【考察】機動戦士ガンダム「地球連邦政府」の政治学的研究~地球圏単一国家誕生の経緯とその凋落

ある一つの強大国があって、他の王国を圧倒し、世界王国を樹立し、他の王国をこの世界王国のもとに統合してしまうよりも、戦争状態のほうが望ましいのである。というのは、統治の範囲が広がりすぎると、法はその効力を失ってしまうのであり、魂のない専制政治が生れ、この専制は善の芽を芽をつみとるだけでなく、結局は無政府状態に陥るからだ。

カント『永遠平和のために』光文社、2007年、207-208頁。

広範なメディアミックスを展開し、不動の人気を誇る「機動戦士ガンダム」ですが、特に第一作の、いわゆるファーストガンダムから続く「宇宙世紀」の世界線は、今もサイドストーリーやスピンオフが次々と制作され、高い人気を誇っています。

その宇宙世紀で、一貫して、人類の統一政体として存在しているのが、「地球連邦」です。

ガンダムの世界線では、地球に単一政体としての地球連邦が成立し、ファーストガンダムにおいては、成立から80年近く経過していることがわかります(一年戦争は宇宙世紀0079年)。

しかし、作品中、その政治体制・統治機構が詳しく語られることはなく、執政長官すらも、「ガンダムUC」までは一切登場しません。同作でも、回想として、初代首相リカルド・マーセナスが登場する程度です。

今回は、宇宙世紀における戦争の一方の当事国であり、人類史上最大の国家でありながら、なんとも謎多き地球連邦(連邦政府及び連邦軍)に焦点を当ててみましょう。

が、その前に、機動戦士ガンダムを考察するには、多くの困難があります。

それは、最初に述べたように、長年のメディアミックスにより、膨大な設定が次々と追加され、それが今なお、現在進行中であること。

(公式設定の年表すら)

さらには、スピンオフやサイドストーリーの追加、新解釈などにより、相互に矛盾した設定があったり、そもそも膨大過ぎて全部をチェックすることなぞ叶いません。

この辺りが、『銀河英雄伝説』や『戦闘妖精・雪風』などの考察と根本的に異なるところです。

という訳で、とりあえず、今回は映像作品を中心に小生が観たものと公式であろう若干の書籍に、その範囲をとどめての考察となります。

ですので、どうか親愛なるガノタの皆さまにおかれましては、各種の錯誤・誤認・知識不足等、諸々ありますでしょうが、お手柔らかにお願いいたします。

カントの懸念

「地球連邦」という世界国家に関して論じる前に、是非とも参照しなければならない書物があります。

ドイツの哲学者イマヌエル・カントの『永遠平和のために』(1795年)です。

現在も、世界平和に関して論じる際に、参照され続けている古典ですが、他のカントの著作のように、「何を書いてあるのか、最初から全くわからない」「これ日本語ですか?」ということはありません。

いたって平易に書かれています。

この中で、カントは、もし、世界国家を樹立せんとすれば、超大国が軍事力をもって、反対する諸国を征服・併合することになると指摘しています。

現実にある諸国家の多様性を、文字通り「塗り潰す」ことになり、そこに多様性や自由の余地があるか、甚だ不安な訳です。

カントが提案するのは、世界の多様性を前提とした国家連合(平和連盟)でした。

言語と宗教の違いは、諸民族のうちにほかの民族を憎む傾向を育み、戦争の口実を設けさせるものではあるが、一方では文化を向上させ、人々が原理において一致して、平和な状態でたがいに理解を深めあうようにする力を発揮する。

『永遠平和のために』光文社、208頁

多様性には正と負の二面性がある訳です。

この平和は専制政治のように、すべての力を弱めることによって、自由の墓場の上に作りだされるものではなく、さまざまな力を競いあわせ、その均衡をとることによって生まれ、確保されるものである。

『永遠平和のために』光文社、208頁

多様性における競争と、その均衡によってこそ、平和は確保できる。

地球連邦の当初は、おそらく緩やかな連合体だったでしょう。

対話や協調、多様性も重視された。

ところが、それが、ある事件をきっかけに、逆転してしまいます。

まさにカントの懸念は宇宙世紀に現実のものとなるのですが、それは一体どのようなプロセスによってだったのでしょうか。

以下、詳しく見ていきましょう。

「地球連邦」誕生プロセスのパターン

そもそも、一体、どのような経緯を辿って「地球連邦」は誕生したのでしょうか?

考えられるパターンは、いくつかあります。

1.国連強大化パターン

国連が強力な指導力を手に入れていて、主導・母体となって、これが発展的に連合から連邦へ行移行したパターン。

2.米ソ連合パターン

冷戦真っ盛りの中、何かの弾みで、米ソ両大国が緊張緩和(デタント)を通り越して、和解・連合してしまい、東西両陣営がそのまま統合されるというビックリ世界線。

ちなみに「米ソ連合」という国家は『攻殻機動隊』に登場します。

3.「歴史の終わり」パターン

米国や西欧諸国が、自由民主主義の大義名分を掲げ、その覇権を拡大して世界国家を樹立したパターン。

1990年代、湾岸戦争の頃の、米国一極体制から世界国家(デモクラシーの帝国)への移行です。

「歴史の終わり」というのは、米国の政治学者フランシス・フクヤマが提唱したものです。

これは、もはや、西欧型の自由民主主義(リベラル・デモクラシー)が、理論上は人類の目指す政治的理想の最高の形態(完成形)であり、現実の歴史は続くとしても、進歩の歴史はここに終わったというヘーゲル的な歴史観による政治思想です。

4.多極化の混乱からの樹立パターン

1~3のパターンがソフトランディングだとすれば、この第4のパターンはハードランディングです。

史実の21世紀において、つまり現代ですが、アメリカの覇権の後退(トランプ政権誕生、西側の結束崩壊)や中露の台頭、中東情勢の泥沼化、インドなどの新興大国の台頭etc.

