アメリカ大統領の核戦争の始め方:おすすめ映画「トータル・フィアーズ」【後編】(核ボタンは存在しない?)

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アメリカ大統領の核戦争の始め方:おすすめ映画「トータル・フィアーズ」【前編】(エスカレーションとデスカレーション)

「核ボタンという比喩」

E4機内では、大統領の前に巨大なカバンが用意されます。

「フットボール」と通称されるアタッシュケースです。

大統領には、常にこのカバンを持った佐官級の将校が随行し、カバンを持つ将校は、持ち腕とカバンを手錠で繋ぐほど取扱いに慎重です。

それもその筈。このカバンの中には核攻撃に必要な通信・認証システムや攻撃目標のプランなどが収められているといいます。

まさに、地球の運命を決するカバン「核のフットボール」です。

大統領に随行している統合参謀本部議長らが、フットボールを開き、核攻撃の手続きに入ります。

よく、「核ボタン」という言い方がなされますが、実際はボタンではありませんし、大統領が直接押すわけでもありません。これは比喩です。

行われるのは認証手続きです。

劇中、ファウラー大統領は胸元から、プラスチックのカードを出します。

ここには、毎朝、国家安全保障局(NSA)が発行する「ビスケット(ゴールド・コード)」と呼ばれる核攻撃用発射認証コードが記されています。大統領は、このカードを常時携帯します。

カードには偽のコードも併記(羅列)されており、大統領は「上から〇〇番目」と自身しか知らない正しいコードを伝えます。

更には、ダブルチェック(ツーマン・ルール)で、閣僚の誰か一人が大統領と同じように認証します。

冒頭の核攻撃演習では国家安全問題担当大統領補佐官が。そしてロシアへの核攻撃では、国務長官が、ダブルチェックを行います。

認証が完了し、核攻撃が開始されます。

核攻撃目標は「単一統合作戦計画(SIOP)」によって事前に策定されています。

そのオプションから大統領が選択します。

EAM(緊急行動メッセージ)という通信が、核兵器配備部隊に伝達されます。

  • 米本土のICBM(大陸間弾道弾)発射サイトへ
  • 核爆弾搭載の空軍戦略爆撃機部隊へ
  • 深海のSLBM(潜水艦発射弾道弾)搭載のオハイオ級戦略原子力潜水艦へ・・・

ここまで事態が来ると、後は分単位、いや秒単位の勝負になります。

劇中でも、「認証から発射まで60秒かかります」という将軍の説明があります。

ICBMが30分足らずで着弾する状況です。

佐藤大輔の小説『遥かなる星』では、キューバ危機が米ソの全面戦争に発展。

ケネディ大統領が核発射手順にもたついた為、「5秒」の遅れで、ソ連の核攻撃に圧倒され敗北します(佐藤作品では、「核」ではなく「反応弾」と呼称します。)

さて、EAMを受信した部隊はどうするでしょうか?

戦略潜水艦や地下サイロで、実際に、核攻撃の発射がなされますが、やはりそこには、「核ボタン」はありません。

実際の発射は2つの発射キーを同時に回すことで実行されます。

キーは一人で2つ回せない位置にあり、必ず二人が同時に回します。これは、狂気や反乱で一人が勝手に発射してしまう事を防ぐためです。

映画「ウォー・ゲーム」(1983年)冒頭では、ICBM発射サイロの核ミサイル発射手順と、その「重み」と「逡巡」が描かれている場面があります。

年嵩の方の士官が、キーを回せないのです。

そのキーで数千万人の命と地球の運命を変えてしまうのですから・・・。

若い士官は拳銃を抜き、キーを回すように迫ります。

ちなみにこの作品では、主な舞台がNORADでもあります。

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また、映画「クリムゾンタイド」(1995年)では、交戦下の原子力潜水艦で、受信中のEAMが途中で中断してしまい、その内容の解釈・判断(発射の是非)で艦長と副長が対立し、「叛乱」が起こる様が描かれます。

最後の努力

もはや米露の全面核戦争は秒読み段階です。

イタリアの米軍基地からB2戦略爆撃機も飛び立ちます(“虎の子のB2は本土のホワイトマン空軍基地かグアムあるいはディエゴガルシアからしか発進しないのではないか?”というツッコミは、ひとまず置いておいて)

しかし、そこにライアンが現れます。

彼が滑り込んだのは、バージニア州にあるペンタゴン(米国防総省)内に置かれている「国家軍事指揮センター(NMCC)」。

ここは、米軍のいわば中枢です。日本で言えば、防衛省の中央指揮所に近い存在です。

ここでは、統合参謀本部の管理下、SIOPの指揮・統制も担っており、また、米露間のホットラインも担当しており、ライアンは、ホットラインに割り込み、ロシアのネメロフ大統領に今回の事件の真相を伝え、デスカレーションを試みます。

この時、米露間のバックドアであったネメロフの側近グルシュコフの助言もあり、ネメロフは核攻撃の中止を宣言。

ファウラー大統領も停戦に応じて、僅か数十秒前に、核戦争は回避されます。

そして、後日、クレムリンで、米露両大統領が握手する一方、ドレスラーら首謀者は米露の諜報機関により抹殺されます。

回避できなかった第三次世界大戦

本作では破局の一歩手前で、全面核戦争は回避されました。

しかし、もし回避できずに、開戦してしまったら?

