映画「工作~黒金星と呼ばれた男」~ブラック・ヴィーナスが沈むとき。国際政治の闇を描いた衝撃作【感想・雑感】

2016年(韓国)、ユン・ジョンビン監督

「お互い祖国のためにしたことだ。私的な感情はない。」

(本編より)

韓国のインテリジェンス(スパイ)映画の秀作です。

本作の最大の特徴は、物語が「ほぼ実話」であり、登場人物も実在であり、幾人かは存命である点にあります。

百鬼夜行蠢く国際政治の裏舞台、闇を垣間見せてくれます。

あらすじ

90年代、韓国国家安全企画部は、元情報将校のパク・ソギョン(演:ファン・ジョンミン)を、実業家に仕立て上げ、北京に送り込み、北朝鮮に対しての工作活動を開始した。

彼の暗号名は「黒金星(ブラック・ヴィーナス)

やがて、北京で外貨獲得の指揮を執る北朝鮮の大物・対外経済委員会委員長のリ・ミョンウン所長(演:イ・ソンミン)の知己を得て、北との取引を開始する。

やがて、北の信頼を得たパクは、リ所長から平壌に招かれる。

そして、そこで彼を待っていたのは・・・。

※以下ネタバレあり

なぜ007ではなく井之頭五郎なのか?

まず、本作の主人公パクが、ドラマ「孤独のグルメ」の主人公・井之頭五郎(演:松重豊)にしか見えない問題から。

これ、ネットの感想などでよく見かけます。

私も、初めて見た時に、これが思い浮かびました。

でも、これ当たり前なんですよね。当然のことなんです。

井之頭五郎の特徴は、まったく普通の平凡な中年サラリーマンである点にあるでしょう。

この「普通」の「平凡」なというのはスパイ(諜報員)にとっては、欠かすことが出来ない条件なのです。

なぜなら、スパイの目的は「その他大勢」に紛れてしまい、情報を「獲得」するなり「工作」を行うことにあります。

目立っては駄目なんです。

「でも、スパイ映画のスパイて、凄い目立ってるよね?」

「007」シリーズのジェームス・ボンド中佐みたいに、美女を侍らせた二枚目なんか典型ですよね。

それはフィクションだからです。と、片付けてもいいのですが、実在のスパイにも、確かにそんな「目立つ」存在がいます。

しかし、それは、情報戦全体における一種の支作戦(サブ)、欺瞞工作としてです。ボンドでもマタハリでもいいのですが、あんなに目立つスパイは、(おとり)です。

つまり防諜側の注意を惹くために、わざと、目立たせている。その裏では。別の、メインの情報工作が展開されていると疑った方がいいでしょう。

本当のスパイは、どこまで「その他大勢」に紛れ込めるかが勝負になります。

ですから、パクが井之頭五郎を連想させるのは、「中年の平均的アジア人ビジネスマン」というモデルに自分を紛れ込ませることに成功している証なのです(配役の妙です)。

「最高の尊厳」と「破滅へのハードル」

本作で最も緊張感が漂うのは、平壌に招かれたパクが、リ所長と共に、贅を尽くした宮殿の大広間に通され、「我が党と我が人民の偉大なる指導者」たる金正日に「謁見」する場面です。

直立不動、機械のような護衛隊員たち、軍服を着た美女たち(喜び組?)の給仕、パクとリが緊張しながら直立する中、金正日は愛犬(シーズー)を連れて、入室してきます。

室内では、彼ひとりだけがリラックスして、高級洋酒を呑みながら二人の話を聞きます。

このシーンで感じたのは、なぜ北朝鮮が「発展」できないかということです。

ある意味、その答えが、この場面で明瞭に語られています。

北朝鮮、もっと広く全体主義・専制国家が、その強すぎる統制・管理をもってしても、なぜ経済的成功、国富の増大を望めないかという問題です。

イギリス政治学界の泰斗バーナード・クリックは、民主国家と専制国家を比較して、こう言います。

民主国家は

人びとが相互に信頼して決定権限を委任することができたからであり、また、そうした信頼を基礎として中央政府が立てた計画を実現しようとした人びとが一丸となって働いたからであって、中央政府による絶えまない監視の下で働いたのではないからである。

バーナード・クリック『デモクラシー』岩波書店、2004年、177-178頁。

北朝鮮のような専制国家は「恐怖」による服従の強制を行っている訳であり、民主国のように、(様々な問題はあるにせよ)国民の自己決定・共同体への自発的服従を得られません。