この状況からの世界国家(地球連邦)樹立は極めて困難でしょう。

足がかりがない。

「第三次世界大戦の危機」からの地球連邦樹立?~ホッブズ的恐怖

どちらにしろ、確定した設定はないのでしょうが、地球連邦の樹立のプロセスは、史実の各時代の国際関係の状況で全く異なる説明が可能です。

ところで、「地球連邦」のような人類統一政体が登場するSFやアニメなどのフィクションで一番容易な動機、きっかけは、地球外からの侵略でしょう。

共通の敵を設定し、それによって団結することは、政治の常です。

例えば、「超時空要塞マクロス」シリーズでは、異星人の宇宙戦艦の日本近海への落下によって、その存在が認知され、「地球統合政府」が樹立されます(しかし、これに反対する反統合勢力との間に「統合戦争」が勃発します)。

ところが、ガンダムの世界線は、そのような外敵の脅威による地球統一ではありません。

いくつか初期のガンダム関連本を眺めていても、そういった動機は全く出てきません。

例えば、たまたま手元にある書籍『ENTERTAINMENT BIBLE』シリーズのある巻にある年表では、

  • 1990年~ 世界各地で局地戦争勃発。第3次世界大戦の危機感が強まる。
  • 1999年  地球連邦政府樹立
  • 2009年  地球連邦軍設立

と記載されています※1

つまり、これを読む限りは、第三次世界大戦(当然、全面核戦争)の危機が高まったので、各国は、それを回避せんと、世界国家の樹立に合意したことになります。

どう思われますか?

このロジックは成立するでしょうか。

国家が軍備を放棄できない理由として、よく次のような説明がなされます。

ある部屋で、男たちが互いに武器を持って睨み合っている。

この緊張状態を終わらせようと、両者が合意して、一斉に武器を放り投げることにしました。しかし、この時、「もし自分だけが捨てて、相手が捨てなかったら」「もし相手が武器を隠し持っていたら」という疑念・恐怖は、避けられません。

もし、自分だけ無防備になったら、自分は相手の言いなりになるしかなく、最悪、殺されます。

いわゆる「ホッブズ的恐怖の部屋」です。

この男たちを国家に置き換えると、一斉に軍備を放棄しようとした場合、その当事者の一方が実は、武器を隠し持っており、軍備放棄後に一部の国が軍備を保持していたら、他方は蹂躙されてしまいます。

この恐怖から、どの国も軍備を放棄できない。

もし、その軍備が大量破壊兵器((N)生物(B)(C)学兵器)であったならば、目も当てられません。

核であれば、世界唯一(・・)の核保有国を誕生させてしまうからです。

現実の国際社会においては、主権国家の軍備のみならず、国家以外の武装勢力の存在も考慮にいれる必要があるので、それらの全軍備が一斉に放棄される状況などナンセンスでしょう。

誰かが抜け駆けする。

全国家が第三次大戦への恐怖から軍備を自ら進んで放棄するというのは、あり得そうにありません。

思うに、「地球連邦」というのは、「国際連合」の改称に過ぎないのかもしれません。

各地で局地的紛争が激化し、それを止めるために、国連が積極的に軍事介入する。

軍備の「放棄」ではなく「集中」ですね。

そのような国連の新しい姿勢を、国連の、というよりは国連安全保障理事会の常任理事国(米英仏中露)の合意によって、強行・強要していく体制というのが最初期の地球連邦かもしれません。

(つまり前節のパターンでいうところの1と3あたりです)

勿論、ガンダムでは、他にも人口爆発・自然環境の破壊への懸念から地球連邦建国に至ったという説明も、多々見受けられますが、それを強権的に解決しようとすれば、話は同じことです。

環境破壊と人口爆発が、世界的な騒乱状態の原因なんでしょうし。

国連軍と地球連邦軍

仮に、常任理事国5大国が国連≒地球連邦を笠に着て、世界各国に地球統一を迫っていくというのは、どのような形になるのでしょうか。

最初期の地球連邦政府は、先の年表にあるように、それ固有の正規軍を持っていません。

ですので、当初は、「国連軍」方式しかありません。

史実の「国連軍」は厳密には、過去一度も結成されたことはありません。

厳密な意味での「国連軍」は、国連憲章第7章に基づき、国連からの要請で、各国が兵力を提供し、その指揮は、国連安全保障理事会の下にある国連軍事参謀委員会に、常任理事国の制服組トップが集まり、強制的措置(軍事活動)を行います。

この形での、国連軍は史上一度も結成されず、長らくいわゆる「6章半活動」によるPKO(PKF)でお茶を濁している訳です。

6章半活動とは、国連憲章第6章(紛争の平和的解決)と第7章の中間的な措置という意味です。

当初の地球連邦軍は、各国軍の全部または一部をそのままの状態で、地球連邦政府の指揮下で戦わせた方式なのでしょう。

参考になるのは、湾岸戦争(1991年)での多国籍軍。

イラク軍に対して圧倒的な兵力で挑む訳ですが、その指揮体制は一筋縄ではいきません。

米中央軍のノーマン・シュワルツコフ司令官の指揮下に米軍と共に英・カナダ・伊が共に戦うことになります(仏軍は極力、米の指揮下を避けた)。

共に戦ったアラブ・イスラム各国軍は、米軍の指揮下に入ることを良しとせず、サウジアラビア軍の指揮下で戦います。

二本立てなわけです。

地球連邦軍といっても、当初は、西側と旧東側国家、キリスト教国とイスラム教国がどちらかの指揮下で戦うというのは不可能でしょうし、共同作戦形式で戦うという変則的なものだったでしょう。

単一軍としての「地球連邦軍」樹立の難しさ

地球連邦政府樹立から10年あまり後、地球連邦軍が創設されます。

それが、前述の連合軍(多国籍軍)形式であったのか、単一の軍隊としてなのかが定かではありませんが、一年戦争勃発時(宇宙世紀0079年)の状況は、明らかに単一の軍隊です。

