H・J・マッキンダー『デモクラシーの理想と現実』読後雑感~アメリカの世界戦略は、ここに全て書かれている(地政学)

the globe

東欧を支配する者はハートランドを制し、

ハートランドを支配する者は世界島を制し、

世界島を支配する者は世界を制する。

H・J・マッキンダー『デモクラシーの理想と現実』原書房、1985年、177頁。

その学問において、およそ避けて通れない古典というものが存在します。

例えば、西洋哲学においてプラトンとアリストテレスを避けることは事実上不可能でしょう。彼らの著書が後世、現代に至るまで、大きな影響を与えています。

今回、テーマにする「地政学」という学問にも、そのような古典が存在します。

英国の地理学者・政治家であるサー・ハルフォード・ジョン・マッキンダー(1861年~1947年)の主著『デモクラシーの理想と現実』(1919年発表)です。

(邦訳には1904年と1943年の論文も付属)

「地政学」という学問分野自体が一般に知られていない中、さらにその古典と言っても、書名すら聞いたことが無いという声が聞こえそうです。

その書名から、「政治体制論」とか「デモクラシー論」の本と勘違いされかねません。

しかし、間違いなく、この書は、地政学、ひいては国際政治を理解する上で、必須の古典でしょう。

訳者自身が以下のように述べている位です。

世の中には幻の名著という言葉があるが、およそマッキンダーの『デモクラシーの理想と現実』ぐらい、この表現にぴったりあてはまっていたものはないだろう

同上書、Ⅱ(訳者序文)

地政学?政治地理学?国際政治学?

そもそも「地政学」とは、一体何なのか。

すぐに思いつくのは、「地」と「政」の「学」なのだから、「政治地理学」のことなのではないか、という推定です。

「政治地理学」と「地政学」は、無関係ではありませんが、やはり別物です。

前者は、地理(環境)から政治体制や政治意識、行政といった事柄を研究する学問分野であり、静態的といえるかもしれません。

対して、後者は、地理による国家間関係の歴史的・軍事的なメリット・デメリットを考察し、国家戦略に反映させるという、甚だ、動態的な(悪く言うと血生臭い)学問であるといえます。

では、国際政治学とは何が違うのか?と言われそうですが、

国際政治学では、とかく国際関係を静態モデルの連続として、その間の変化を細やかにとらえようとする傾向がある。いわば微分的です。これにくらべると地政学的な物の考え方は、国際関係を常に動態力学的な見地からみようとするもので、また全体として積分的な要素が非常に強いようにおもいます。

曽村保信『地政学入門』中央公論社、1994年、8頁。

地政学には、国際政治学と違い、秘教・密教的な、一種、幻想的な雰囲気が漂っています。

特に、地政学の祖たるマッキンダーの言う「ハートランド」という概念や、冒頭に掲げた呪文のようなテーゼ。

実際、その魔術に幻惑されたかのようなナチス・ドイツの地政学者(ドイツ地政学)がありました。

第二次大戦後は、米国がこのマッキンダーの地政学を継承しましたが、一種、隠された秘儀のような、密教的な取り扱いを受けていたような感もあります。

日本においては、特に戦後、地政学への関心というのは殆ど失われているようで、日本の政治学科の専門科目に単独で「地政学」を設置している大学は、皆無のはずです(国際政治系や人文地理学系の科目内で扱われますが)。

ハートランド

マッキンダーの理論の中核にあるのが「ハートランド」です。それは、一言で言えば、

さしあたりソ連の領土をもって事実上のハートランドと同義とみなしてさしつかえない

マッキンダー、291頁。

マッキンダーはユーラシア大陸及びアフリカ大陸を「世界島」(ワールド・アイランド)としています。そして、この世界島(特にユーラシア)を制する者が、世界を制すると考えます。

