1997年、全11話
過日、お亡くなりになった俳優の田村正和。
代表作として、和製「刑事コロンボ」こと「警部補 古畑任三郎」が挙げられることが多いようですが、個人的に思い出したのが、同じフジテレビの連続ドラマ「総理と呼ばないで」でした。
あらすじ
どこかのある国のお話・・・。
無能で身勝手な総理大臣(演:田村正和)。支持率は1ケタ台をマークし、国民からも閣僚からも総スカンを喰らう。
内閣不信任案可決も間近な中、起死回生の秘策として、なんと娘の家庭教師の大学院生(演:筒井道隆)を官房長官に抜擢してしまう。
面白おかしく、やがて悲しい
踏んだり蹴ったりの首相とその周辺のドタバタ劇を描く、政治コメディ。
脚本は三谷幸喜と聞けば、未視聴の方にも、どんなドラマか、想像がつき易いと思われます。
田村正和は、本作では、切れ者でもなければ、クールな二枚目でもなく、棚ぼたで総理になってしまった世襲議員です。与党の長老らにも頭が上がりません。
短気であるし、娘(演:佐藤藍子)の彼氏に「俺は戦車900両持っているんだぞ」と脅しをかけてしまったりと、思慮が足りない※1。
妻(演:鈴木保奈美)には愛想つかされ、不倫までされてしまいます。
主な舞台は首相官邸ですが、政務は首席秘書官(演:西村雅彦)や官僚が仕切って、総理の無能の尻拭い。
情けなくて思わず笑ってしまうのですが、現実の日本の政治を省みた時、そこには一程度のリアリティがあって、もの悲しさも感じます。
現実の首相も、まあ色々、無能だ、何だと叩かれるわけですが、政治においては困ったことに、それを(間接的にしろ)選んでいるのは、国民な訳で、首相の「愚かしさ」というのは、国民のそれの、鏡に過ぎない訳です。
「人民の政府は、人民の為に作られ、人民によって作られ、人民に適応するように作られる」
ダニエル・ウェブスター
ハンロンの剃刀
首相が無能な人物というのは、国民にとっては(無意識にでも)信じたくないことのようです。
それは、自分たちが戴いている一国の最高責任者が「無能」ということが、裏を返せば、国民自らも無能であることの証左であることを、どこかでわかっているからでしょう。
すると、世論は、「無能」なのではなく、「陰謀」や「悪意」があって、意図的に政策を誤らせていると思いたがります。
「無能」より「悪意」の方が、まだマシだと。
しかし、田村正和演じる首相のように、無能で、人格的にも難があっても、彼は、本質的には「悪人」ではない。平凡な「善人」の延長にあります。
「ハンロンの剃刀」という考え方があります。無能によって生じた事態に、無理矢理、悪意を見出すべきではないという考えです。
本作の官邸のドタバタ、「悪意」なき悲喜劇は、現実とそれほど、かけ離れていないのかもしれません。
役職名のみの出演陣
本作の特徴として、登場人物は、田村正和はじめ、ほぼすべて役職名(肩書)のみで、個人名(固有名詞)がありません。
これは、一見奇異に映るかもしれませんが、本作が、現実の日本政治・歴代首相を捨象・抽象化して、そのひとつの共通モデルを(喜劇としてですが)提示しているからとも推察できます。
首相に対して「誰がなっても同じ」という諦観めいた言葉がよく聞かれますが、この「同じ」部分を抽出し誇張した結果という訳です。
日本政治の問題点を考える上での、ひとつの入り口になるドラマと言えるかもしれません。
※1.「戦車900両」は、当時の陸上自衛隊の戦車配備定数。