「フェアリィ星の戦いは地球の毎日の出来事からは遠く隔たっているように感じられ、ジャムの脅威は忘れられたかのような現代の国際情勢だ。」
『戦闘妖精・雪風〈改〉』、14頁(リン・ジャクス『ジ・インベーダー』)。
神林長平の長編ハードSF『戦闘妖精・雪風』は、日本SF文学の金字塔として、多くの読書に読み継がれています。今回は、本作の舞台、主人公深井零の所属するFAF(フェアリィ空軍)という謎多き軍隊に関して、勝手に妄想して考察してみます。
あらすじ(FAF設立経緯)
30年前、南極大陸ロス氷棚に突如出現した霧状の「超空間通路」を使って、謎の異星体ジャムは、地球への侵攻を開始した。
地球側は急遽、国連に地球防衛機構を結成し、これを撃退。ジャムを超空間通路に押し返し、逆侵攻した。
そこで、人類は未知の惑星を発見し、そこを「フェアリィ」と名付ける。
国連と各国は紛糾の末、フェアリィ星に対して、超国家軍隊「FAF(フェアリィ空軍)」を組織し、派兵することで決着。
以後、FAFは、いつ果てるとも知れない不毛な戦いを続けていくことになる。
FAF建軍の艱難辛苦
「現在の国際情勢下で、超国家的なフェアリイ空軍が存在することこそ一種の奇跡なんだ。」
『戦闘妖精・雪風〈改〉』119頁(ブッカー少佐)
本作と同じような、異星人の地球侵略とその防衛戦争を描いたSF作品といえば、小松左京の『見知らぬ明日』が挙げられます。
突如、中華人民共和国新疆ウィグル自治区に異星人が襲来。
中国軍が苦戦する中、何とか、人類の戦力を結集し対抗しようとする米国を中心とした国際政治を描いた作品となっています。
(余談ですが、新疆ウィグル自治区は宇宙人が侵攻してくる定番の場所のようです。某ゲームもカシュガルに侵攻してくるし)
この作品では、米ソの外交努力や中国でのクーデターなどで、「大国連軍」が結成されます。
一方、『戦闘妖精・雪風』はどうでしょうか?
ジャム地球侵攻時、地球各国軍が国連軍として対抗したことが窺えます。
国連に地球防衛機構(地球防衛軍)が結成され、これが国連軍のようです。
(小説内の記述の仕方だと、「国連軍」「地球防衛機構」「地球防衛軍」がほぼ同義として使われているように見受けられる)
ところが、ここからがいけない。
「超空間通路」を米国が独占しようとし、各国が宇宙天体条約を盾に反対し、紛糾。
そこで、地球防衛機構を国連から独立し、FAFが設立されたということらしいです(『戦闘妖精・雪風』37頁)。
その後の国際政治は、FAFに対ジャム戦を丸投げし、地球各国は、まるでそれが無かったかのような、国際政治のパワーゲームを性懲りも無く繰り広げているようです。
よく地球侵略SFで見られるような、対抗する地球人類の政治的統一は、ついぞ果たされなかった。
その大きな理由の一つは、
「最初の一年二年は地球も緊張した、だが、ジャムの戦闘能力が地球のものよりわずかに劣っているのを知り、(中略)フェアリイ空軍が発足すると、ジャムの脅威は地球にはおよばなくなった。のど元すぎれば熱さを忘れる、である。」
『戦闘妖精・雪風』306頁(リン・ジャクスン)。
「敵の敵は味方」で一時は団結した各国も、ジャムが案外「御せる」とわかると、途端に連帯を解いてしまう。
ジャムが「わずかに劣っている」のでなければ、つまり「優っていれば」、事態は全く違う方向に行ったでしょう。
ただこの判断も危険で、そもそも原理も何もわからない未知の「超空間通路」を送り込んでくることができる相手を、一時の戦術的勝利をもって、「わずかに劣っている」と判断して、総力戦の体制を解いてしまうのは、軽々ではないとも考えられます。
ジャムは、「意図的に」地球兵器に優位性を与えて、何かを企図しているかもしれないのに。