ここまでに至る地球連邦軍の歩みを想像してみます。

まず、地球上の全国家の軍隊を1つにするというのは、言う程、易しいことではありません。

この問題で非常に参考になるのが、東西ドイツの統一(1990年)です。

東西ドイツは冷戦の最前線であり、両軍とも全く違ったドクトリン、装備体系、規格の軍隊な訳です。

この東西ドイツ両軍をひとつのドイツ軍にするために何が行われたか。

それは実に簡単なことで、一方による他方の「解体」です。

西ドイツ軍は、そのまま維持された一方、東ドイツ軍(人民軍)は、ほぼ解体・廃止に近い処分となりました。

東ドイツ軍はワルシャワ条約機構軍の中では「精鋭」の位置付けでした。

そうでありながら、この扱いです。

東ドイツ軍総兵力60万人の内、ドイツ連邦軍(実質、西ドイツ軍)に編入されたのは、僅か1万人に過ぎない※2

地球連邦軍の成立もこの韻を踏むでしょう。

より優位な国家の軍隊が残り、劣位な国家の軍隊は解体又は吸収されていく。

この地球単一軍を結成する最大の問題・困難は、広義の「ドクトリン」の違いです。

「ドクトリン」、これは、つまるところ軍隊の思想(用兵思想)、その国の軍事的思想・軍事的文化、戦略観のことです。

このドクトリンを土台にして、軍隊は設計され、教育され戦います。

兵器に関しても、このドクトリンを基に、設計・採用・運用されているわけです。

米軍人の師団長以下師団司令部の指揮で、いきなりロシア軍の師団が戦うというのは土台無理な訳です。

中国軍の艦長の下で、海上自衛官で構成された駆逐艦が動かせるわけがないんです。

故に、ドクトリンが全く違う、軍隊が1つの軍隊になるというのは並外れた努力ではないのです。

例えば、NATO軍は、冷戦時代、ソ連軍の西欧侵攻に対抗する為、単一の指揮官(NATO連合軍最高司令官)の指揮下に連合して戦う想定でしたが、各国のドクトリンの違いからくる装備の不統一、補給の困難さなど、最後まで克服できませんでした(幸い、ソ連は西欧に「冒険」しませんでしたが)。

従って、地球連邦軍が各国軍の寄せ集めから単一の軍隊へと生まれ変わるには、独自のドクトリンを試行錯誤して創出するという、恐ろしい時間と手間がかかることになります。

史上最大規模の「軍縮」

地球連邦軍の創建においては、東ドイツ軍の例に見るように、解体される軍隊の方が多いでしょうから、これは実質的には、世界的な軍縮になるわけです。

例えば、北朝鮮人民軍のような兵力だけ100万を超えるような前近代的な軍隊なぞ、北朝鮮指導部が地球連邦に大人しく帰順したとしても、東ドイツ軍以上に無用の長物で、おそらく地球連邦軍への編入は0です。

こうなってくると、大兵力を抱えた近代化の遅れた軍隊は、次々と解体され、先進的な軍隊を除いて、世界的に見れば、史上稀に見る規模の軍縮につながるでしょう。

本質的に軍隊は、軍事的ケインズ主義の観点を除けば、経済の発展に寄与する存在ではありません。

その点では、この大軍縮は、大いに喜ぶべきことかもしれませんが、しかし、膨大な退役軍人や、契約先を失った各国の軍需産業(軍産複合体)を何とかしなければならない。

それだけ、失業率、治安に与えるインパクトは大きい。

そこで、その余剰労働人口を吸収する方途、かつ軍需企業を民需に転換させる道として、宇宙開発・宇宙移民政策に、ブルーオーシャンとして白羽の矢が立つ

連邦制の陥穽

曲がりなりにも、地球連邦は成立した訳です。

おそらく「連邦」を標榜する以上は、連邦を構成する主権国家(国民国家)は維持され、その権限の一部を地球連邦に移譲するような法的手続きが取られたのでしょう。

とこで、「連邦制」という国家形態は、それ自体が、ひとつの矛盾を抱え込んだものでもあります。

権力に本質的に備わっているダイナミズムは、そもそも連邦制度とは相容ないものである。権力というのは「連邦的」な形式を失わせながら永遠に中央集権化していくか、さもなければ合意、もしくは秩序だった全員の認めるプロセスがある、なしにかかわらず、地方分権化して、完全な分離独立運動へと容易に転がりだすものだ。

(ルトワック『“ルトワック”のクーデター入門』芙蓉書房出版社、2018年、85-86頁)

つまり「政治権力」の本質・本能と言うべきものは、常に単一化を求めるということです。

ひとつの政治的単位が、自身が「支配したい」という本能を持つという事は、多様性の本質的な忌避であり、常に自己への収斂を求めます。

「連邦制」、つまり自己(国家)の内部に、別の国家(自治州、自治区etc.)を抱え込む状態は、大いなる矛盾を抱えており、それは、いずれ、どちらかへ傾くということです。

かつてのソビエト連邦(・・)のように、構成各国の自治権が名ばかりで、モスクワ(ソ連共産党中央)の集権体制が極めて強いもの。

アメリカ合衆国のように、建国以来、フェデラリスト(連邦主義者)とアンチ・フェデラリスト(反連邦派・州権主義者)の連邦政府の権限を巡る果てしない抗争

地球連邦も「連邦」故に、連邦政府とその構成各国の力関係の天秤は、どちらかに傾く筈です。

思うに、

「地球連邦」成立当初は、かなり緩い形での、言わば形式的な、便宜的あるいは名誉的な存在として扱われていたのかもしれません。

でなければ、切迫した事情があったにせよ、地球上の全主権国家がその主権の枢要な部分を放棄(移譲)するという合意は、極めて困難であろうからです。

あるいは、ヨーロッパ統合のプロセスを参考したのでしょう。

EU(欧州連合)は、既存の主権国家の連合体としてEUを結成しているので、主権国家との間で管轄権が錯綜しながらも、ひとつの超国家組織を形成しています。

(とはいえ、その構成国は歴史的な欧州キリスト教的共同体の構成国ばかり)

