フィクションにおける「自衛隊」イメージの変遷【中編】~「亡国のイージス」「ゲート」「名探偵コナン」

【前編】はこちらです。

フィクションにおける「自衛隊」イメージの変遷【前編】~「皇帝のいない八月」から「ガメラ2」まで

2000年代以降:自衛隊善玉論「俺たちの自衛隊」

80~90年代の転換期を経て、2000年代以降は、リアル路線がお約束になりました。

映画「亡国のイージス」(2005年)は、海上自衛隊の護衛艦の叛乱を描いた作品ですが、「皇帝のいない八月」のような“狂気の軍人”というイメージとはかけ離れ、“叛乱”の理由も感情移入し易いものになっていいます。

このリアル路線に加えて、年々増しているのが自衛隊への支持・親近感です。

これは特にサブカルチャー面で顕著で、ライトノベル『ゲート~自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』が代表的かもしれません。

“突如、銀座に出現した超空間通路「ゲート(門)」から現れた中世風の騎士団と怪異の群により都心は蹂躙されるが、反撃に転じた自衛隊は、技術的格差からこれを撃退し、門の向こう側の異世界へと介入する!”

あらすじだけ読むと、神林長平『戦闘妖精雪風』みたいですが、左に非ず。

ミリタリーに、エルフやら美少女魔導士やらをテイストした、ハーレム要素ありのライトノベルを楽しめます。

そして、ここでは自衛隊、というか自衛官らは等身大の若者たちとして描かれるし、政治家もキャラ化されています。ミリタリー要素が好きなサブカルチャー好きにとっては、夢のような設定。

主人公の伊丹二尉も昼行燈のオタクだが、レンジャー有資格者の切れ者?かつ女にモテまくる。

ミリタリー描写・設定はあくまでリアルを維持しつつ、これらの要素を加えたストーリーで大ヒットしました。

ここでの自衛隊は基本的には「善玉」として描かれます。

この様な描かれ方の転換の背景には、阪神淡路大震災以降、自衛隊の“活躍”が目立ってきた為かと思います。

というより、積極的にメディアも取り上げるようになったからでしょう。

阪神大震災以前にも災害派遣はありました。

当時は55年体制の中、広く報道される機会に恵まれなかったとも言えます。

それが、55年体制の崩壊で「自由化」した。

その動きの頂点は、2011年の東日本大震災で、ここで自衛隊への信頼・支持は極めて高いものになります。

また、それと相まって、昭和期のような、“得体のしれない他者”から“同じ社会の一員、隣人”であるとの認識への変化。

加えて、ただの隣人ではなく、「良き」隣人であるとのプラスイメージも付加されています。

軍部への高い支持は危険なのか?

3.11以降に特に強まっているのは、「政府なんかアテにならない、やっぱり自衛隊だ。」という風潮ではないでしょうか。

国民の、政府ひいては与野党全体の腐敗・偽善といったものへの不信感。そこに現れた「自衛隊」という存在は、危機的状況にあって、まるで「スーパーマン」でした。

これに相まって、自衛隊自身が長年“鬼っ子”として不遇を味わい、務めて謙虚に、禁欲的に組織を維持してきた姿勢が、なにか日本人の琴線に触れるものがあるのではないかとも思います。

また、経済不況や中国に世界第二位の経済大国の地位を「譲った」ことなど、日本人の自身喪失の中、「自衛隊」という「強く、立派な、頼りがい」のある存在を見出して、自己と同一化しているきらいもあるように感じます。

国民の中に受け入れられた自衛隊を象徴するのが、アニメ映画「名探偵コナン 絶海の探偵」。

舞台は海上自衛隊のイージス護衛艦で、スパイアクションものです。

ここでの自衛隊は決して昭和期のような“悪役”として描かれていない。

国民的アニメの長編映画で、自衛隊を舞台にした作品が公開されるなど、一昔前では考えられない気がします。

★huluの無料トライアルでも劇場版「コナン」が見られます(2020年7月現在)↓

hulu

このような自衛隊への高い支持は果たして、今後の日本にとって、一体どういう影響をもたらすのでしょうか?

まず、昭和期のような“異質な他者”として排除する姿勢は論外だとしても、手放しで軍部(自衛隊)を称賛するのも、それはそれでリスクがあります。

特に政治(政府)への支持が低く不信感が増している場合は極めて危険な存在になります。これは軍隊の宿命です。

「軍隊」は、半ば自律的なプロ集団です。(中略)

政府としては、必ずしも政府自身と同一性をもたないで、一定の距離を保っている特異な組織即ち軍隊との間には、微妙な関係が存在することになります。(中略)

つまり軍隊には構造的に、クーデターの可能性が秘められているのです。


小室直樹/色摩力夫『国民のための戦争と平和の法』総合法令、1993年、125頁。

一個の国家内国家といっても差し支えないかもしれません。

従って、軍隊が政治よりも“異常”に高い支持を受けるのは民主国家にとって黄色信号かもしれないのです。

なお、絶対に言われそうな批判に先に弁明しておきます。

「では、自衛隊は“悪玉”と捉える方が健全だというのか?」と言われそうですが、これは明確に否定します。

そうではなくて、政治と軍事のバランスが必要だと言っているのです。

「悪い軍隊というものはない、あるのは、悪い指揮官だけだ」と昔から言われているが、この言葉は歴史を通じてあまりにも多く無視されることが証明されている。


ジェイムズ・ダニガン『戦争のテクノロジー』河出書房新社、1984年、219頁

すっかり劇場版パトレイバー2で有名になった格言ですが・・・。

また、自衛官個々人と自衛隊という組織、また政治レベルの軍事政策(安全保障政策)はそれぞれ全く別次元で議論すべき事です。

55年体制下での失敗は、これを全て上から下まで一緒くたに、十把ひとからげに論じたことです。

(※これについては下記の記事で詳説していますので、ご覧ください。)

もう一点、現在の自衛隊への好印象は、主に「災害派遣」の功績によるという点が挙げられます。

しかし、災害救援は、軍隊にとっては、“二義的”“副次的”なものです。

軍隊の本質は、あくまで“戦う”ことにあります。

幸い、戦後、自衛隊は、日々の領空侵犯対応や警戒活動を行っていても、一応、“戦う”ことはありませんでした。

つまり、現在の好印象・支持は、戦った上でのものではないのです。

自衛隊が、その存在理由たる「戦争」を経たときに、そのイメージがどう変化するのかは全くわかりません。 

さて、次の【後編】では、関連する傍論として、「日本的」妥協の産物としての「組織」をご紹介します。

フィクションにおける「自衛隊」イメージの変遷【後編】~日本人は地球防衛軍の夢を見るか?