有川浩『図書館戦争』の政治学的考察①(軍事的側面)~第三・四の武装組織としての図書隊、メディア良化隊

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内戦には独特の陰惨さがある。それは骨肉間の闘争(Bruderkrieg)である。蓋し敵をも包摂する共通の政治単位内の闘争であり、両陣営ともに共通の統一体に対し同時に絶対的肯定と絶対的否定をもって臨むからである。

カール・シュミット『獄中記』※1

有川浩の大ヒット小説『図書館戦争』シリーズ。

本作は、架空の2019年(元号は平成ではなく正化)を舞台にしたエンターテイメント小説です。

この世界の日本は、昭和63年に検閲が合法化(メディア良化法)され、強制執行機関たるメディア良化特務機関(メディア良化隊)が創設されています。以降、これに反対する地方自治体・図書館側が、物理的に抵抗(図書隊の創設)するという、「内戦」状態下にあります。

今回は、この『図書館戦争』の世界を、作中の公式設定等から、勝手に妄想を膨らまして類推して全三回にわたって妄想考察していきます。

第1回は、軍事的側面です。

第三・第四の武装集団としての「図書隊」「良化隊」

普通、国家の物理的強制装置(暴力装置)として思い浮かべるのは、国の外と内に対してそれぞれ対応することを主任務とした、軍隊と警察です。

しかし、このちょうど中間にあたる組織が存在します。

それが「準軍隊(パラ・ミリタリー)」などと呼ばれる組織です。諸外国の「警察軍」や「国家憲兵(治安憲兵)」「国境警備隊」「沿岸警備隊」などがこれに当たります。

戦後日本の場合、自衛隊と警察が二大物理的強制装置です。

(海上保安庁は、どちらかというと警察・救難としての性格が強い組織と言えます)

そんな戦後日本のパラレルワールドとしての『図書館戦争』の日本(正化日本)は、自衛隊と警察に次ぐ、第三、第四の準軍事組織として「図書隊」「メディア良化隊」を保有しています。

まずは、この2つの準軍事組織を見ていきましょう。

そもそも、図書隊・良化隊の規模ですが、作中に言及がありません。一体、どのくらいの規模なのでしょうか?

アニメ版では3万人という数字がでていたので、この数字で考えていきます。

ところで、現在、日本の武装力というのは、どの位の規模があるのでしょうか?おおよその数字ですが、

  • 自衛隊23万人(陸14万/海4.5万/空4.5万)
  • 警察29万人
  • 海上保安庁1.4万人

といったところです。難しいのは、法定の定員と実員の間に乖離があるので、実際の人数(充足率)は、定員を下回っていることが平常運転です。

まあ、ともかく大体の規模を知っていただくので、近いだろう数字を挙げました。

これを見て頂くとわかるように、仮に図書隊が3万人と考えますと、図書隊の規模は航空自衛隊・海上自衛隊に僅かに及ばないとはいえ、海上保安庁を軽く凌駕する大規模な人員を有していることがわかります。

警察と比べてみても最大規模の警視庁が43000人で次点の大阪府警19000人を考えると、その大きさが分かります。

但し、作中、内勤(通常の司書業務)と防衛員の区別があるので。防衛員自体の人員数が、実際どの程度か?という問題はあります。

では、対抗組織たる法務省メディア良化隊の規模はどの程度でしょうか?

これは、まず図書隊より規模が小さいのは確実です。

なぜなら、良化隊は本を狩る一方的な「攻手」なので、守るべきテリトリーを持たない、機動的・集中的な運用が可能です。対して、図書館という死守すべきテリトリーを持った図書隊は終始受け身、専守防衛を強いられる「守手」に徹し続けなければならない。

故に、図書隊は、各地に分散する図書館を守る為に大所帯になる必要があり、攻める良化隊は攻める場所を選択できる故に、それより少ない人員でこと足りる。

良化隊は部隊のかなりの部分を、「今日は仙台、明日は札幌、明後日は高知」という運用が可能なはずです。守る場所がないですから。

対して図書隊は、どうしても動かせない部隊・残置部隊(図書館守備隊の最低ライン)があるでしょうから、それが出来ない。

逆に、それ故に、図書隊側は、機動的に全国運用可能であろう精鋭部隊、すなわち主人公らが所属する「図書(ライブラリ)特殊(ー・タスク)部隊(フォース)」が必要なのでしょう。

