映画「二百三高地」~「美しい国・日本」「美しい国・ロシア」、今では描けない戦争の悲惨さ

1980年(日本)

「せやけど、ロシア人が皆、日本人の敵だと思うような考え方だけはしちゃいかんぞ。」

本編より

日露戦争の旅順攻囲戦を描いた大作です。旅順要塞攻略を目指す第三軍の司令官・乃木希典大将(演:仲代達矢)と、召集されて旅順で戦うことになる小学校教師で予備役少尉の小賀武志(演:あおい輝彦)を中心に描かれます。

永遠に解けない方程式

本作は、国家とそれに翻弄される市井の人々の対比が際立ちます。

主人公の小賀は、平和を愛する教師で、トルストイを尊敬するようなインテリですが、戦争の狂気が、彼を苛みます。

出征前の最後の教壇で生徒たちに、

「人は誰でも優しい心を持っているように、世界中どこの国でも悪い国なんてものはないんや」

と説く彼が、幾多の死闘を経て、ロシア兵と殺し合うようになる。

他方、小賀の婚約者で代理教員となっていた婚約者(演:夏目雅子)は、彼の訃報を知り、黒板に「美しい日本」と書き、続いて、「美しいロシア」と書こうとしますが、どうしても「ロシア」が書けません。

ここに国家と個人の分断と悲劇があります。

国家は、自らの「国家理性」に従って行動します。

国家(レーゾン)理性(・デタ)」とは、国家の存続こそが至上命題であり、他の動機などはその前では顧慮されないというものです。いわゆる「国益」という概念の基礎にあるものです。

そうなると、個人や、その生活・人生などは、国家の手段として動員される「道具」となります。

小賀が体現している個人の道徳心・良心と国家理性は緊張関係にありますが、結局、後者に屈することになるのが悲劇的です。

国家は罪を犯さずにはいられないように思われる。もちろん、このような異常にたいして道徳的感覚は再三再四反抗する―しかし、歴史的な効果はない。

『世界の名著54 マイネッケ』中央公論社、1964年、49頁。

個々人にはそれぞれの生活・人生があります。それこそが本来、全ての筈です。

ところが、国家(政治)はこれを巨大な黒い手で搔っ攫っていきます。

政治の幅はつねに生活の幅より狭い、本来生活に支えられているところの政治が、にもかかわらず、屡々、生活を支配しているとひとびとから錯覚されるのは、それが黒い死をもたらす権力を持っているからに他ならない。

埴谷雄高『幻視の中の政治』未来社、1971年、9頁。

これに抵抗する術を、個人は殆ど持っていません。

しかし、人が国家(政治的共同体)を捨てられないのも動かしがたい真理でもあります。

国家・政治と個人の永遠に解けない方程式なのです。

「臣、希典・・・」

しかし、間違ってはいけないのは、国家権力の中に身を置いている人々も、実は悲劇的な個人でしかないということ。

終盤、宮中に参内した乃木希典は、明治天皇(演:三船敏郎)をはじめとする高位高官を前に、軍状報告書を読み上げます。

しかし、その声は、やがて途切れ、震え始めます。

乃木の胸中に、いくつもの思いが去来するのです。

自らの指揮で、幾万もの将兵が死んで行ったこと。

乃木自身の二人の息子も戦死します。

乃木夫人(演:野際陽子)は仏壇の前で茫然自失としている。

そして、小賀の絶叫が聞こえる

「死んでいく兵達には、国家も軍司令官も軍規も、そんなものは一切無縁です!灼熱地獄の底で鬼として焼かれていく苦痛があるだけです!」

どんなイデオロギー、大義名分、美辞麗句を並べようと、最前線で殺し殺される人々にとって、それは無惨な「死」に変わりない。主題歌である、さだまさし「防人(さきもり)(うた)」がこれを雄弁に物語っています。

乃木はその場で嗚咽し、泣き崩れます。

それを見た明治天皇は、乃木に歩み寄り、そっと肩に手を置く。

いわば、国家・権力機構は「戦争マシーン」であって、特定個人がそれそのものを担うことは、本来、神非ざる人には余りに大きすぎるのです。

乃木もひとりの人間であり、父親であり、それと「軍司令官」という重圧との葛藤に押し潰される寸前です。その重圧に同じく耐える明治天皇、国家を体現することを宿命づけられた人が、手を差し伸べる。

権力を手にするということは、実は、自らの首に紐を巻き付けることなのではないのか?

ここにも永遠に解けない方程式があります。

苦痛のその先で

ところで、近年の邦画になく、昭和のそれにあったものは、「苦痛」ではないでしょうか。

本作で、死んでゆく兵たちの姿は、どれも苦痛に満ち満ちており、見ているこちらもその「痛さ」をひしひしと感じます。正視するのが憚られるくらいに。

悶え苦しむ兵士。

凄惨を極める肉弾戦。

銃剣で刺殺されていく負傷兵たち。

同じ、旅順攻防戦を扱った、平成のNHKドラマ「坂の上の雲」と比べてみると、「苦痛」の生々しさは、比べようもない。

戦争映画ではありませんが、映画「日本沈没」(1973年)もそうでした。

ところが、平成になると、こういった描かれ方は喪われます。

平成の「日本沈没」(2006年にリメイク)に1973年のそれを比べると、言わずもがな。

確かに物語上の「悲惨」「悲劇」はありますが、ビジュアルとしての、五感にヒリヒリする感じのある、刺すような「苦痛」は感じません。

邦画はなぜ「苦痛」を描けなくなったのでしょうか。