己の中で「閉じる」状態でも、それはそれで意味はあるのですが、磨かれることがない。いや、正確には、限界がある。

フランスの作家ジャン=クロード・カリエールは、ウンベルト・エーコとの対談の中でこう言っています。

「今日、ある作家が、書くという行為をまったく介さず、先行の文学もまったく知らずに、小説を口述するということは考えられるでしょうか。そういう作品は、素朴さ、未開の感じゆえに珍重されるのかもしれませんが、それでもやはり、そういう作家には、我々が漠然と文化と呼んでいる何かが欠けているんじゃないかと思うんです。ランボーは早熟の天才で、誰も真似できない詩を書きました。しかし、いわゆる自己流ではなかった。」※3

文学にしろ思想にしろ、そこには過去積み重ねられてきた膨大な「遺産」がある訳です。

その前には一個人はあまりに小さい。

この「遺産」を利用して、己の作品をさらに洗練させていく、明瞭にしていく営みこそ、「磨く」ということです。具体的には、師や師友もそうでしょう、発表すること(読まれること)で、批判(≠否定)・吟味を受けること。「閉じる」から「開く」ことで、自分には見えなかったものが見え、洗練されていく。

哲学や文学・詩を、アカデミアや文壇で問う事、また、その為に職業としていくこと(「職人」となること)の意義は、まさにここにあるでしょう。

詩はどこに「刻まれる」のか?

「あなたの言われるのは、ものを知っている人が語る、生命をもち、魂をもった言葉のことですね。書かれた言葉は、これの影であるといってしかるべきなのでしょうが」

プラトン『パイドロス』岩波書店、1993年、137頁。

ところで、パターソンは、妻から散々、詩をしたためたノートを、コピーしてほしいと言われていながら、愛犬の「暴挙」で結局失ってしまいます。

その落胆の中で、最後の場面、滝のベンチで、日本人詩人と邂逅します。

この二人の対話で思い起こされたのは、「一体、書かれた言葉とは何か?」という問題です。

これは「詩」というものの本質に関わるものです。

古代ギリシアの哲学者プラトンは、書かれた言葉に批判的ですすが、その真意は書かれた言葉の「脆弱性」にあります。

一度、書かれた言葉(出版された本を想像してください)は、相手の力量を問わずに読まれ、誤読と不当な非難に晒され、自身では自身を守れません(プラトン『パイドロス』)。

とかく詩人追放論(『国家』)などで議論を呼ぶプラトンですが、それでも、書き言葉(書物)の価値として、

「自分自身のために、また、同じ足跡を追って探求の道を進むすべての人のために、覚え書きをたくわえるということなのだ。そして彼は、自分が園に蒔いた種が柔らかく生長するのを眺めてよろこぶだろう。」

同上書、39頁。

言葉は魂に刻まれ、それが、いわば「影」として現実界に、真っ白なノートにペンによって刻まれる。詩というものの本質は、魂の言葉(詩)を現実の詩編に顕現させること。

この場合、書かれた詩は、魂の詩に対しての「影」、ミーメーシス(模倣)となります。

逆に言えば、ノートを喪っても、魂にそれは残り続けている筈です。

最後に日本人詩人が渡してくれるノート。それは、その暗喩かもしれません。

「白紙のページに広がる可能性もある」

(本編より)

「詩の翻訳はレインコートを着てシャワーを浴びるようなもの」

最後に、日本人作家のこの言葉。

詩がその詩人の扱う言語、それを背景にしてるならば、その言語の文化的背景、機微も、その詩には込められます。それをどう翻訳しても、名訳であろうと、掬い取れない部分はあるでしょう。

プラトンは書かれた言葉は、「真実から遠ざかること第三番目」と言いました。

それは真実在の次(模倣)が現象界(現実世界)であり、その更に次がそれを模倣した書かれた言葉だからです(二重に模倣したもの)。

であるならば、翻訳とは「真実から遠ざかること第四番目」であると言えます。

このことは「言語間の宿命」として覚えておいた方が良いかもしれません。

【脚注】

※1.中島敦『山月記・名人伝ほか』筑摩書房、2016年、21頁。

※2.李徴が任命された官職。江南における軍事・警察。

※3.エーコ/カリエール『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』阪急コミュニケーションズ、2011年、29-30頁。

【参考文献】

中島敦『山月記・名人伝ほか』筑摩書房、2016年。

プラトン『パイドロス』岩波書店、1993年。

プラトン『プラトン書簡集』角川書店、1970年。

藤澤令夫「文芸批判の規準としての「カリス」、「オルトテース」、「オーペリアー」」『藤澤令夫著作集1』岩波書店、2000年。