2018年(英・仏)、マイク・ニューウェル監督
あらすじ
1941年、英王室属領であるチャンネル諸島ガーンジー島。
イギリス海峡のフランス側に近いこの島は、ナチス・ドイツ軍の占領下に置かれていた。
ある晩、島の住民4人は、禁令を破って外出していたところ、ドイツ兵に誰何される。
慌ててついた嘘は、「ガーンジー島文学・ポテトピールパイ同好会」という在りもしない会合の帰りだというものだった。
1946年、ロンドン。
ようやく終わった戦争。売れっ子の女流作家ジュリエット・アシュトン(演:リリー・ジェームズ)は、不思議な縁で、ガーンジー島の青年ドーシー・アダムズ(演:ミキール・ハースマン)と文通を始める。
そこには、戦時中に結成した読書会のことが書かれており、強い興味を持ったジュリエットは、単身、ガーンジー島へ旅立つ。
そして、その旅行中、この読書会に隠された「ある秘密」に気付くのだった。
※以下ネタバレあり
タイトルに騙されました
ざっくばらんにいいますと、実は、本作は、それほど「読書会」や「読書」に重点を置いたお話ではありません。
前知識なしで、タイトルのみで観てみた映画なのですが、想像していた「本にまつわる」部分はあまりなく、期待を裏切られました。但し、いい意味で。
てっきり、ナチスが禁書に指定した本を、秘かに読書会で読んでいくようなお話かと思い込んでいました。
本作の主題は、あえて言えば、占領下における良心の問題。国家に引き裂かれる人間の悲しみでしょうか。
勇気と良心と
ジュリエットは、会の主宰者だったエリザベス・マッケンナ(演:ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ)と出会うことはできません。
周囲の人々の話を集めながら、彼女の人となりと、彼女の身の上に起こったことを知っていきます。
エリザベスは抵抗の人として描かれます。
行進するドイツ軍に「恥を知りなさい」と怒声を浴びせ、逃げてきたトート機関の奴隷の少年を助けたために、逮捕され、大陸の収容所に連行されます。
そして、読書会のメンバーが最後に知る、彼女の「消息」も、また彼女らしいものでした。
国家と個人と
ところが、エリザベスに教えられるのは「勇気と良心」の抵抗だけではありません。
読書会の秘密とは、エリザベスが、ドイツ軍将校クリスチャン・ヘルマンと恋に落ち、その二人の忘れ形見こそ4歳のキットだったことです(島民には公然の秘密だったようですが)。
2人の恋に、エリザベスの母親アメリアは強く反対します。
敵軍の兵士との恋など許せないと。彼女のもうひとりの娘はドイツ軍の空爆の犠牲になり、夫はソンム(第一次大戦の激戦地)の泥の中で眠っています。
国家によって、家族と恋人が引き裂かれる様が、本作の主題とも言えます。
しかし、そんな、国家とは、果たしてどこまで自明のものなのでしょうか。
近代国家は国民国家(ネイション・ステイト)と言われますが、そこには大きな虚構、フィクションが存在しています。
「イギリス人」とか「フランス人」とか「ドイツ人」というのは、近代に作られた一種の虚構です。
アーネスト・ゲルナーやベネディクト・アンダーソンらが、鮮やかに分析している通り、人々にとって、リアリティがあった共同体は、顔と顔が見える(face-to-face)の村落共同体、せいぜい、地域単位(ウエールズやスコットランド、ブルターニュ)であり、ネイション(国民)ではなかった。
それが、近代になって、教育(国語の強制)、出版等によって、「イギリス人」「フランス人」という「国民」を創造したわけです。見ず知らずの人同士を、「同胞」と意識させるようになったわけです。
(近代日本も無論、例外ではありません)
この「想像の共同体」が、いつのまにか自明の、遥か昔からある存在のように意識されるようになり、ナショナリズムが生まれます。
冷静に考えてみれば、「虚構」「想像」の為に、国民は徴兵あるいは志願して、血を流し、流させている訳です。
そして、相手を、「イギリス人だ」「ドイツ人だ」とカテゴライズして、敵・味方に分けているのです。
本作でエリザベスが、ドイツ軍を罵りながら、やがて、そのドイツ兵と恋に落ちるのは象徴的な関係です(そして、ドーシーとクリスチャンも友情を結びます)。
カテゴライズされた敵という集団ではなく、face-to-faceの関係としてエリザベスとクリスチャンは愛情を育みます。
仲のよろしくない国同士でも、個人として付き合いがあれば、
「●●人は嫌いだが、あいつは、いい奴だ」
みたいなことを言う人は意外と多い。
問題の核心は、face-to-faceで個人と個人が向き合えるか、「想像の他者」を頭の中で作り続けるかということです。
2人の関係はそれを物語っています。
本は誰の所有物か
本が主題ではない。と最初に言いましたが、とはいえ、やはり、本について考えさせるものがあります。
それは、果たして、本とは、何なのか?という点です。
以前、ジュリエットが手放した古本に書きつけていた住所を基に、ガーンジー島の青年ドーシー・アダムズとの文通が始まります。
電子書籍のような形態とは違い、現物の「モノ」である本・古書には、所有者が引き継がれていく故の、偶然の出会いや発見と言うものがあります。
そう考えるとき、本を「捨てる」という行為が、なにか冒涜的なものに感じられてきます。
果たして、買った本というのは、自分の所有物なのか、もしかすると、一時借りているだけで、別の人間に、あるいは次の世代に引き継がなければならないものなのではないか。
本の持つ力の一端を垣間見る作品でもあります。
P.S.
色々とのたまっていますが、主演のリリー・ジェームズが、美し過ぎて見惚れてしまうので観るべし!