しかし、先のルトワックの指摘の通り、「連邦主義」は、遅かれ早かれ、どちらかの天秤に大きく傾くしかない。

そもそも、地球を連邦化するという構想は、既存の諸国家の概念と対抗関係にあります。

政治学者の千葉眞は次のようにまとめている

連邦主義の制度構想としての第一の特質は、それが反国民国家的性質を有し、さらには支配者の絶対的かつ不可分な意志としての主権の概念への批判という意味合いを帯びているところにある。歴史的に見ても、近代の出発点から一貫して連邦主義はそもそも、主権的国民国家システムに対する対抗パラダイムとして提唱されてきた経緯がある。

古賀敬太・編『政治概念の歴史的展開 第一巻』晃洋書房、2009年、258頁。

元来、「国民(ネイション)国家(ステイト)」というのはネイションとステイトという別々の概念の複合物です。

「ネイション(国民)」というのは、近代に人工的・作為的に作られたものです。

フランスを例にとれば、慣習・文化・言語の違いを矯正・統合して、元々はブルターニュやノルマンディー、ブルゴーニュなど、それぞれ独自の文化圏・アイデンティティだったものを、無理に「フランス」及び「フランス人」という単位を創出(イメージさせ)させます。

いわば、フィクションであり、「想像の共同体」な訳です。

他方、「ステイト(状態)」とは、中世以来の身分制的秩序が崩壊したことによって、何らかの秩序状態が必要になった訳です。そこで強力な権力機構(暴力装置+官僚制)によって、秩序を創出・維持・継続することが、近代国家の目的になりました。

これら「ステイト(秩序状態・権力機構)」と「ネイション」が結び付いた政治概念が「ネイション・ステイト(国民国家)」です。

ネイションが、本来、グラデーションのようにきっちりとは線引きできないはずの地域の文化圏に、半ば恣意的に、半ば強制的に線引きして「国民」を創出しているのですから、国民国家はどうしても排他的にならざるを得ません。

地球連邦政府が、地球圏を「連邦化」するという事は、この「国民国家」の「神話」を少なからず、否、大幅に解体する作業でもあります。

「国民」というフィクションを「地球市民」というフィクションに書き換えるということです。

これに、連邦政府は成功します。

宇宙世紀の作品を見る限り、旧西暦時代の国民国家のナショナリズムというのは、ほとんど影を潜めているように見受けられます。

しかし、この成功は半面的です。

なぜなら、「地球市民」という物語の構築は、実際には「アースノイド」と「スパースノイド」という二つの対抗的なアイデンティティを、生み出してしまったからです。

元来、緩やかだったはずの地球連邦が、大きく集権的・強圧的になっていた契機になったのは、宇宙世紀への改暦と同時に発生した「ラプラス事件」でしょう。

衛星軌道上の宇宙ステーション「ラプラス」が爆散したこのテロ事件で、地球連邦政府初代首相リカルド・マーセナスを筆頭に、リベラルな穏健派で、彼の政権の主要な人物も彼と共に文字通り宇宙の藻屑と消えました。

(にしてもいきなり宇宙ステーションに連邦政府首相官邸を置くのは斬新過ぎるし、保安上の問題を無視し過ぎています。せめて月面都市)

それを引き継いだ政権が右派的・強圧的な政策を進めることになります。

リベラルな連邦政府指導部(リカルド・マーセナス政権)なら、融和的・協調的・対話的であり、国民国家も依然、力をもったでしょう。

しかし、潮目は変わりました。

テロ以降の地球連邦政府は、地球上の反連邦勢力に砲艦外交的・強権的になり、反対勢力は宇宙世紀0022年の「地球上の紛争消滅宣言」までに一掃されます。

つまり、先のルトワックの言葉を借りれば「連邦的」な形式を失わせながら永遠に中央集権化していったのです。

西暦以前の国民国家が衰退する一方、「新たな国民国家」思想ともいうべきものが登場します。

それは、ジオニズムです。

地球連邦の政治体制はリベラル・デモクラシーなのか?~委任独裁と連邦軍

さて、この人類初の単一政体たる地球連邦は、分類上、どの政治体制に位置付けられるのでしょうか?

一応、「民主主義」を標榜しているようなのですが、そこには幾つもの留保が付くようです。

Zガンダムに登場した、ブレックス・フォーラ准将(エウーゴの指導者)、ジャミトフ・ハイマン大将(ティターンズ総帥)は、現役の軍人(将官)でありながら、地球連邦議会に議席を持っています。

これは、日本の議会制民主主義に慣れていると、極めて奇異に映りますが、現実に例がないわけではありません。

一院制時代のインドネシア議会では、国軍と警察の議席がありました。

これは、スカルノ及びその後のスハルトの権威主義体制(開発独裁)において、国軍の代表(と与党ゴルカルの議員)を大量に送り込むことで、己の権力の盤石さを確保していた為です。

一体いつから、連邦の軍人が議席を持つようになったかは不明ですが、少なくとも最初からではないでしょう。

おそらく、連邦軍の発言力が増した時点。

一年戦争中だったのではないでしょうか。一年戦争は、総人口の半数が死に至るという史上最悪の戦争であった訳ですから、相当な混乱があったでしょう。

その過程で、国家緊急権の発動、連邦軍の軍政に近い事態は当然予想されます。

いうなれば、連邦軍による「独裁」です。

ところで、この「独裁」には2つの概念上の区別があり、それは、ひとつは「主権独裁」、他方は「委任独裁」です。

「主権独裁」とは、革命のような国家体制そのものの転覆・樹立するような独裁です。フランス革命とかですね。

「委任独裁」とは、あくまで国家体制はそのままで、その体制下で、非常事態を乗り越えるために、特定の人物(機関)に、一定の制約(期限)で超憲的な独裁政治を委任する。古代ローマの独裁官制度が典型です。