では、そんな良化隊は、どれくらいの規模なのでしょう。

良化隊のような国の法執行機関の規模を見ていきましょう。

  • 労働基準監督官3200名
  • 国税庁56000名
  • 麻薬取締官300名

また、廃止されたものとして、

  • 郵政監察官700名
  • 鉄道公安官3000名(国鉄解体時に都道府県警察に吸収)

国税庁は数が多過ぎるので除外するとして。

麻薬取締官(マトリ)や郵政監察官は少なすぎるでしょう。

労働基準監督官と鉄道公安官の数は妥当なところではないでしょうか。

政権(おそらく自民党)が、体制維持の為に良化隊の検閲活動に力(予算・権限)を入れたとして、5000名から1万名以下といったところが妥当な線でしょうか。

書籍を狩る実働部隊以外にも、ネットポリスのような部隊(インターネットの検閲)も相当数必要でしょうから、多めに1万人と仮定します。

メディア良化隊の、1万人という数字は、警察の全国の機動隊の総数とほぼ同じです。

また、兵庫県警や北海道警の警察官数と同規模です。

ここまで人員数を見てきましたが、この二つの組織が、日本における武装力にとって、無視できない数字であることは容易に理解できるでしょう。

要するに、この2つの武装機関が成立するのは、海外から見れば、実質的には日本の「1990年代軍拡」「正化の軍拡」とも言うべき軍備拡張と捉えられます。

防衛出動時どうなるのか?

ところで、有事の際、この二つの機関の扱いはどうなるのでしょうか。

この場合の有事は、テロ(『図書館革命』の冒頭のような)とか不審船事件とかじゃなくて、本当の「全面戦争」としての、「日本有事」です。

その時に、図書隊や良化隊のような武装組織が手を付けられないなど、考えられません。

全面戦争は総力戦であり、国家は持てる力全てを動員するわけで、4万もの「兵力」が遊兵化するなどあり得ません。

他の実力組織にしても、海上保安庁は、自衛隊法では、有事の際、海上保安庁長官を防衛大臣の統制下に置くことが可能になっています(自衛隊法第80条)。

ちなみに、だからといって、海保が「海軍」に化ける(・・・)訳ではありません。

海上保安庁法第25条は、海保が軍隊たるを否定しており、有事にあっても、あくまで「海の警察」として行動するでしょう※2

また、地方自治を建前にする警察さえ、警察法で緊急事態が宣言されれば(警察法第71条)、内閣総理大臣の統制下にはいります。

有事の際に、国内武装力は総結集されるものです。文字通り総力戦ですから。

では、図書隊やメディア良化隊は?

有事の図書隊は、その性格上(広域地方行政機関)、実質的に「郷土防衛隊」のような運用がなされるかもしれません。

日本有事の際、自衛隊の現有兵力では、後方警備の余裕がありませんし、警察では力不足です。その点、実際に陸自の普通科部隊に準じる装備を持つ図書隊なら、後方警備には打って付けな訳です。

ただ、陸上自衛隊の普通科部隊のような迫撃砲、機関砲、ATM(対戦車ミサイル)、重装甲車などの装備はなく、拳銃、自動小銃、狙撃銃などの小火器、輸送トラックといった陣容なので、正確には、陸自普通科と機動隊の中間といった存在です。ですから、後方警備にしか投入できない。

そもそもが、拠点警備、専守防衛のような部隊ですから。

良化隊との検閲抗争で、図書館と在館者の保護を主任務としてきたので、有事の住民の避難誘導、つまり国民保護とも親和性がある。

他方、良化隊はどうでしょうか。

え?良化隊は?そりゃあなた、その名の通り、NKVD(ソ連内務人民委員部)の督戦隊よろしく・・・

というのは、冗談で、おそらく、情報活動に積極的に活用されるでしょう。

但し、有事なので、相手は図書隊ではありません。

広い意味での防諜活動になるでしょう。なにせ「検閲」が職分ですから、防衛情報の秘匿・漏洩防止、もしかすると拡大解釈で第五列の摘発までやってのけるかもしれません。

公安警察と自衛隊の情報保全隊を併せたようなものになるでしょう。

作中でもテロ事件の際(『図書館革命』)に、良化委員会の権限拡大が企図されました。

やっぱNKVDぽいな。

そもそも法務省の準軍隊というのが、なかなか・・・。

法務省は出入国管理行政を所管していますが、その入管での人権侵害問題などが、国際的な批判を浴びることがあります。その法務省所管の準軍隊であるメディア良化隊のことですから、色々不安になってきますし。