なにせ、相手は異星体です。
それはともかく、各国が自国のエゴと妥協と駆け引きの産物として産み落としたFAFは、極めて歪な軍隊となります。
誰がFAFの指揮権を持つのか
FAFの軍事組織としての歪さは、その組織機構にまず見て取れます。
FAFの総合参謀本部は最大規模を誇るフェアリィ基地に置かれている。
ここのポイントは、「参謀本部」であって、「総司令部」ではない点です。
ここを考える上で重要な概念は「スタッフとライン」です。
組織論ではお馴染みですが、「ライン」は、実際に命令し執行する垂直の指揮命令系統のことです。
対して、「スタッフ」とは、ラインの垂直の指揮命令系統に対して、いわば横軸から、専門知識などで補佐・助言・勧告する存在です。
軍隊では、例えば1万人を擁する師団であれば、師団の指揮権を有する師団長(少将)から連隊長→中隊長→小隊長へと指揮命令が各級指揮官に垂直に伝えられます(ライン)。
ところが、師団長ひとりが全てをこなすには業務が膨大です。
そこで、師団長の傍らには、師団長を補佐する軍人が付き従います。これがスタッフ(参謀・幕僚)です。
スタッフは、それぞれ専門知識別に分かれます。作戦幕僚、情報幕僚、兵站幕僚etc.。
この幕僚を束ねるのが参謀長(幕僚長)です。
この師団長と幕僚たちで師団司令部を構成します。ポイントはあくまで師団長に指揮権があることです。
事情は、師団より上の部隊でも下の部隊でも同じです。
連隊ならば、連隊長の傍らに各幕僚がおり、連隊本部を構成します。
ここまで押さえた上で、FAFを見てみると、違和感が出てきます。
フェアリィ基地にあるのは総合参謀本部であって総司令部ではない。
つまり、スタッフ機関の最上位組織ではありますが、ラインの最高指揮権を持っていないことになります。
一体、FAFの最高指揮官あるいは最高指揮権はどこにあるのでしょうか?
FAFとアメリカ軍
この問題を解くにあたって、アメリカ軍の最高指揮権と最上位幕僚機構を見てみましょう。
FAFがどの程度の兵力なのかがイマイチはっきりしませんが、描かれる規模(基地や作戦機の充実)から10万人は優に超えるでしょう(ちなみに航空自衛隊が4.7万人)。
対して、米軍は140万を越えます(米空軍単独でもで37万人)。
そんな米軍の最高幕僚組織は「統合参謀本部(JCS)」です。
JCSは議長を頂点にして、副議長、陸軍参謀総長、海軍作戦総長、空軍参謀総長、海兵隊司令官ら各軍最高位軍人で構成されます。
統合参謀本部議長は、アメリカ全軍の軍人(制服組)の最高位者です。
ポイントは、JCSメンバーは全員、スタッフなのです。「アメリカ軍最高司令部」では決してない(海兵隊司令官も、名称は「司令官」だが実質は参謀幕僚)。
すると、一体、彼らは、誰を補佐するのか?
それは、言うまでもなく、最高司令官たるアメリカ合衆国大統領です。
つまり米軍のラインは大統領を頂点に、そこから各・統合軍司令官(太平洋軍や南方軍、特殊戦軍etc.)に降りていく形であり、JCSは、その大統領を補佐する「大統領の幕僚」(軍事顧問)になります。
さて、これを踏まえて、FAFの指揮機構を眺めると、総合参謀本部が一体誰のスタッフなのかという問題が出てきます。
FAFが地球防衛機構の主力という記述があるので、地球防衛機構に長官なり議長なり、「最高司令官」がいるのかもしれませんが・・・。
更に事態を混乱させるのが、「参謀司令官」なる者が、どうもFAFの最高位者であるということです(『戦闘妖精・雪風』227-228頁)
ここまでお読みいただければ、「参謀」と「司令官」はそれぞれ違う概念であることは、もうお分かりだと思いますが、一体この合わせ技は何なのか?