一年戦争の連邦軍は、一種、委任独裁の状態にあったのではないでしょうか。

コロニー落としによる全地球的惨事とそれに続くジオン軍の地上侵攻。

こうなると、通常の行政は麻痺しますし、戦闘地域では、軍政を敷き、戒厳を布告することになるでしょう。

全てが、例外状況、非常事態で押し通せます。

ジャブローに全権が集中するのです。

これが、一年戦争の終結(ジオンとの休戦)で終われば良かったのですが、膨大な戦災復興と治安の維持、帰順しないジオン軍残党の掃討は、そう簡単に終わるはずもなく、連邦軍の「委任独裁」はダラダラと継続されたのではないでしょうか。

そうこうする内に3年後の宇宙世紀0083年、デラーズ紛争が発生します。

地球連邦軍宇宙観艦式への核テロ、北米へのコロニー落下。

連邦軍にとっては、これほどの「口実」「大義名分」はなく、堂々と「非常事態」を延長できます。

ジャミトフ・ハイマンによる、地球軍、宇宙軍に続く第三の軍隊である武装親衛隊、もとい「ティターンズ」も建軍されます。

Zガンダムの頃、宇宙世紀0087年には、「委任独裁」は無期限に延長される体制になっていたのでしょう。

連邦議会も、最初は期限付きの委任独裁権を与えていたはずが、情勢に流され、いつの間にか、逆に、軍部が議席を要求し、それに抵抗できない状況に陥っていた。

開発独裁としての地球連邦

地球連邦の政治体制は、おそらく最初期のリベラル・デモクラシー(旧西側諸国主導)から急速に権威主義的な体制に移行していったと考えられます。

これはラプラス事件の影響もあるでしょうが、特に、宇宙開発・宇宙移民政策が急進的過ぎたのが原因ではないでしょうか。

なにせ宇宙開発です。

そこにスペースコロニーを次々と建設し、月面都市も建設し、入植させ、木星に開発船団を飛ばすのです。

このような急進的な経済政策は、強い政治のリーダーシップが必要で、20世紀でいう、「開発独裁」に近い。

20世紀後半の東南アジア諸国では、「開発独裁」という権威主義体制の一類型による、経済成長が行われました。

貧しいが原材料が豊富な途上国は、安い労働力で先進国(日本など)からの投資を呼び込み、輸出志向型の開発で経済発展を実現しました。

しかし、そのためには、強い政治指導が必要で、自由や民主化は省みられません。

具体例で言えば、台湾の蒋介石・蔣経国親子、シンガポールのリークアンユー、韓国の朴正煕、マレーシアのマハティールetc.

宇宙開発も、豊かな地球側経済から膨大な移民人口を抱えるコロニー側へ投資をくり返し、更なる開発(コロニー建設、月開発、木星開発、ルナツーなどの資源採掘)を促すという構図が想像できます。

宇宙移民が増えるほど、人的コストは下がっていく筈ですから。

先述の年表だと宇宙世紀0050年には総人口110億人の内、90億人がスペースノイドな訳ですから、20世紀の先進国と開発独裁国家の関係に酷似します。

この構図だと、アースノイド(というか地球の企業や政府、ひいては地球経済)側の利潤が膨らみ、スペースノイドは搾取されていると、感じるのは、20世紀の東南アジアで見られた例と同じで道理でしょう。

東南アジアでは、やがて民主化運動のうねりが起きますが、独裁政権の対応は、銃剣でもって応じるもので、これも、コロニーの分離運動に対する連邦軍の対応と酷似します。

なにせ、開発独裁は、不正・汚職とも隣り合わせですから、これも、いわゆる「腐敗した地球連邦政府」と二重写しです。

スペースノイドの反発は、開発独裁国家における人民の反発に似ています

20世紀には、政権と民衆の間で、光州事件(韓国)や美麗島事件(台湾)、エドゥサ革命(フィリピン)などが起こり、宇宙世紀にはジオン独立が起こります。

アースノイドは、先進国の国民・世論にありがちな、「対岸の火事」だったのでしょう。

以上のような観点から、民主主義を標榜しながらも、地球連邦は、実質的には「権威主義」に分類される政治体制であると考えられます。

これは、スペインの政治学者ホアン・リンスが、民主主義、全体主義の中間の政治体制として提唱したもので、元は自国のフランコ将軍の政治体制を説明したものでした。

権威主義体制であった地球連邦は、一年戦争以後、全体主義にその針を急速に振れたようです。

ティターンズによる30バンチ事件(毒ガスの使用によるコロニー住民のジェノサイド)に典型的なように、カントの言う「魂のない専制政治」へ。

「参謀次官」という謎

「逆襲のシャア」で、連邦政府の高官アデナウアー・パラヤなる人物が登場しますが、その役職は「参謀次官」でした。

どう見ても、文民の官僚ないしは政治家なのですが、そこに「参謀」が冠されるのは、軍事学上の大問題を孕んでいます。

まず、「参謀」とは何かを明らかにしましょう。

「参謀」あるいは「幕僚」と呼ばれる軍事用語は、「スタッフ」といいます。

そして、この「スタッフ」と対概念、セットで考えられる概念が「ライン」です。

この「スタッフとライン」について確認しておきましょう。

組織論ではお馴染みですが、「ライン」は、実際に命令し執行する垂直の指揮命令系統のことです

対して、「スタッフ」とは、ラインの垂直の指揮命令系統に対して、いわば横軸から、専門知識などで補佐・助言・勧告する存在です。

軍隊(陸軍)では、例えば1万人を擁する師団であれば、師団の指揮権を有する師団長(少将)から連隊長→中隊長→小隊長へと指揮命令が各級指揮官に垂直に伝えられます(ライン)。