ともかく、有事には、両者の検閲抗争それ自体が棚上げされる法的規定がどこかに用意されている筈です。

霞ヶ関のパワーゲーム

法務省組織であるメディア良化委員会の権限を尊重する、という建前ではあったが、それが省庁間のバランスゲームの結果であることは明白であり、中央省庁に組織が属さない図書館にとって不公平な対応だった。

有川浩『図書館戦争』角川書店、2011年、172頁。

さて、この状況を一番面白くないと考える省庁はどこでしょうか?

それは間違いなく警察庁でしょう。

そもそも「検閲」に関しては、戦前、警察庁の前身たる内務省警保局が扱っていたこともあり、法務省傘下のメディア良化委員会が「横取り」した感があります。

戦後の警察庁(と都道府県警察)は、戦後日本において、極めて強力な組織力・情報力・執行権限を振るってきたわけで、一般社会はもちろん、自衛隊の首根っこを押さえ、公安情報(選挙情報)で政権にも重宝され、肩で風を切る存在です。聖域(タブー)といえば在日米軍くらいなもの。

その「圧倒的」な日本の警察力の存在に唇を噛んだ人物といえば、あの三島由紀夫が挙げられます。

三島が市ヶ谷駐屯地で自決した際の決起文を読めば、その想いは明らかです。

三島は、一連の反政府運動(大学闘争、左派闘争)において、警察(機動隊)が、暴徒を圧倒し、鎮圧せしめたことで、自衛隊の治安出動、ひいては憲法改正、国軍昇格の芽が潰えたという。

治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。

「檄」(『決定版 三島由紀夫全集36』新潮社、2003年、404頁。)

三島が特に「期待」した、1969年10月21日の国際反戦デーも、三島の予想に反し、機動隊が暴徒を圧倒した。

三島の思いは別にして、彼の指摘通り、これで、政府は、警察によって体制を維持できることを確認した訳ですが、これは、逆に言うと、警察が、国内治安に関しては、絶対の自信を持った、やや厭らしい言い方をすれば、「国内治安」という権益を獲得・独占したという事になります。

ところが、それから四半世紀足らずで、事態は一変します。

メディア良化法によって、仮借の無い猛威を振るう執行機関「メディア良化隊」なる組織が現れたからです。そして、良化隊とその対抗組織たる図書隊は、共に、機動隊を上回る装備・火器を有する本物の「準軍隊」なのです。

国内治安を預かる警察庁にしてみれば、国内で「市街戦」を合法的に演じる組織が存在し、かつ実力をもってして阻止・鎮圧できないことは、警察の威信に大きく傷をつけ、政治的発言力を低下させる存在です。

『図書館戦争』と同じように、架空の準軍隊が登場する作品として、押井守原作の、いわゆるメディアミックスのシリーズ「ケルベロス・サーガ」が思い浮かびます(漫画『犬狼伝説』など)。

敗戦後の混乱の中、時の政府は、自衛隊の介入と自治体警察の権限拡大(内務省復活)を避けるべく、第三の道として、首都圏にその権限を限定した国家公安委員会直属の警察軍「首都警(首都圏治安警察機構)」を創設します。

しかし、その管轄を重複する警視庁と首都警は、激しく対立しあい、物語は、「ある事件」へと結実して行きます。

官僚制の、それが同じ暴力装置同士なら、このような怨讐の関係に陥ることは珍しい話ではありません。

ともかく、曲がりなりにも、戦後警察は民主的な市民警察として努力してきたわけです。

ところが、そんな努力(悪戦苦闘、四苦八苦)がまるで無かったかのように、メディア良化法での検閲がまかり通り、市街地で戦闘が行われる。

では、図書隊側に立つか?