先ほどの、佐藤大輔『遥かなる星』もそうでしたが、それ以外に2作品をご紹介します。

ウォー・デイ(WAR DAY)

本作は、1988年に起こった米ソの全面核戦争により崩壊した米国を、数年後に二人のジャーナリストが取材する、ドキュメンタリーの体裁を採ったフィクションです。

作中、彼らは、様々な人々にインタビューし、あの戦争(ウォー)()(デイ)、そして現在の生活や社会情勢を再現していきます。

その様々な取材対象に、開戦時の米国防次官がいます。

彼は、米ソ開戦直前に、アンドリューズ空軍基地からE4に緊急搭乗し、全面核戦争への過程に立ち会います。

本作では、西側同盟国(英・仏・西独)が秘密協定を結んでいて、在欧米軍基地を「制圧」し、これをソ連に通告し、米ソ核戦争の「巻き添え」を回避するという展開があります。

この欧州の「秘策」は、国際政治の機微であり、最終戦争を回避する賢明な思慮の賜物でした。(英国は、戦後、米国に進駐します。)

結果、人類は絶滅を逃れます(米ソは崩壊しますが)。

また、E4は、ソ連の高空核爆発によるEMP(電磁パルス)で、最終的に海岸の砂浜に不時着・大破。大統領は死亡します。そして、跡を継ぐべき副大統領は、「オル二―」に向かう途中に、EMPで搭乗ヘリが墜落し、こちらも死亡。

かくして、JEEPは破綻し、連邦政府は崩壊します。

プロイセンの軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』において、「摩擦」「戦場の霧」という考え方があります。

あらゆる机上の、あるいは事前の合理的計画・計算・準備も、実際の戦場(戦争)では、様々な偶然や非合理な行動などによって、阻害され狂っていく(「摩擦」)。

考えのなかだけでは、誇張されたこと、真実ではないことと思われるような出来事が、現実の戦争においては至る処に生起するのである。

クラウゼヴィッツ『戦争論』(上)岩波所書店、2000年、132頁。

指揮官も、敵情や戦況を全て把握できるわけではないので、その決断は常に不完全な中で行われる(「戦場の霧」)

つまり一切の行動は、薄明のなかで行われるのである、それだから霧や月明かりのなかの朦朧とした像のように実際よりも大きく見え、怪奇な外観を呈することも稀ではない。

クラウゼヴィッツ『戦争論』(上)岩波所書店、2000年、70頁。

本作では、E4のEMP防護は完璧ではなかったし、ソ連とのホットラインも繋がらなかったし、指揮権の移譲も成功しませんでした。

核戦争という極限状況では、その霧もより深く、摩擦も大きくなるということでしょう。

最終戦争

こちらは、より仮想戦記に近い小説です。

中露の核戦争に端を発する米露の核戦争を描いています。

上巻の前半部は、やはり大統領らが陣取るのはE4であり、その機内が舞台になります。

核戦争の推移に関して、米政府・軍部に関して、かなり詳しい描写がなされていますし、米露間の大規模な通常戦も展開されます。。

ちなみに、アニメ「学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD」でも、ゾンビパンデミックの中、米国が中国に核攻撃する一連のシーンがあります。

大統領が暴走したら?

最後に、大統領自身が暴走したら?

世界の運命を握る人物が、理性と良識を常に持ち合わせているのか?

例えば、ニクソン大統領が、ウォーターゲートで追い詰められたときに、議会に「核の使用」をちらつかせる発言があったそうですが、当時の国防長官は、「大統領からの異常な指示には従ってはならない」と軍部に特別警告を発したそうです※1

とはいえ、ダブルチェック(ツーマンルール)も、誤発射を防止するものであり、大統領以外の閣僚に発射拒否の権限があるわけではありません。

残されたのは、倫理・良心の問題です。

これは、軍がどこまで「異常」な命令に従うべきか?という問題に繋がります。

非人道的な命令と文民統制(大統領の命令)という問題。以下、少々長いですが引用します。

 「かりにもし、大統領が拷問を命じたらどうするか」と問われた元国家安全保障局長官は、「米軍は行動することを拒むだろう」と答えている。

これは、命令系統の乱れだけでなく、文民統制そのものの破れを意味する。しかもこの場合 民主的な法治国家における正統性は、命令を拒否した軍の方にあることになる。上官の非人道的な命令に従うべきかどうかは、「ニュルンベルク裁判」における良心の問題としてしばしば 論じられてきたが、米軍兵士はここで「非合法な命令に従ってはならない」という普遍的要請を優先させることが求められる。大統領が軍の指揮権を失い、軍が大統領の命令を無視してみずからの判断で行動するなら、これは軍事クーデタの性格すら帯びることになるだろう。今後の世界情勢が緊張すれば、同じ問いは核ミサイルの発射命令という戦煙すべき権限をめぐって起きることになる。大統領職の正統性を支える信憑性構造には、揺らぎがあってはならないのである。

森本あんり『異端の時代』岩波書店、2018年、232-233頁。

政治権力の問題では、暴力が関わる以上、この正統性と合法性の問題は常に顔を出します。

特にそれが、「核」というメガデスをもたらす究極の暴力であれば、言わずもがなです。

【脚注】

※1 藤井治夫『アメリカ軍事力の徹底研究』光人社、1986年、15頁。

【参考文献】

藤井治夫『アメリカ軍事力の徹底研究』光人社、1986年。

小川和久『日本の戦争力VS北朝鮮・中国』アスコム、2007年。