ところが、師団長ひとりが全てをこなすには業務が膨大です。

そこで、師団長の傍らには、師団長を補佐する軍人が付き従います。これがスタッフ(参謀・幕僚)です。

スタッフは、それぞれ専門知識別に分かれます。作戦幕僚、情報幕僚、兵站幕僚etc.。

この幕僚を束ねるのが参謀長(幕僚長)です。

この師団長と幕僚たちで師団司令部を構成します。ポイントはあくまで師団長に指揮権があることです。

事情は、師団より上の部隊でも下の部隊でも同じです。

連隊ならば、連隊長の傍らに各幕僚がおり、連隊本部を構成します。

これを踏まえて「参謀次官」です。

アデナウアー・パラヤが制服組であり、軍服を着ていれば、問題はなく話が進むのですが(それでも、「次官」ではなく「次長」が適切です)、どう見ても、文官なんです。

官僚か政務(政治家)か判断できませんが。

では、「参謀」問題を置いておいて、もう一方の「次官」について考えてみましょう。

「次官」というのは、当然「長官」あってのその次席としての「次官」なのが道理です。

では、一体、パラヤ参謀次官の上役(長官)は誰なのか?

地球連邦政府の省の長官(閣僚クラス)であることは間違いない

なぜなら、ネオジオンの総帥シャアほどの人物と交渉する訳ですから、閣僚よりもはるかに低い位階の人物に任せるわけがない。

ではどこの所属か?

普通、対外交渉であれば、外務省が所管すると考えそうですが、これはまずない。

なぜなら、地球連邦は人類の単一政体であり、外交をすべき対外国家は理論上では存在しません。

これは、現実の状況と法の乖離ではあります。

(『銀河英雄伝説』の銀河帝国における自由惑星同盟の立場も同じです)

例えば、南北朝鮮はお互いを国家としては理論上では認知していません。

韓国にとってみれば、北朝鮮は、自国の「反乱地域」に過ぎず、であるから、北朝鮮との交渉は韓国外交部(外務省)ではなく韓国統一部(統一省)の所管です。

韓国政府は、北朝鮮地域の5つの「道」(行政区画)にも(「以北五道」といいます)、知事を任命しています。しかし、もちろんその知事は、自分の任地には赴任できないし、韓国が行政を執行することも物理的にできません。

しかし、法的(・・)に自国側の主張をする為にあえて行っているのです。

(日本も、例えば気象庁が、津波警報を出す際、北方4島も含んでいます)

これは中台関係にも当てはまります。

中国(中華人民共和国/北京政府)も台湾(中華民国/国民党政府)も、共に「自分達こそ正統な中国(チャイナ)の政府だ」と主張している訳です。

実効支配している広さに関係なく、台湾にしてみれば、対岸の中国大陸本土は全て「反乱地域」であり、いずれ主権を回復する(大陸反抗)必要がある地域となります。

逆に北京政府=中国共産党側もそのロジックを用いることになります(北京政府側も「中華人民共和国台湾省」を名目上だけ設置しています)。

言い換えると、中国(チャイナ)には「二つ政府」あり、その正統性を争っていることになります。

これを踏まえると、地球連邦政府には「外務省」はないはずです。

ちなみに、「閃光のハサウェイ」冒頭のハイジャックでは、搭乗していた連邦政府の閣僚の名称が見えますが(保健衛生大臣、通信大臣、木星開発庁長官etc.)、この中にはいないようです。

あり得るとしたら、「地球連邦政府地球統一省」とか。

一年戦争以後のジオン共和国も、「自治権」という言い方をしているので、実態はともかく、連邦内の自治共和国という法的扱いのでしょうから、統一省があれば、ここが対ジオン外交をするはずです。

ともかく、パラヤ次官に話を戻すと、「参謀」を冠するので、軍事省庁なのでしょう。

まあ、ネオジオンとは、「交戦状態」ですから。

いちばん収まりのいいのは、地球連邦政府国防省です。

ところが、各文献にあたると、地球連邦政府に「国防省」に類する省庁は存在しないのです(!)。

軍事省庁で存在するのは「地球軍省」と「宇宙軍省」のようです。

面白いもので、これは20世紀、第二次世界大戦以降の軍政機構のトレンドには反する形態です。

第二次大戦までは、米国を例にとれば、戦争省(戦務省、実質上は陸軍省)と海軍省の並立制で、その上部の機関(単一の軍事省)は、戦後に「国防総省」(当初は「国家軍事機構」)が創立するまで待たなければなりません。

戦後は陸海空三軍を何らかの形で統合指揮・総合運用しようという「統合軍」マインドが強くなります。

戦前の日本も、陸軍省と海軍省は並立しており、戦時の「大本営」は、実は内部で大本営陸軍部・大本営海軍部が並立している有様でした(戦後は「保安庁」→「防衛庁」が発足)。

翻って、地球連邦は、この戦前スタイルな訳です。

地球軍と宇宙軍を軍政面で統合する官庁を欠いている。

こうなると、パラヤ次官の所属も、ネオ・ジオンが宇宙に跋扈している訳ですから、地球軍省ではなく、宇宙軍省の次官なんでしょう。

「地球連邦政府宇宙軍省長官(閣僚級)」の下の「宇宙軍省次官」と推定できます(しかし、ラサに隕石まで落とされているのに、次官級で交渉とは、なんともはや…)。

ところが、ここで話は、最初に戻ります。

参謀(・・)次官なんです。

「参謀」を冠することが、最大のネックなんです(おのれ、富野めぇ…)

一番、常識的というか、軍事学的に齟齬がない仮説を立てると、次のようになります。

例えば、米国防長官の下には6人の国防次官がおり、それぞれ担当する所管が違います。

技術担当国防次官、会計担当国防次官、情報担当国防次官etc.

