junaida『街どろぼう』(絵本の感想)~孤独と都市の物語

alpine-village

junaida(ジュナイダ)による絵本です。可愛らしい絵柄が特徴的な素敵な絵本ですが、そこには、「孤独とは何か」という問題が突き詰められているように読み解けました。

内容に触れるので、是非、一度読まれてから、こちらの記事はお読みください。

あらすじ

ある山の上に巨人がひとりぼっちで住んでいました。

孤独はとても辛いもので、巨人はある晩、麓の街に降りていき、こっそり、一軒の家を盗んでしまいました。

ところが・・・

※以下ネタバレあり

孤独はどう癒されるのか?

巨人は孤独に耐え切れず、街から家を盗んできてしまいますが、盗まれた人々は、「じゃあ、親戚も」「友達も」と巨人に頼み込み、ほぼ(・・)街全部が山の頂上にそっくり「移転」してきてしまいます。ところが、街の真ん中にいる巨人は、いっこうに寂しさから抜け出せません。

このお話を読んで、ひとつ思い出したのが、以前に読んだ『北の無人駅から』というノンフィクションです。

北海道の無人駅(のある町村)を訪ねながら、その土地の抱える問題を探っていくフィールドワーク、ルポタージュなのですが、その中の寒村での一コマ。

著者が老人に「過疎地に住んでいて寂しくないか?」と問うと、

「都会に住んでたって、うちさ帰ったら一人でしょう。まさか朝から晩まで何百人も何千人も一緒にいるってわけではないんだから。ただ、外に出たら、まわりにたくさん人がいるっちゅうだけの話で。それがぜんぶ知り合いかったら、知り合いでもねえし」

確かにそうですね、私が深くうなずくと、またしても訊いてきた。

「あんたはなんで札幌なんかに住んどるんだ?」

私は一瞬、答えに詰まった。

渡辺一史『北の無人駅から』北海道新聞社、2011年、611-612頁。

大都会の真ん中に住んでいたとしても、そこで、人間関係が築けていなければ、孤島にいることと変わりません。数ではないのです。巨人は現代人の孤独の象徴です。

街の人々は、それを知っており、次々と、「つながる」人間関係の人々を呼び寄せて、連帯・共同体を継続します。

巨人は、まだそれを知りません。

「数」が支配しない世界

巨人は、やがて、山を下ります。

そして、街の跡地で出会う少年。

これは、人間関係、人と人の連帯は、決して数ではないということを意味しています。

現代人は、とかく、数を気にします。少ないより多いを、小さいより大きいを。

友達の人数自慢からSNSなどでのフォロワー数自慢まで。

これは一種の「経済の専制」です。経済=効率・利益を追求した果てに、なんでもかんでも「数値化」するという悪しき病が蔓延しました。

でも、そうではないのです。数よりも、(クオリティ)こそが、個人と個人の心の交流こそが問題の世界はあるのです。