それは、図書館武装路線を既定づけた「日野の悪夢」での、警察の対応を見れば一目瞭然です。なぜか?

考えるに、検閲制度が思った以上に政権側に都合がよく、それによって、メディア良化委員会、ひいては法務省の政治的発言力が否応なしに高まったこと。

それによる霞が関のパワーバランスで、警察庁が後塵を拝したであろうことが推測できます。

メディア良化法の範囲外の治安責任という「権益」を守る為、警察が、触らぬ神に祟りなし、と、検閲抗争から身を引いてしまった感があります。下手に首を突っ込み、権限を失うことを恐れて。

では、防衛省はどうでしょう?

史実に準拠するなら、防衛庁は正化に入ってから省に昇格したはずです。

元々、防衛庁は警察庁の厳重な統制下にあったといえます。防衛庁内局の背広組には、多数の警察官僚が送り込まれ、制服組に対しての内局優位が長い慣習でした。

なにせ、最初の名称が「警察(・・)予備(・・)隊」なくらいですから。

それは、もちろん、戦前の軍部の暴走への警戒であり、戦前の内務省・警察が呑まされた煮え湯への、「江戸の(かたき)を長崎で討つ」的な怨讐があったでしょう。

一般には飲み込みづらいかもしれない。だが、戦前の陸軍対警察の名残りであり、旧内務官僚のいわばリベンジマッチであったと考えれば、わかりやすいのではないだろうか。

辻田真佐憲『防衛省の研究』朝日新聞出版、2021年、42頁。

防衛庁の政治的発言力、立場は弱く(「三流官庁」などとの揶揄)、自衛隊は平和憲法下の軍隊というアイデンティティ・クライシスに長年、悩まされます。

そんな防衛庁・自衛隊から見た図書隊・良化隊とは、如何なる存在でしょう?

両者が準軍隊である故、また、自分達とは違い実戦経験を積んでいる点からも、当然、警戒すべき存在と捉えるでしょう。

ただ、出しゃばる訳にはいかない防衛庁・自衛隊にとっては、警察庁以上に静観の構えを見せるでしょう。

しかし、自衛隊と両組織の間には一定の関係はあるようす。

例えば『図書館革命』では、良化隊員が大阪市内で発砲できなかったのは、自衛隊の工作のお陰でした。

おそらく、戦後、実戦経験を得なかった自衛隊は、両組織の検閲抗争から多くのデータを得て、自身の練度の向上に利用しているはずです(特にCQB=近接戦闘)。

とはいえ、表向きには目立たず、口を挟まず、陰に隠れている事でしょう。吉田茂の言葉通りの「日陰者」として。

アメリカ化する日本の治安事情

ところで、この警察の政治力の低下という問題で、ひとつ気になる描写がありました。

『図書館革命』で、日野にある稲嶺前司令の私邸を、良化隊が急襲した際、稲嶺が仕込銃で良化隊員を釘付けにしている間に、笠原たちは、車で脱出します。その途中

シートベルトする間もなく急発進。最初の曲がり角を曲がる前にサイレンを鳴らしながら走ってきた警備会社の車とすれ違った。図書隊も押っ取り刀で向かっているだろう。

有川浩『図書館革命』角川書店、2011年、121頁。

何気なく読み飛ばしそうですが、ここにも重大な意味が隠されていそうです。

稲嶺が警察を頼らないのはわかります。警察(というか警察庁)の中立化(無力化)によって、頼りにならないことは、自分の妻と足を引き換えに稲嶺は十分すぎる程、知っています。

ですから図書隊が駆け付けます。

しかし警備会社とは?

そして警備会社の車両は、サイレンを鳴らして緊急走行しているのです。

これは重大です。民間企業である警備会社が事件現場に緊急走行で駆け付けるのですから。

もちろん、日本の民間企業にも緊急車両は存在しますし、緊急走行もできます。

ガス会社、水道会社、電力会社、鉄道会社、道路公団、赤十字社、一部病院(ドクターカー等)etc.

