2026年10月31日(土)、今年も神田古本まつりへ行ってきました。
最近、インターネット上で「神田古本まつりが衰退している」という趣旨の話を見かけました。はたして本当なのでしょうか。
そんなわけで、今年も神保町へ足を運んでみました。もっとも、神田古本まつりには20年くらいは、毎年のように出かけていますので、別に今回だけ特別な調査に乗り出したわけでもありません。
結論から言えば、たしかに以前と比べて寂しくなったところはあります。しかし、それをもって神田古本まつりが急速に衰退していると断言するのは、少々早計ではないかと思いますが、その兆候「かも」しれない点もあります。
ついに解体!
まず、今年の神保町で目についたのは、かつて岩波ホールが入っていた神保町交差点のビルの解体工事です。

このビルの前には広場があり、神田古本まつりの期間中には多くの出店が並んでいました。神保町交差点という立地もあって、古本まつりの賑わいを象徴するような場所です。
ところが、今年はその一角がすっかり姿を消していました。
下は4年前の2022年の神田古本まつりの、ビル前の様子です↓

さらに、ビルの脇の路地にも例年は出店が並んでいましたが、こちらも工事の影響なのか、出店の規模が半分ほどになっていました。

神保町の中心部ともいえる場所だけに、これでは一見して活気が失われたように感じられるのも無理はありません。
ちなみ、下は2022年の同じ場所。両側に出店がありますし、巨大な看板もあって印象がだいぶ違います。これは工事が終わるまで、数年はこんな感じでしょうか。