考えてみれば、最大の大きさを誇る世界島以外の大陸は、詰まるところ、世界島の「衛星」のようなものと捉えることが出来ます。

そのユーラシアの中で、ハートランドは外部から侵入し困難な「聖域」のような特徴を持っています。

ハートランドの南にはヒマラヤ山系や広大過ぎる中国内陸部、東には不毛のタイガ(
レナランド)、西にはウラル山脈と長い東ヨーロッパ平原。そして北は北極圏。

加えて、冬は雪と氷が行く手を阻む。

これらはつまり、天然の障壁と長大な戦略的縦深を持つことを意味しており、ユーラシア外周部やその外の勢力の接近と介入を著しく困難にしています。

この困難さは、ナポレオンのロシア遠征やヒトラーのソ連侵攻を思い起こせば容易に想像できるはずです。

ハートランドに居座る側にとっては、天然の一大要塞として、世界戦略上の一大拠点になる訳です。

近代戦略的な意味におけるハートランドとは、要するに必要に応じてシー・パワーの侵入を阻止できる地域のことである。

マッキンダー、127頁。

このハートランドを制するにあたって重要なのが、東欧ないし中欧の存在です。

以上の観点から、冒頭のテーゼが生み出されました。

東欧を支配する者はハートランドを制し、

ハートランドを支配する者は世界島を制し、

世界島を支配する者は世界を制する。

マッキンダー、177頁。

マッキンダーは、世界平和(デモクラシー)を実現するには、決して東欧を一国の支配に服させることなく、ドイツとロシアの間の多様な国家による緩衝地帯として存在させることが肝要であると考えているようです。

こう見ていくと、冷戦期のソ連は、東欧を制した(ワルシャワ条約機構、衛星国化)ので、世界覇権に王手をかけていたと言っても過言ではないでしょう。

また、逆に、それに対する米国の「焦り」も見て取れます。

シーパワーとランドパワー

米国の戦略家(ストラテジスト)戦争(ウォー・)計画者(プランナー)といった人々は、本書を基に、外交・軍事の両戦略を考えていたように見えます。

米国と地政学を考える上で、外せないのがシーパワーとランドパワーという概念です

前者はユーラシア大陸外、あるいは外周部の国々、つまり海に面して、海に大きく依存した国々で、海軍力を重視します。後者はユーラシア大陸の大陸国家で、陸軍を重視します。

シーパワー諸国においてはそれほどではないにしろ、大陸国では陸軍が優先軍種(シニア・サービス)として他の軍種に優越する傾向があります。

例えば、中国人民解放軍は、陸軍そのものであり、海軍や空軍は、あくまで「中国人民解放軍陸軍」「中国人民解放軍空軍」という時代が長く続きました。

さて、シーパワーの元祖?は古代アテナイであり、近代の先駆者は英国であり、米国もユーラシアの外の「島」の国家ですから、シーパワーになります。

ランドパワーはロシア(ソ連)、中国、そして大陸ヨーロッパ(特にドイツ)でしょう。

シーパワー、特に英米は、ユーラシアの「外」からユーラシアに介入するという立ち位置にあります。

殊に米国は完全に外の島(北米大陸)です。世界島は地球のメインアリーナであり、他の大陸は、本質的に「島」に過ぎません。

いわゆる三つの新大陸は、その面積の比率において、いわば旧大陸の衛星にすぎないといえよう。

マッキンダー、80頁。

「島国」である米国がわざわざ、両大洋を越えて、ユーラシアに干渉するのは、なぜでしょうか?

ユーラシア大陸が、地球のメインアリーナであるならば、それに対して取りうる選択肢は詰まるところ2つしかありません。

介入か、不介入か。

後者はわかりやすいでしょう。モンロー主義よろしく、北米大陸(と裏庭の南米大陸)
に立て籠るということです。

しかし、立て籠ることによって、最終的には安全は保障されません。

なぜなら、今度は、ユーラシアを制した覇権国が、大西洋・太平洋を越えてやってくることは必定だからです。

アメリカは今日すでに内部的な対立を解消した立派な国家である。が、同時に島国でもある。それを彼らは、これまで新大陸といってきた。だが、歴史のあゆみは、別に本当の大陸が同じ地球上にあることを、やがて彼らにも悟らせずにはおかないだろう。

マッキンダー、82頁。

国家というものは、常に支配を希求する存在であり、その衝動は宿命的です。

権力というものは、本質的には他の権力との並立を望みません。

そのゴールは、地上唯一の権力になることだけです。国家にとって他の国家は全て潜在的な「敵」に過ぎません

そう考えると、米国の不介入というのは、結局は、時間稼ぎか問題の先送りにしかなりません。

ならば、最初から、介入し、ユーラシアのランドパワーを封じ込めた方がいい。

いつの日か巨大な大陸が唯一の勢力の支配下におちいり、これが無敵のシー・パワーの基地となる可能性を度外視してもさしつかえないだろうか?