挙げればキリがありません。

しかし、これらは、全て、事故対処や救急救命といった活動の為に、緊急車両の許可を受けているものです。

ところが、事件対処、すなわち、犯罪が行われている場に、それを鎮圧するために派遣される緊急車両は、基本的に警察しか有していません。

警備会社が、契約している店舗・住居などで異常を探知したとしても、警備員は、一般車両で交通法規を守って駆け付けるに過ぎません。緊急車両ではない。

沿岸の密輸取り締まりなどで地上での活動がある海上保安庁すら、緊急車両の指定を受けていません。

「海デカ」こと海保私服捜査官の悲痛な叫び。

海上保安官が陸上で職務質問すればそれだけで違法行為となる。さらに、ガス会社や電力会社さえ緊急車両の使用権が認められているこの時代に、海上保安庁の海デカたちは緊急時でも、各管轄のパトカー及び白バイの先導に頼るしかない。※3

これは、警察の強烈な管轄意識、治安維持の責任は警察にこそあるという絶対の自負です。

事故・救命・災害ならともかく、治安(犯罪の鎮圧)という強制力を国内で振るえるのは自分達だけだ、と。

一応、法務省矯正局や自衛隊の警務隊(MP、隊内警察)にも緊急車両がありますが、それぞれ法務省の矯正施設内や自衛隊施設内・自衛官が関わる犯罪と、用途・権限・管轄が限定されています。

さて、これを踏まえた上で、稲嶺宅に急行する警備会社の緊急車両という描写が、どれだけ異様か、お分かりいただけるでしょう。

日本の警備員は実質、非武装です。

警棒が最大武器で、拳銃などの火器類は一切認められていません。

警察は、民間に意図的な人への殺傷可能性を持つ火器所有を許しません。

(狩猟に関してはまた別問題です)

これは、ビルやデパートの警備員から現金輸送車の警備員、そして原発の警備員(!)まで一切合切です。

特別な権限などないのです。逆に警備業法によって厳しく規制されています。

極論、制服を着た普通のサラリーマンです。

(但し、例外として海賊対策で特定海域での日本船舶への小銃で武装した警備員の警乗が許可されています)

警備員に期待されているのは防犯であって、犯罪の鎮圧ではありません。

以前、某大手警備会社の方にお話を伺った時、契約している警備対象の建物内に駆けつけて、確実に凶器を所持している侵入者がいる場合、どうするのか?と尋ねると、

「110番通報して、外で待機」

という答えがありました。

鎮圧は業務に入らないのです。そもそも警棒しか持っていませんし・・・。

もちろん鎮圧できるならして構いませんが、それは、警備員に警察権があるのではなく、他の一般市民と同じ私人逮捕です。

あくまで、治安の責任は警察にあるのです。

そんな警備会社が緊急車両指定を受けて緊急走行できる正化日本。

稲嶺邸に到着して、警察到着を待つ?

いやまさか。そもそも110番すらしていないのでは。

そこから類推されるのは、

犯罪鎮圧目的としての緊急車両権限を持つくらいであるならば、逮捕権も与えられているのだろう。

そして、後から来るであろう図書隊に引き渡すのでしょう。

正化日本とは現実の日本とどれだけ変わってしまったのでしょうか?

思うに、検閲抗争が引き金になって、もっと具体的には、図書隊・良化隊が武装化し、警察が介入(鎮圧・取り締まり)できない国内での局所戦闘が頻発する状況。

「国内治安」という警察庁のいわば「独占物」「砦」が浸食されてしまったことで、警察庁の威信・政治的発言力は大きく傷つき、なし崩し的に警察権・武装権の拡散をもたらしたのかもしれません。

「図書館の警備員が拳銃を持っているなら、警備員もいいだろう」

正化日本は、アメリカ型の「警察-警備業」の関係に変質した可能性があります。

日本の場合、警察と警備会社(警察官と警備員)の差は、天と地ほどあります。

警察官職務執行法をはじめ、各種の強力な権限を持ち、何よりも国内で数少ない武器(小火器)の携帯と使用が認められている合法的組織です。

ところが米国の事情は異なる。

ガードマンと警察官の違いは法的権限の有無、国民一般に奉仕するのか、特定の者に奉仕するのかといった違いもあるが、その逆に米国の場合、わが国と異なり、私人でも銃を持ってるとか、私人による逮捕権の幅が広いなどのため、相互にかなり接近しており、わが国ほど公私の差がないとも言える。