しかし、靖国通りに目を向ければ、古書店のワゴンや出店は相変わらず軒を連ねています。
本を手に取り、ページをめくり、値段を確かめ、また次のワゴンへ向かう。あの古本まつりならではの光景は健在でした。
私自身、今年も楽しく古本を眺めて回ることができました。
少なくとも、ここ今年の神田古本まつりが劇的に変わってしまったという印象はありません。
ただし、話をもう少し長い時間軸で考えると、見えてくる景色は違ってきます。
20年前の神保町と、失われた街の風景
私がはっきりと覚えている神田古本まつりは、今から20年ほど前のことです。
当時と比べれば、古本を覗き込んでいる人の数は、やはり減ったように思います。
もちろん、これは統計に基づいた話ではありません。あくまで長年この街を歩いてきた一人の人間の印象です。
それでも、20年前の神保町を思い返すと、街全体に漂っていた熱気のようなものが、現在とは少し違っていた気がします。
変わったのは古書店だけではありません。
神保町には、安くてうまい個人経営の飲食店が数多くありました。いわゆるB級グルメの宝庫でもあったのです。
たとえば、半チャンラーメンで知られた「さぶちゃん」。
あるいは、老舗餃子店の「スヰートポーヅ」。
本を探して歩き回り、腹が減ったらこうした店に立ち寄る。それもまた、神保町という街の楽しみでした。
もちろん、今でも魅力的な飲食店は数多く存在します。新しく生まれた店もあります。
しかし、昔から親しまれてきた店が一つ、また一つと姿を消していったことも事実です。
コロナ禍の影響もあったでしょうし、店主の高齢化や後継者の問題もあるでしょう。個々の閉店には、それぞれ事情があります。
それでも、そうした店々が積み重なって形づくっていた街の雰囲気は、簡単に代わりが利くものではありません。
神保町の魅力とは、単に古本屋が多いというだけではありませんでした。
古書店、一般書店、出版社、大学、喫茶店、安くてうまい食堂。それらが雑然と共存していること自体が、この街の文化だったのです。
開催期間が違う!
今年の神田古本まつりで、明確に、例年と違ったのは、開催期間です。
例年、11/3文化の日までを開催期間にしています。ところが、今年は、11/3まで届かず、11/1(日)が最終日でした。
これは、何か事情があるのかもしれませんが、もしかすると、ひょっとすると、静かな後退・縮小局面の一例なのかな?と邪推してしまいますね。
三省堂書店は帰ってきたけれど
神保町の変化を語るうえで、避けて通れないのが三省堂書店です。
神保町のランドマークともいえる三省堂書店は、建て替えを経て新しい姿となりました。
このリニューアルについては、以前の記事でも取り上げました。
新しい三省堂書店を歓迎する声がある一方、かつての店舗を懐かしみ、現在の姿に物足りなさを感じる声もあります。
私自身も、どうしても複雑な気持ちを抱いてしまいます。
以前は神保町を訪れれば、新刊書店は、三省堂書店、東京堂書店、書泉の三店舗を梯子していました。
しかし現在では、三省堂書店は、コースから外してしまいましたね。
もっとも、その東京堂書店も20年前には現在とは違う姿をしていました。
リニューアル前の東京堂書店には、立花隆のコーナーがあったことを覚えています。
書泉も、もう一店舗(書泉ブックマート)が駿河台下交差点にありました(現在のABCマート)。書泉は神保町2店舗体制だったんです。
そう考えると、街はいつの時代も変わり続けているのです。
今の東京堂書店を好ましく感じている私も、40年前の誰かから見れば、変わってしまった神保町を喜んでいる人間なのかもしれません。
だからこそ、単純に「昔はよかった」と言って済ませるわけにはいきません。
問題は、建物が新しくなったこと自体ではありません。
その建物が、神保町という街のなかで、どのような役割を果たすのかということでしょう。
再開発は神保町の文化を壊すのか?
最近、神保町の再開発をめぐって、もう一つ話題になっている場所があります。
駿河台下交差点付近の、いわゆる三角地帯です。
古書店の文庫川村や、カレー店「エチオピア」などがある一角です。
この地域の再開発計画についても、インターネット上では賛否両論が見られます。
古くからの街並みが失われることを惜しむ声がある一方、老朽化した建物を更新する必要性も理解できます。
私には、どちらの意見もよくわかります。
そもそも、古い建物をいつまでもそのまま残しておくことが、本当に正しいのでしょうか。
まさか、首都直下地震で崩壊するのが、「美学」というわけではないでしょう。
もちろん、古い建物だからといって、すべてが危険なわけではありません。耐震改修によって使い続けられる建物もあるでしょう。
しかし、耐震性に問題を抱えた建物まで、街の風情を守るために残し続けるべきだとは思いません。
かといって、再開発によって街の個性が失われてしまうことにも、強い抵抗を感じます。
ここに難しい問題があります。
私が気になるのは、再開発そのものというより、再開発の結果、どこの街も同じような姿になってしまうことです。
東京という都市の面白さは、その巨大さだけにあるのではありません。
神保町には神保町の、神田には神田の、浅草には浅草の、そして新宿には新宿の顔があります。
街のカラーがある。
これは特に地方から上京するとビックリする点です。
東京という一つの都市のなかに、それぞれ異なる歴史と文化を持つ、無数の街が存在しています。
それこそが東京の魅力ではないでしょうか。
ところが、近年の再開発では、どこの街にも似たような複合高層ビルが建ち、似たような商業施設が入り、似たようなチェーン店が並ぶ光景を目にします。
もちろん、それらにも利便性や経済的な合理性があります。
しかし、その結果として街の個性が失われてしまうのであれば、何のための再開発なのでしょうか。
防災性を高め、経済的な活力を維持しながら、それまで街が育んできた文化も引き継ぐ。
そうした再開発は、本当に不可能なのでしょうか。
古い建物をすべて保存することと、街の文化を守ることは、必ずしも同じではないはずです。
なんせ地震大国ですから。
建物を新しくしても、そこに古書店があり、個性的な飲食店があり、人々が本を探して歩き回る街であり続けるならば、神保町は神保町でいられるのではないでしょうか。
むしろ問われるべきなのは、そうした街の文化を新しい都市空間のなかにどう引き継ぐかということです。
本を探す街から、観光する街へ
もう一つ、神保町を歩いていて感じる変化があります。
それは、この街が「本を探しに行く街」から「観光する街」へと、少しずつ変わりつつあることです。
近年はインバウンドの影響もあり、神保町を訪れる外国人観光客の姿も目立ちます。
もちろん、海外から多くの人が神保町を訪れること自体は、歓迎すべきことです。
世界でも最大の古書店街が、日本の文化として注目されるのは悪いことではありません。
古書店に立ち寄り、喫茶店で休み、カレーを食べ、街並みを楽しむ。
そうした観光のあり方も、神保町に新しい活力をもたらしているのでしょう。
ただ、少し気になることもあります。
かつて神保町は、本を探すという明確な目的を持った人々が集まる街でした。
ある本を探すために何軒もの古書店を巡り、思いがけない一冊と出会い、予定していなかった本まで買ってしまう。
そうした人々の営みが、古書店街を支えてきました。
ところが、街そのものが観光の対象になると、本を買うことよりも、神保町という場所を訪れること自体が目的になっていきます。
それが悪いとは言えません。
観光客が増えることで飲食店が潤い、街の知名度が高まり、結果として古書店に新しい客が訪れることもあるでしょう。
一方で、観光地としての人気が高まるほど、街が本来持っていた文化とは別の方向に変わっていく可能性もあります。
古書店街という文化があるから観光客が訪れるのに、観光地化が進むことで、その文化を支えてきた店や人々が失われてしまう。
そんな逆説も起こりえます。
とはいえ、観光客が増えなければ街が衰退するという問題もあります。
まことに悩ましい話です。
神保町は、これからも神保町でいられるのか
さて、最初の問いに戻りましょう。
神田古本まつりは、本当に衰退しているのでしょうか。
少なくとも、2026年10月31日に歩いた限りでは、今年の出店数や賑わいの変化には、周辺の解体工事という事情が大きく影響しているように感じられました。
靖国通り沿いには相変わらず古本が並び、多くの人が本を手に取っていました。
ここ数年で急激に衰退したとまでは、私には思えません。
しかし、20年前と比べれば、神保町という街が大きく変わったことも確かです。
失われた古書店があり、閉店した食堂があり、姿を変えた大型書店があります。
一方で、新しい店も生まれ、新しい人々が街を訪れています。
街が変わること自体は、決して悪いことではありません。
そもそも、20年前の神保町も、そのさらに20年前とは違っていたはずです(生まれていませんので)。
問題は、変化することではなく、変化のなかで何を残し、何を失っていくのかということでしょう。
神保町が神保町である理由は、古い建物が並んでいるからでも、古書店の数が多いからでもありません。
本を探す人がいて、その人々に応える書店があり、本をめぐる文化が街の日常に根づいていること。
そして、そうした文化を取り巻く喫茶店や食堂、出版社や大学などが、独特の街の風景をつくっていること。
それらが失われてしまえば、たとえ神保町という地名が残っていても、私たちが知っている神保町とは別の街になってしまうかもしれません。
再開発も、観光地化も、必ずしも否定されるべきものではありません。
ただ、その過程で神保町が、どこにでもあるような街になってしまうことだけは避けてほしいものです。
そんなことを考えながら、今年も靖国通りに並ぶ古本の背表紙を眺めていました。
神保町の醍醐味は・・・
もっとも、神保町で本を探すのであれば、実は神田古本まつりの期間中よりも、普段の平日に訪れる方がおすすめです。人混みに揉まれることもなく、ゆっくりと古書店を巡ることができます。
神田古本まつりの衰退を心配しておきながら、こんなことを言うのも何ですが。
やはり神保町は、本を探す街なのです。
