「人の上に立つ者は、心に一匹の鬼を飼わねばならん。」
徳川家康(第19回)
徳川家康をやらせたら最も似合う俳優といえば津川雅彦
とにかく家康と言わず、様々な作品で、徳川将軍を見事演じ切ります。
特に、5代将軍 徳川綱吉を、時に名君に、時に暴君に、時に暗君に演じて見せたその技量は、論じるに値しますが、今回は、神君家康公のお話。
2000年のNHK大河ドラマ「葵 徳川三代」(全49回)です。
津川雅彦と西田敏行(徳川秀忠・役)の最強ダブルタック。
脚本は安心のジェームス三木。
画面の圧がスゴイ
本作、とにかく出演する俳優陣が重厚で、画面からの圧がスゴイ(笑)
思いつくままに書けば、
- 猛将というか猪武者というか、とにかく荒れ狂う福島正則を蟹江敬三。
- 智将 藤堂高虎を田村亮。
- 徳川家きっての謀臣・本多正信を神山繁。
- 秀忠の腹心・土井利勝を林隆三。
- 秀吉正室の高台院(おね)を草笛光子が。
- 隻眼・伊達政宗を、すまけい。
etc.
ざっと思いつく俳優陣を書いてきましたが、とても書ききれません。
若手が霞むほどの、名優の共演です。主役級大御所が勢揃い。
特に、物語前半の宿敵、石田三成を演じるのは、江守徹。
理に明るく、秀吉への忠義厚いながら、人物としての「小物」感を絶妙に演じます。
ここまで豪華な顔ぶれだと、物語前半では史実の実年齢と演者の実年齢の差が大きくなるのも必定。
特に顕著だったのは、西田敏行演じる徳川秀忠と浅井三姉妹(史実20-30代、演者50-60代)でしょう。
しかし、これを、演技と迫力で押し切ります。
岩下志麻が演じる秀忠正室お江と小川真由美演じる秀頼生母淀殿の迫力と言ったら。
まあ浅井三姉妹がいくらなんでも無理があろうという方は、「江~姫たちの戦国」で癒されてください。
天下は日本国のみに非ず
本作前半は、徳川家康の抜群の政治センスで、天下を獲るプロセスを丁寧に描いています。
狸は狸でも、化け狸の類です。
その政治センスを見せつけた個人的なハイライトは、江戸に幕府を開いた家康に、豊臣家恩顧の福島正則と加藤清正が、伏見城に押しかけ、家康にその真意を問い、詰め寄る場面です。
福島正則は、もしや夷敵とは豊臣家ではありや?と詰め寄ります。徳川家重臣らは騒然とします。
しかし、家康は斜め上、いや、一段高い次元の返答をします
「天下は日本国内のみに非ず。当代の夷敵と申すは、朝廷を崇め奉らず、この国を危うする外つ国人でござる。即ち、イスパニア、ポルトガル、エゲレス、オランダ、オロシヤ。唐、天竺、然り。神仏を軽んじる耶蘇教また然り。これからの征夷大将軍たるは、海の彼方にも目を光らせ、南蛮人や紅毛人の良からぬ野望を打ち砕く器量を兼ね備えばならん。お分かりかな?正則殿。」
(第19回)
この時の加藤清正と福島正則の、あっけに取られた顔。口が半開きです。
ぐうの音も出ません。役者が違う。
それを見ていた秀忠の、呆れたような笑いが、またいい。
大河ドラマだと、幕末モノを除けば、外国の存在があまり意識的に描かれません。
「北条時宗」(2001年放送)のように正面から外国からの侵略(元寇)を扱ったのは、レアケースでしょう。
もちろん、福島正則と加藤清正を黙らせる話術の面もありますが、ここで海外の視点を出してくる家康の政治センスが光ります。
大きな話をすれば、当時のヨーロッパにおけるプロテスタントとカソリックの覇権争いもある訳ですから、政治が日本一国で完結している訳が無い。
帝王学の口伝
また、物語前半では、家康が、まだ若く未熟な秀忠に実地で帝王学を伝授していく様が時折挟まれます。
「国家とは何ぞや」「一番信頼すべきは誰ぞ」と事あるごとに問いただし、教えを授けていきます。