上野治男『米国の警察』良書普及会、1981年、326頁。

皆さんご存知のように、一般市民でも銃を購入できる米国では、「警察による武器の寡占状態」は起こりえません。

警備員も当然のように武装している。

警察と警備会社の差が小さい上に、肝心の警察は、集権的な国家警察は存在せずに国内に乱立状態です。

警察・警備組織の乱立状態かつ両者の権限の接近は、例えば、バウンティハンター(賞金稼ぎ)のような職業が、現代でも成立しているのが好例でしょう。

(★関連記事:「アメリカの警察が知りたい」

正化日本も、これに近い状態なのかもしれません。

但し、米国で、公的武装機関同士が相争うことは考えられませんが、日本政府は、良化隊と地方行政機関の図書隊が「内戦」しており、およそ比較になりません。

権威主義体制日本

警察・自衛隊が我関せずで、政権がメディア良化委員会を重宝し、メディア良化法が猛威を振るう正化日本では、権力行使の態様が大きく変わってしまったことが窺えます。

作中のメディア良化隊員の市民に対する態度を見てください。

街の書店に突然、メディア良化隊の一団が乗り込んで、女性店員に公文書を突き付ける場面です。

「正化二十六年十月四日付、良化3075号文書である!読めッ!」

女性が震える手で封を切り、文書を取り出す。その視線が紙の末尾まで動いたタイミングで隊長がまた怒鳴った。

「これより良化3075号の書面にて通告した通り、メディア良化委員会・小野寺(おのでら)(しげる)委員長の代理として、良化法第三条に定める検閲行為を執行するものである!これより一切の書物を店内から移動させることを禁ずる!」

有川浩『図書館戦争』角川書店、2011年、35頁。

いやはや戦前の「おいコラ」警察、鬼の憲兵、そっくりそのままですね。

こんな役人が今いたら、SNSや動画投稿サイトにすぐさまアップされ、ワイドショーには連日叩かれ、メディアスクラムのフルコースの上で、責任者の謝罪会見と懲戒処分待ったなしです。

ところが、これが正化日本の「役人」です。

我々の知る現実の日本なら、以下のような「態度」が役人のひとつのモデルでしょう。

「あー、お忙しいところスミマセン。わたし法務省のメディア良化隊の者なんですが、店長さん?ちょっとお時間いただいて、こちら読んでいただいて宜しいですかね?」

隊長は腰低く、愛想笑いを浮かべながら続けた。

「お役所文書で分かりにくいんですが、この良化3075号の書面の通り、メディア良化委員会の代理で、検閲行為をさせて頂くんですよ。ちょっと店内の本が動かせなくなっちゃうんですね。ホントに申し訳ないんですが、なるべく早くしますんで。いやー、お客さんにもホントにスミマセン、法律なもんで。何卒ご協力ください。いやぁーそれにしても今日は暑いですなぁ」

中国人の知人なんかに言わせると、日本の官憲は驚くほど腰が低いそうです(でしょうね)。なので、来日当初は度肝を抜かれたと。

職務質問でも、自転車の防犯登録の確認でも、少なくと、表面的には、警察官は慇懃に振舞うはずです。

その表面的な取り繕いすら、かなぐり捨てた良化隊の態様。

この両者の違いは何か?

それは、政治的文化が正化に大きく転換したこと、もっと言えば、「戦後民主主義」のエートスが喪われたということです。

後半の記事(②)では、この背景にある政治思想的な側面に関して妄想考察していきます。以下のリンクをどうぞ

★第2回に続く

有川浩『図書館戦争』の政治学的考察②(政治思想的側面)~戦後民主主義の死と前近代への回帰

【脚注】

※1.長尾龍一・編『カール・シュミット著作集Ⅱ1963-1970』慈学社、2007年、159頁所収。

※2.安田寛『防衛法概論』オリエント書房、1979年、160-161頁。

※3.山本悠介「海上保安庁のお寒い情報収取能力」『正論』平成15年5月号、142頁。