【1989年,米国,監督:リドリー・スコット,125分】
先日、リチャード・ロイド・パリーの『黒い迷宮:ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』を読み終わった。
この本は、2000年のルーシー・ブラックマン失踪事件を追ったノンフィクションだ。
大変凄惨な事件で、ご記憶の方も多いと思うが、この事件の話をしようとしているわけではない。
この本を読んで、最初に思い浮かべたのが、「ブラック・レイン」という映画だったからだ。
あらすじ
ニューヨーク市警の刑事ニック(マイケル・ダグラス)は、指名手配されていた日本のヤクザ佐藤(松田優作)を、大阪まで護送することになる。
ところが、伊丹空港で、偽の刑事たちに佐藤を奪還されるという失態を演じる。
大阪府警の松本警部補(高倉健)と協力し、時に反目し合いながらも、異世界のような「オオサカ」で二人は佐藤を追い詰めていく・・・。
西洋人から見た日本
『黒い迷宮』を読んで、「ブラック・レイン」を思い浮かべたのは、西洋から見た日本の姿は、80年代も2000年代も変わらないなあ、という点からだ。
20世紀も日本はやっぱり「オリエント」なんだな。
パリーは東京で実際に失踪者と犯罪を追い、他方リドリー・スコットは大阪を舞台に、犯罪映画を描いているのだが、両者はともに、西洋人の視点から通した「日本」を描いている。
故に、日ごろ、日本人が見慣れてしまった自分たちの国「日本」が、まったく違う相貌を見せている、いや、換言すれば、同じ景色・街を観ていても、その観ている人間の感性というか文化によって、その映る姿は全く別物なのだ。
かくして、見知っているはずの東京も大阪も、我々が見たこともないような街として描かれる。
日本人の二面性の象徴
劇中、佐藤と松本は日本人の両極端なイメージとして描かれる。
警察官である松本は、実直な、形式や規則を遵守するという、お堅い日本人の象徴。
一方、佐藤は、冷酷残忍で、暴走し続ける凶暴な日本人の象徴。
前者は戦後日本人の典型のようであり、後者はカミカゼまでやった戦前の軍国主義下の日本人のようだ。
両方に共通するのは「何を考えているのかわからない」日本人像。
日米の刑事が、わからない者同士、反目し合いながらも、捜査を続けていく姿がこの作品の見どころのひとつ。
松田優作の「切れ」ているキャラは伝説ものだと思う。
ツッコミどころはある
日本考証が滅茶苦茶の噴飯もののハリウッド映画が多い中、日本をちゃんと描けている作品。
しかし、細かいツッコミどころとしては、ヤクザの事務所に突入する機動隊が狙撃銃だったり(笑)、終盤の農村風景がどうみてもアレだったりするのだが・・・。
最後に、健さんの声は、健さんの声でお願いします!(日本人まで声優使わんといて!)
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