追い打ちをかけるようですが、更に我々を困惑させるのが、国連には「地球防衛参謀本部」なるスタッフ機関も存在するという点です(『戦闘妖精・雪風』115頁)。
一体、FAFの「スタッフとライン」の錯綜を、どう考えるべきなのか?
「参謀司令官」が暗示するもの
この謎の「参謀司令官」なる職位。「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」に登場する、アデナウヤー・パラヤ「地球連邦軍参謀次官」並みに謎の高位高官です(「参謀」を冠するが、どう見たって背広組)。
おそらくヒントはFAFの設立経緯にあるのではないでしょうか。
冒頭で見た通り、FAFは妥協の産物として建軍されました。
各国が超空間通路やフェアリィ星という強大な利権を巡って暗闘していることは、想像に難くないでしょう。
それを防止し(抜け駆けを許さないように)、超国家軍隊のFAFが結成されたわけです。
これは同時に、ジャムなどという訳の分からないものに関わって、貴重な自国の富(軍事力・予算)を浪費したくないし、関わった事での責任を取りたくない、というエゴも垣間見えます。
指揮権があれば、当然、指揮による結果の責任も伴う訳ですから。
すると、誰も最高指揮権など持たせたくないし、持ちたくもないという、星間戦争の一方の当事者とは思えないような判断が働いてくるわけです。
となると、どうなるか。
おそらく一人の人物には付与されずに、合議体としての国連安全保障理事会という合議体が最高指揮権を持っていることになる可能性が高い。
そして、それを補佐するスタッフ組織として、「地球防衛参謀本部」(おそらく軍事参謀委員会を改組したもの)が、存在する。
ところが、ひとりの最高指揮官はおらず、呉越同舟の安保理という合議体故に、意思統一は大変困難で、実質的には極めて保守的といいますか、消極的な現状維持でお茶を濁していることでしょう。厄介毎はご免だ。
すると、その統制下(ライン)にある地球防衛機構・国連軍もそうなります。
(アドミラル56の動きなどはこの保守的傾向を端的に物語っています)
すると、更にその下のFAFはどうなるか。
上が誰も指揮を実質的に担えないのなら、FAFの最上位機関たる総合参謀本部が、実質的に指揮も行使してしまおう。
ところが。それでは、世論的にも安保理理事国の面子的にも不味いので(文民統制や国連の統制に疑義を招いてしまう)、「参謀」だが「司令官」という、キメラ的役職を設けたのではないでしょうか?
FAFは、その意味で極めてファジーな立場に置かれているようです。
「スタッフ」といっても、その態様は様々で、先に説明した専門知識で補佐する「助言スタッフ」「補助スタッフ」以外にも、現実には「統制スタッフ」という様態も観察されます。
これは、スタッフが指揮権者に助言したとしても、その提案を指揮権者がこなせない場合、スタッフに権限を委任して、そのスタッフが指揮統制を執行するような状態です。
先の例の米軍であっても、大統領その人に軍を作戦指揮することは基本的に不可能で、大統領が決断し、JCSが執行することになります。
このような統制スタッフの最も極端な形が、「FAF参謀司令官」ではないでしょうか。
そして飼い殺し、とまではいかないが、FAFが出しゃばらず、しかし地球侵攻を防ぎつつ、現状維持してくれていればいい。
そんな地球各国の思惑が透けて見えます。
ところで、軍隊というのは、極めて自律性・独立性の強い集団です。FAFの場合、そこに最高指揮権者としての政治家がおらず、違う星に丸ごと派遣されている訳です。
これは、常に軍閥化、果ては半ば独立国家をフェアリィ星に誕生させてしまうリスクがあります。
そこで、考えられたのが、食料の自給を禁止し、国連食糧管理機構による地球からの「輸入」の強制。
もう一点、将官及び佐官の人事でしょう。これは、後編で見ていく事にしましょう。
【後編に続く】
→FAF(フェアリイ空軍)の考察【後編】~妖精の名を冠する空軍の全貌(神林長平『戦闘妖精・雪風』)