簡単に言えば、厭々無理矢理やらされるか、自分の意志でやるか、の違いです。

加えて、全ての行動が、即、自己の破滅につながるという専制国家での生活は、ゆとりも安心感もない人生です。これで、意欲をもって生きる、働くなぞ、土台無理な話です。

「破滅へのハードル」があまりに低すぎる。

金正日の言葉ひとつひとつが、あまりに「重い」。

それは、彼が、「死」を司っているからです。

終盤の2回目の謁見。パクは金正日に「意見」します。対して、

「パクさん、妙に思うことがある。人は生まれて、数か月後に言葉を覚える。だが数十年生きても黙り方を知らない。だから寿命を縮める。」

(金正日)本編より

隣のリ所長は、思わず息を呑みます。

もし、逆鱗に触れたら、「破滅」です。命はない。

このようなことは民主国家にはないでしょう。左遷や降格なぞはあるでしょうが、いくらなんでも「死」はない。

金正日は「死」を実に簡単に、人へ与えることが出来る。それは向上心を奪い、安寧を喪わせ、人材を失わせていくことないります。長期的に国力は漸減していく他ない。

民主国家の権力も「死」を司ってますが、法治国家として、そのハードルは極めて高い。

「死」を人(独裁者)が司っているか(人治国家)か、法が司っているかは雲泥の差です。

デモクラシーの国家では全知全能であることは期待されていないがゆえに、信頼がより大きなものとなる。それだけではない。失敗の報いがそれほど厳しいものでないがゆえに、信頼もより大きなものになりうるのだ。こうして人びとは自分の手腕を、自分の判断を信頼し、主導権を発揮することになるだろう。

クリック『デモクラシー』、179頁。

簡単に人生が破滅する国家の恐怖を思い知らされる作品です。

実際、パクを疑いの目で見ていた国家保衛部のチュ課長(演:チョン・ムテク)の末路は、これを象徴しています。

北風工作と忠誠問題

「南朝鮮は私の助けが必要だ。選挙のたびにすり寄って、武力挑発やミサイル発射を頼んでくる。同胞は助けないと。」

(金正日)本編より

素朴な国際関係の見方をしてきた人が一番驚くであろう事実は、北朝鮮に対して、韓国側が選挙のために北に軍事的挑発行為を「依頼」していたことでしょう。

いわゆる「北風工作」。

政権(・・)の敵(左派の金大中)に勝つため(大統領選)に、国家(・・)の敵(北朝鮮)に金を払って軍事的挑発を「発注」するのです。

権力者の本質とは、ただただ自己の権力を維持・拡大するに尽きる、身も蓋もない点にあります。逆にそのなりふり構わぬところが恐ろしい。

体制もイデオロギーもあったものではない。

権力者が国益ではなく自己の権力の維持にまわった時にどうなるのか。

ちょうど、真っ先に思い出した作品があります。映画「ザ・パッケージ~暴かれた陰謀」です。

米ソの核兵器全廃条約に、敵であった筈の米ソ両軍部の一部が結託し、ソ連書記長暗殺を企むと言うポリティカル・スリラー。軍事予算や政治的発言力という「権力」を巡っての陰謀です。

「パッケージ」は勿論フィクションですが、「北風工作」は事実です。

パクが所属する国家安全企画部(安企部/旧KCIA(韓国中央情報局))は、与党の為に北とバックドアで「取引」します。その忠誠心は、どこを向いているのか?

それを物語る次の台詞が頭に浮かびました。

「総理、各国の軍部や諜報機関が弱体化していく最大の理由をご存じですかな? まさに今、総理が言われたことが原因です。組織のトップに立つ人間が、自身の利権争いの道具として組織を利用し始めたときから、緩やかな死が始まります。」(荒巻大輔)

「攻殻機動隊S.A.C. 2nd GIG」 16話

ポリティカル・フィクションの色が濃いアニメーション「攻殻機動隊S.A.C. 2nd GIG」での荒巻・内務省公安9課長の諫言ですが、韓国の事情にまさに当てはまります。

国家、政治体制、政権、これらは全て全く別の概念、別の層です。

  • 国家とはそこにある共同体であり、
  • 政治体制とは、その共同体の構成(支配)原理であり、
  • 政権は、その政務を一定(・・)期間(・・)担う代表・代理のことです。

この3つの中で、唯一抽象的ではない、少数の具体的な人間が、それそのものとなるのが政権です。

故に、その政権(=権力者)は、余程の自制をしなければ、容易に利権に溺れ、保身に走り、手段(権力)が自己目的化してしまいます。

安企部上層部は政権に忠誠心を。

対して、パクやリ所長は、国家(祖国)に忠誠を。

終盤、正体が露見したパクにリが銃口を突きつけます。

リ 「転向を。パクさんと家族の安全は責任を持って守る」

パク「所長に祖国はひとつ。私にも祖国はひとつです。家族を守ってくださると信じています。」

先の三層(国家、政治体制、政権)に加えて、個人の感情(信頼・友情)が「四つ巴」に葛藤・苦悩するシーンです。

2人はある種の「妥協点」を探っていたと言えます。

果たして、その結末は?

時に、日本でも、ネット世論などを見ていると、国家や政治体制と政権・与党を同一視してしまう傾向を目にすることが多々あります。

今一度、国家とは何か?を考える必要があるのでしょう。

↑追記記事あります。