「人生は短い。一生を学問に費やそうと思ったが、あっという間だよ」
村上篤直『評伝小室直樹』(下)ミネルヴァ書房、2018年、567頁。
在野の巨人と言えば、誰を思い浮かべるでしょうか?
私だと、パッと思いつくのが、西のエリック・ホッファー、東の小室直樹でしょうか。
その小室直樹の評伝、小室直樹を愛読していたこともあり、手にしましたが、なんと、上下巻あわせて1500頁を超える大著!
その分厚さは、キッシンジャー『外交』(上下巻)と並んでも遜色なし。
ほとんど鈍器です。ちなみに「本の鈍器」といえば『境界線上のホライゾン』が思い出されますが
そして、実際に読んでみると、まさに「鈍器」で頭を殴られたかのような破天荒な人生が綴られていました。
『評伝小室直樹』と『シャンタラム』
この『評伝小室直樹』を読んで、真っ先に連想したのが、『シャンタラム』という小説でした。
グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツの『シャンタラム』は邦訳で文庫3冊に及ぶ物語です。ざっとあらすじを
オーストラリアの刑務所を脱走した主人公リンジー(リン)は、インドのボンベイへと辿り着く。
彼は貧民街を出発点に、そこで様々な人々と出会い、全く新しい人生を歩みだすことになる。
ある一人の男の驚異の物語。
全然、小室直樹と関係なさそうでしょう?
ところが、そうではない。
なぜなら、この2つの作品にはある共通点があるからです。
それは、両方ともに、「実話」だからです。
『シャンタラム』の主人公リンは、作者グレゴリー・ロバーツその人であり、一連の物語は、脱獄囚であった彼が、逃亡先であるインドでの日々を記した自伝なのです。
そして、小室直樹とロバーツにはもうひとつ共通点が。
それは、2人とも、様々な人々と出会い、交わり、破天荒な人生を歩んだこと。
『シャンタラム』の舞台は、貧しさと悪徳と猜疑心、暴力が半面であり、片や友情や信頼、情愛、深い知恵が同居するインドですが、小室直樹の舞台もまた、血こそ見ませんが、猜疑心や裏切り、嫉妬、片や、師弟愛や学問的情熱や人間臭さが同居するアカデミア・言論・出版界です。
リンと小室直樹は、それぞれ、そんな場所と時代を駆け抜けていきます。
更に三つ目の共通点。
なにを隠そう、面白過ぎます。
『シャンタラム』の感想や口コミを眺めると、必ずや「徹夜」というワードが出てきます。
まあ、面白過ぎてページをめくる手が止まらなくなるんですね。
不肖、私、実は『シャンタラム』を挫折寸前でした。
上巻50ページ位までは「ふーん」という感じで、いつ放り投げてもおかしくなかった。
ところが、ある時点から、まさに「ハマって」しまいました。後は。皆さんと同じ、文字通り寝食を忘れですね。
さて、そんな体験をまさか『評伝小室直樹』で繰り返そうとは。
著者の筆力もありますが、小室直樹の人生そのものが、大変失礼ながらまさに一級のエンターテインメントとでも言うような面白さがあるのです。
勿論、小室直樹の学識に感銘を受けうる逸話も豊富ではあるのですが、同じ程度に、小室の人となり、数々の「伝説」に抱腹絶倒してしまう。
波乱万丈?不世出の天才?
小室直樹。
あの小室直樹です。
とにかく、様々な伝説や事件を起こして、その名は、アカデミアから言論界まで、轟いています。
曰く
破天荒、変人奇人、異色、●●(自粛)etc.
しかし、そこに必ず「天才」がつくのが、小室直樹が小室直樹たる所以でしょう。
「異色の天才」とか「孤高の天才」とか。
そんな毀誉褒貶に富んだ小室直樹の人生の「真実」を伝えてくれるのが本書『評伝小室直樹』です。
本書を読み終わった感想。個人的には、小室直樹という人は、(これも大変失礼ながら)「天真爛漫」という言葉が、とても似合う人物でした。
アリストテレス曰く、「人は生まれながらに知ることを欲する」
その「知りたい」という執着・欲望のままに、自由に駆け抜けていった姿。
直接、面識がなくても、在りし日の小室直樹の姿が、ありありと浮かびます。
そんな、優れた評伝でありながら、驚かされるのが、著者は生前の小室直樹と面識がないこと(下巻・あとがき)。
面識がないのに、ここまで小室直樹という人を再現できたことに、その取材力・情熱に脱帽です。そして、著者と同じように、大学時代に小室直樹に文字通り「ハマった」一人として感謝しかない。
小室直樹の恋模様
『評伝小室直樹』で綴られる小室直樹の人生には、幾つかの見せ場というか、重要な時期やターニングポイントがでてきます。フルブライト留学、東大田無寮、スナック・ドン、そして伝説の「小室ゼミ」etc.