徹底的に政略と軍略の達人だった家康とは違い、秀忠は、乱世が鎮まった後の「平時」の為政者として、幕府の土台を政略で固めていきます。
その二人の姿勢がぶつかり合い、第31回では、江戸城内で殴り合いの「親子喧嘩」を演じるまでになります。
家康亡き後、秀忠は、刀や鉄砲ではない戦に臨みます。
相手は京の朝廷。
大坂夏の陣の後の、このドラマの後半は、ほとんどこの京と江戸の鍔迫り合いがメインになる政治劇の様相を呈するのです。
神と人の狭間で
家康が神君として、日光に祭られる一方、死の床についた秀忠は重臣たちに、死後、「神」として自分を祭ることを「ご免こうむる」と言います。
あくまで、「人」として、死にたいと。
家康は神格化され、関東を守護する存在として祭上げられますが、秀忠は、自分の平凡さをよく自覚しており、故に、父のように神格化される器ではないと考えていたのかもしれません。
また、家康の三男でありながら、何の因果か天下人になったことへの畏れもあったのかもしれない。
天下を握る、即ち最高の政治権力を司るという事は、その政治的共同体の運命・構成員の生殺与奪を握ることを意味します。ささいな判断が無数の人間の運命を激変させる。
時には、切り捨てや犠牲もやむを得ない。
その非情さを、生前の家康は
「人の上に立つ者は、心に一匹の鬼を飼わねばならん。」
と諭していました。
これはウェーバー風に言えば「政治をする者は、悪魔と手を結ばなければならない」。
政治はデモーニッシュ、悪魔的なものであり、並大抵の人間が耐えられるものではない。
それをよく理解していた秀忠は、その重責から早く解放されたかった。
死んでまで、その役目を背負わされることだけは、ご免こうむりたかったのでしょう。
彼は、ただ良き夫、良き父であることを望んでいた。
日本人の政治センスと大河ドラマ
本作は、とことん政治劇に重点を置いた、いわば政治ドラマでした。
NHKの大河ドラマは多かれ少なかれ、この傾向はあります。
人気のある時代が戦国時代や幕末といった、激動の政治の時代というのもあります。
そこでは、権謀術数が渦巻き、血で血が洗う、まさに「万人の万人に対する闘争状態」かのような時代です。
これだけデモーニッシュな「政治」を毎年観て、歴史本を読みあさっている日本人が、現実の政治を前にすると、まるで夢から醒めたかのように、「政治」をキレイ事に、負の部分など1945年8月に消滅したかのような態様になってしまうのが、不可解極まりないです。
歴史ドラマでは政治的センスは養われないのか・・・
「八代将軍吉宗」との関係
さて、この津川雅彦×西田敏行の二大タッグは、本作が初めてではあません。
遡る事5年前、1995年の大河ドラマ「八代将軍吉宗」に既に誕生しています。
主人公、徳川吉宗は西田敏行、吉宗が慕う五代将軍綱吉は津川雅彦
とにかく、「葵徳川三代」と「八代将軍吉宗」は、キャストの重複が際立ちます。
ざっと挙げても(左が葵、右が吉宗)
- 江守徹(石田三成↔近松門左衛門)
- 小林稔侍(片桐且元↔加納久通)
- すまけい(伊達政宗↔有馬氏倫)
- 細川俊之(大谷吉継↔徳川家宣)
- 草笛光子(高台院↔天英院)
- 中村梅雀(徳川光圀↔徳川家重)
etc.
それもその筈。脚本は同じジェームス三木ですからね。
「葵 徳川三代」を楽しめた方は、合戦が一度もない政治劇としての「八代将軍吉宗」も是非ご覧あれ。
追伸
本作、第1回はなぜか「総括・関ケ原」と題して、この後描かれる関ケ原までの過程を総集編方式で放送しています。
それでいて、後半の大事件、島原の乱は、ざっと解説だけで終わらせてしまっているので、第1回やらなくて良かったから、せめて島原の乱を1話分だけでも描いてほしかったです。
(とにかく、家光パートの短いこと短いこと)