そう考えると、宇宙軍省の複数の次官の内、「参謀本部担当次官」の略称としての「参謀次官」というのが一番適当な気がします。

要するに省略の問題である、と

・・・こんな答えじゃ、面白くない?

まあ、そうですよねえ。

尚も考えられるとしたら、この「参謀」は、かなり特殊な組織文化の産物、軍事学上の純粋な「参謀」(スタッフ)の意味合いとは、全然別のものということでしょうか。

例えば、地球連邦軍参謀本部に、派遣されている次官。

地球連邦軍参謀本部長を監督(監視)する、いわば政治将校・KGB(チェキ)将校(スト)のようなお目付け役の親玉。

参謀本部諸将を監視し、その決定に口を挟んでくる嫌われ者。

これだと、あの連邦軍将兵からの嫌われっぷりが説明がつく。

なんか往年のソ連軍ぽいですね。

そもそも、地球連邦軍て、アメリカ軍と比較されたり、近いイメージで語られますが、それよりもソ連軍ぽいところがあるような気がするんです。

地球連邦政府の統治機能の破綻

地球連邦に関して、勝手になんとなく、米国のような政治体制と軍事機構を連想しているきらい(・・・)があるのですが、実は、ソビエト連邦や中国(90年代以前)の全体主義国家を念頭に置いた方が良いのではないかと考えます。

それは、連邦政府と連邦軍の行状を見れば見る程、その錯綜した状況が、ソ連や中国のそれに見えますし、またナチス・ドイツにも通じるところがある。

あるいは、前述した、管轄権が錯綜するEU(欧州連合)も大いに参考になるでしょうし、この2つを念頭に考えるべきではないか、と。

ソ連指導部の権力構造は、制度上のそれと実態が必ずしも一致しません。

極めて錯綜しており、属人的な権力闘争・派閥闘争で流動的ですらあります。

おまけに国家と党(共産党)の二重構造もある。

それに合わせるかのように軍事機構も複雑です。

筆頭軍種である地上軍にはじまり、海軍、空軍、防空軍、戦略ロケット軍の正規軍に加えて、KGB軍(含む国境警備軍)、内務省軍まであります。

(これに各級部隊に政治将校が配置されるラインが加わります)

軍種がむやみに増えるのは、軍部内が合理的な指揮統制・編成ではなく、特殊な「歪み」がある証左でもあります。

ナチス・ドイツにおいても、親衛隊長官ヒムラーが、国防軍と別建ての武装親衛隊を保有し、空軍総司令官ゲーリング元帥が地上戦部隊の空軍野戦師団(およそ20個師団!)を編成していました。

ナチス指導部内の権力闘争や個人的な思想・意向の産物です。

我らが地球連邦軍でいえば、これはまず「ティターンズ」でしょう。

これに対抗するのが、反ティターンズ有志による「エゥーゴ」でしたが、要するに、この2つとも連邦軍内部の軍閥であり、グリプス戦役とは、連邦軍内部の内紛であり、地球連邦国内の内戦です。

ティターンズの階級は、連邦軍正規軍の同一階級よりも優越するという制度(ブライト殴られてましたね)など、軍全体の統制と士気から見れば、マイナスでしかないことをやっています。

グリプス戦役以後もこれは、そんなに変わりません。

「第二次ネオ・ジオン戦争」でも、独立艦隊「ロンド・ベル隊」が矢面にたって孤立無援で奮戦します。

一見、ロンド・ベル隊は、いわゆる緊急展開軍(例えば米軍の第18空挺軍団)に見えますが、そうではない。

これは、要するに連邦軍内部が様々な派閥や思惑で分断されており、通常のライン(指揮命令統制)では、各部隊を動かせないので、仕方なくラインとは独立した部隊を創って、お茶を濁すという、近代的軍隊としては、まことに嘆かわしい状態にあるに過ぎません。

後年の「コスモ・バビロニア建国戦争」でも、連邦軍の動きは鈍く、さらに後のザンスカール戦争ではレジスタンスの後塵を拝すどころか、無為無策になり、ムバラク・スターン提督の個人的才覚で一部有志が戦うという状況にまで陥ります。

エウーゴも同様ですが、軍隊内で「有志」によって軍事行動が起こされるのは、ラインの崩壊であり、軍隊の体をなしていません。

つまり、合理的な軍事組織を連邦は維持できていないのです。

あるのは、烏合の衆となった軍閥の集合体です。

群雄割拠一歩手前。

かつての中国人民解放軍は、その出自(抗日ゲリラ軍)から、土着的・地域密着の軍隊であったと指摘されていました。

共産党の各軍は、抗日戦争・国共内戦の頃の各ゲリラ軍がそのまま人民解放軍各野戦軍に看板を掛け替え存続し、

こうしたフォーマルな軍事組織が、これを基礎に一つのインフォーマルな「派閥」と化していることを示している。それは発生のときから地域を異にし、言語(方言)、生活習慣を異にし、また指導者(将領)を中心に幾多の戦闘のなかで人間関係によって長期に結合してきた結果による

川島弘三『社会主義の軍隊』講談社、1990年、168-169頁。

これは地球連邦軍にも当てはまるのかもしれません。

地球軍は、旧国民国家の枠組みに接近するかもしれませんし、月や各サイドの駐留軍も、現地政府や財界の意向を窺ったり、癒着したり、また、日和見主義に陥っているかもしれない。

もし、仮に、地球連邦が近代的な国家であったなら歴史はどうなっていたでしょうか?