そんな中で、意外性では群を抜くのが「結婚」ではないでしょうか。
小室直樹が結婚していたことには、正直、驚きを禁じ得ない。
勝手なイメージながら、小室直樹という人は、小松左京のSF小説『日本沈没』に登場するキーパーソン田所博士そのものでした。
いち早く日本沈没を予測した天才だが、奇妙な振る舞いで顰蹙を買う孤独な独り身の地球物理学者。
その田所が、終盤、列島の沈没が進み、日本国民脱出作戦の真っただ中、政財界の黒幕と言われる渡老人の元を訪れます(沈没間近の府中市内で)。
日本から脱出せずに列島と運命を共にしようとする二人の老人の会話
「田所さん…あんたやもめじゃったな?」と老人が、また、えへん、えへん、と咳をしながら聞いた。
「ええ…」
「なるほどな。…それでわかった。あんた…この、日本列島に恋をしていたのじゃな…」
「そのとおりです」田所博士は、そのことがやっといえたのをよろこぶように、大きくうなずいた。「ええ…惚れるというより、純粋に恋をしていました…」
小松左京『日本沈没』(下)小学館、2006年、371-372頁。
この姿は、長年、独身だった小室直樹の姿とどこか重なるように思えてなりませんでした。
小室直樹も天皇=日本に恋をしているような。
天皇への思いは、評伝でも観ることが出来ます。
小室の内的な渦の中心にあるものは。それは、天皇、とくに昭和天皇に対する帰依である。ある人は、これを「恋闕」と表現するかもしれない。
下巻、383頁。
故に、本書で、小室直樹の結婚とその後を辿る下巻後半を読むにつけて、「もし生涯独身を貫いたら、一体どうなっていたのか」「どんな言論・著作が生まれていたのか」と、ifを想像してしまいます。
日本(天皇)だけに恋をし続けていたら?
なぜ「政治学原論」は書かれなかったのか?
小室直樹の七不思議のひとつといえば、その原論シリーズに、ついぞ「政治学」が書かれなかったことです。
小室直樹は、後半生で、何冊もの「原論」を書いています。
中国、イスラム、経済学、資本主義、民主主義、宗教学、憲法学、数学etc.
これら対象、学問分野の原論を執筆し、後進の為に、自らの知識を懇切丁寧に解説してくれています。
ところが、そこには、肝心の一丁目一番地がない。
では、小室に政治学原論にあたる著作はあるかというと、残念ながらないのである。
下巻、536頁。
しかしながら、実質的に政治学原論と言える著書はあります。
それは、ムック判の『痛快!憲法学』(後に単行本化され『日本人ための憲法原論』と改題)です。
大学の政治学科では、普通、必修としての「政治学原論」を開講していますが(科目名が「政治学入門」だったり「政治学基礎」だったり、多様なパターンはあるでしょうが)、そこで教科書に指定されても何ら遜色ない内容です。
ぶっちゃけ、憲法の話は二義的になっているとも言える。
『評伝小室直樹』では本書を次のように評しています。
小室学の精華、小室学原論とも称すべき一冊の本が刊行された。
下巻、537頁。
内容としては小室のあらゆる学問成果が縦横無尽にちりばめられ。しかもわかりやすくまとまっている。これ一冊があれば、小室学の全体像は把握できるとすらいえる。
下巻、538頁。
全く同感ですが、更に付け加えれば、小室直樹の中心に鎮座しているのは、政治学に他ならないということでしょう。
小室が、早稲田大学での講演会で配布されたQ&A形式のパンフレットで、自身の現在熱中していることは?と問われ、
近代日本の研究と社会諸科学(経済学・心理学・人類学・社会学・法律学・政治学)の統合
下巻、567頁。
と書いていますが、この「統合」こそ、古代以来の政治学の本来の立ち位置だったのでしょう。
学問の専門分化が進み、すっかり矮小な範囲に閉じ込められた感のある政治学(及びそれが対象とする「政治」)ですが、その本質は、
宗教・学問・芸術・経済などにならぶ政治固有の領域はなく、却ってそれ等一切が政治の手段として動員されるということに注目しなければなりません。
こうして政治はその目的達成のために、否応なく人間性の全面にタッチし人間の凡ゆる営みを利用しようとする内在的傾向を持つのです。
丸山真男『政治の世界 他十篇』岩波文庫、2014年、91頁。
この丸山真男の言に倣えば、社会諸科学(経済学・心理学・人類学・社会学・法律学)や数学などを「総動員」(統合)して、結集するのが「政治学」と言えます。
それはつまりアリストテレス以来のマスターサイエンス(棟梁的学問、諸学の王)としての政治学です。
『評伝小室直樹』の中で、「小室学の精華、小室学原論」(下537頁)と評された『痛快!憲法学』が、実質的な「政治学原論」であった理由がここにあります。
小室直樹の学問の本質は政治学である、と。
まあ、小室直樹本人に、「なぜ書かれなかったのですか?」と問うても、おそらくは
「丸山真男を読みなさい」とでも流される気がしますが・・・。
ともかく、小室直樹はやはり最後に「政治学」に還るべき人だったのでしょう。
彼が晩年に、夫人に言った「生まれ変わったら何になりたいか?」という問いに対しての
「では、何に?」
小室は夫人の問いかけに、間髪入れず、こう言った。
「独裁官!」
下巻、578頁。
プラトンのシュラクサイ渡航を例に出すまでもなく、哲人は、いつかそれが実現される日を夢見ます。
小室直樹もまた、その例に漏れず、事あるごとに、首相の座を夢想していたようです。
そして、最晩年で口にした「夢」が、政治の実践における究極の形、極北にある「独裁」だったのは感慨深いです。
【参考文献】
村上篤直『評伝小室直樹』(上下)ミネルヴァ書房、2018年。