地球連邦政府首脳が国家戦略目標を根拠に的確な戦争指導・政治統制を行い、地球連邦軍が単一の指揮統制のもとに合理的な軍事行動をとれる健全な軍隊であれば、前述の全ての戦争は、連邦軍の圧倒的な兵力の前に、速やかに鎮圧されていたはずです。

というよりも、連邦軍がそのような軍隊ならば、抑止力が機能して、そもそも、戦争の勃発自体防げたはずでしょう。

もう一度、冒頭のカントの言葉を思い出しましょう。

統治の範囲が広がりすぎると、法はその効力を失ってしまうのであり、魂のない専制政治が生れ、この専制は善の芽を芽をつみとるだけでなく、結局は無政府状態に陥るからだ。

『永遠平和のために』光文社、208頁。

地球連邦は大きすぎました。地球全域に加え、宇宙までです。

統治の範囲が広すぎて、政府の能力はそれに及ばず、法の力は形骸化しました。

軍閥を産み、専制へと傾き、人心の離反を招きました。

やがて統治不能となり、分離独立戦争の巷という無政府状態に陥りました。

地球圏の統一は、世界平和の為の「善意」から出発したのでしょう。

しかし、それだけではいけなかった。

まことに「地獄への道は善意で舗装されている」(ゲーテ)

カール・シュミットの憂鬱

最後に、地球連邦という「世界国家」それ自体の原理的矛盾にかんして言及して、拙稿を終えたいと思います。

それは、「地球連邦」が「国家」であることは可能か、と言う問題です。

ドイツの公法学者・政治思想家カール・シュミットは著書『政治的なものの概念』で「政治」や「国家」の本質を考察しました。

ここでの「国家」は、近代国家に限定されず、普遍的(時空間に左右されない)な「政治的共同体」という概念であることに注意してください。

「共同体」に「政治的」が付く意味を考えます。

共同体は、「宗教的共同体」や「文化的共同体」「経済的共同体」などと、●●的と、その性格付けすることが出来ます。

では、「政治的」と付いたときに、その当の「政治的」(政治的なるもの)とは一体何なんでしょうか?

つまり、古今のあらゆる政治的共同体が、「政治的」を冠する固有の意味についてです。

そもそも、あらゆる分野には、それをそれたらしめている、それ固有の究極的な区別があるから、それが成立するとシュミットは考えます。

美的なものであれば、そこには「美」と「醜」の区別があり、道徳には「善」と「悪」が、経済には「利(益)」と「(損)害」が・・・etc.

では「政治的なるもの」をそれたらしめている固有(特殊)の区別とは何か?

シュミットは、それは「友」と「敵」の区別こそ「政治」の本質であるとする、いわゆる「友敵理論」を唱えます。

あらゆる分野の区別も、それが闘争の色彩を帯びて来れば、やがて「政治的なもの」に転嫁し、友と敵に分かれます。

友と敵に分かれると、そこに初めて、「政治」が立ち現れる。

国家が「政治的」な共同体である以上、根源的・本質的に、この「敵」と相対することからは逃れられません。

このシュミットの議論から地球連邦という「世界国家」を考えてみましょう。

もし、完全に地球圏が「平和」の内に理想的統一されていたならば、

「世界国家」が、全地球・全人類を包括するばあいには、それはしたがって政治的単位ではなく、たんに慣用上から国家と呼ばれるにすぎない。

カール・シュミット『政治的なものの概念』未来社、2006年、68頁。

しかし、宇宙世紀の地球連邦は、強大な地球連邦軍の威嚇のもとに成立しているのであり、連邦内には諸々の連邦への「敵意」が存在しているのであり、地球連邦は「世界国家」を冠しているとはいえ、上記のシュミットの言う「慣用上の国家」とは似ても似つかない。真に政治的な、友・敵関係を抱えた大規模な「国家」の一形態に過ぎない。

しかし、真に人類が統一された、つまり地上から「政治的なもの」が消滅した理想世界についても、シュミットは言及しています。

もしも地上のさまざまな民族・宗教・階級その他の人間集団がすべて一体となり、相互間の闘争が事実上も理論上も不可能となるならば、さらにまた全地球をおおう帝国の内部においても、内乱が将来にわたり事実上二度とふたたび、その可能性すら考えられなくなるならば、すなわち友・敵区別がたんなる偶発性においてすら消滅するばあいには、そこに存在するものはただ、政治的に無色の世界観・文化・文明・経済・道徳・法・芸術・娯楽等々にすぎず、政治も国家もそこには存在しないのである。地球・人類のこのような状態が果たして到来するのか、またいつ到来するのか、わたくしは知らない。

『政治的なものの概念』未来社、62頁。

ここで思い起こされるのはガンダムに「呪い」のようにまとわりつく「ニュータイプ」の概念です。

宇宙世紀においては、軍事的価値にばかりに目がいってしまい、その真価を見いだせていないようですが、最も重要なのは、人間が、精神的なレベル、形而上的なレイヤーにおいて、意志の交感ができることでしょう。

これが可能ならば、はじめて、人は、他者の本質を捉え、憎悪や支配欲・承認への渇望を克服できるかもしれない。

「ニュータイプは、あるがままを見ただけで、そのものの本質を洞察できると云われているが、信じたくなった」

(ザビーネ・シャル/「ガンダムF91」)

つまり、「政治的なるもの」=「友敵」の消滅へと至るという事です。

レビル将軍が

「ニュータイプはな、戦争などせんで済む人類のことだ」

と喝破していたように、人類のステージがニュータイプへと上昇した時、はじめて真に非政治的な「世界国家」(「政治」の消滅)の誕生の可能性が拓けます

ニュータイプ、人の革新なくして、真の平和は訪れず。

【了

PS

まさかの、ガンダムの考察記事でありながら、モビルスーツの「モ」の字も出てこないという…。

【注】

※1. 『ENTERTAINMENT BIBLE.35 MS大図鑑PART5C バビロニア建国戦争編』バンダイ、1991年、53頁。

※2.野木恵一「ドイツ連邦共和国軍の勃興」『軍事研究』2005年11月号、60-61頁。