マッキンダー、85頁。

米国にとっての悪夢は、世界島が統一されて、ランドパワーが世界島沿岸部の海洋国家群を併呑して、シーパワーをも兼ねてしまうことです。

陸軍と海軍、両方で強大な国家の誕生は、いずれ北米にも脅威をもたらします。

いったんどこかの国が東欧およびハートランドの資源とマン・パワーとを組織しようと試みたばあい、西欧の島国とその半島に属する国々とは、事のいかんにかかわらず、これに対抗する必要に迫られる。

マッキンダー、162頁。

結局、この状況に陥ったのが米ソ冷戦でした。ハートランドのソ連が、東欧を衛星国化し、ワルシャワ条約機構軍を結成します。

そしてわれわれの子孫は、またふたたびハートランドを攻囲するために、新たな大軍を編成しなければならい必要に迫られるだろう。

マッキンダー、183頁。

まさにそのままNATO(北大西洋条約機構)軍ですね。

辛くも、西欧における米ソの軍事衝突を回避したまま、冷戦は終結したわけですが、その後に採られた勢力圏の再編は、以下の言葉通りだったでしょう。

東欧における領土の再編成にあたって安定を期するための条件は、(中略)すなわちドイツとロシアのあいだには複数の独立国家からなる中間の層があることが、どうしても必要である。

マッキンダー、187頁。

ところが、EUやNATOが東欧に「拡大」していくことになると、ハートランド(ロシア)も黙っている訳にはいかなくなり、均衡が崩れつつあるのが、現在の状況ではないでしょうか。

米国外交の大家、ジョージ・F・ケナンは、NATOの東欧拡大に反対だったと言います。いずれ、ロシアは反発するだろう、と※2

ケナンといえば「X論文」で、対ソ包囲・封じ込め戦略を提唱して、冷戦を方向付けた人物ですが、このソ連(ハートランド)包囲も、マッキンダーの影響を色濃く受けているでしょう。

ともあれ、このケナンの懸念は現実のものとなっています。

エア・パワーは地政学を乗り越えるのか?

地政学を論じると必ず出てくるのが、「空軍力(エアパワー)」とその関係でしょう。

自然的制約それ自体が無効化(克服)された場合どうなのかという問題です。

20世紀に登場した陸海に次ぐ第三のパワーとして登場した空軍力です。

もはや大洋も大山系もその障害ではなく、空軍機が大空を舞う。更に、この延長線上にあるのが、戦略核です。

どのような、前人未到の奥地、鉄壁の自然の要害も、遥か天空から再突入してくる核弾頭からは逃れられません。

即ち、それは、過去、シーパワーの及ばなかったハートランドも、大陸間弾道弾の前では裸同然ということになります。

一種の空軍万能論です。

しかし、果たして、そう話が上手く進むのか。

これには相当な疑問符が付くと言わざるを得ません。

空軍力(とその延長の宇宙軍事力)という存在はゲームの追加ルールではあるが、ゲームそれ自体の変更ではないのです。

空軍力について最も重要な点は、それがどこまでも地上に依存する点にあります。すべての航空機は絶対的に地上の航空基地を必要とします。

加えて、航空機は極めて高度な電子技術の塊であり、その整備・保守に大掛かりなバックアップを必要とします。その傾向は、年々、世代を重ねる度に深まっているようです。

そしてそれを操るパイロットへの教育には、年単位の時間と莫大なコストが費やされます。

戦時になって、即席で大量にパイロットを動員することなど、もはや不可能です。

このような高度な空軍を維持管理し、戦力化することは、そのまま空軍の脆弱性を意味します。

高コスト・高技術を強いる高度な空軍力は、米国をはじめとする一部の大国しか保有できない。

そもそも創設自体が困難です。

更に、巨大な滑走路と十分な抗堪性・防空・警備能力を持つ「安全」な海外基地を確保することの困難性。

大陸間作戦における空軍力の不利も指摘できます。

長距離の航空作戦は、乗員の疲労、燃料などによるコストの増大と滞空時間の圧迫、また自軍機が撃墜やトラブルに見舞われた際の救出やフォローの困難性。

これは空中給油や無人機の投入で克服できる問題ではないでしょう。

空軍力において、更に重要なのは、よく言及されることですが、空軍力のみでは敵を打倒することは出来ないという点です。

確かに、制空権(航空優勢)の可否は戦局を左右しますが、それはつまり、最後に敵地を占領する地上軍、あるいは海域を遊弋する艦隊の補完的戦力、換言すれば、地上戦・海戦にとっての手段であり、空軍力は詰まるところ、陸軍・海軍の付属軍種たる宿命を背負っていると言えるかもしれません。

これが、米国ではシーパワーに付属し、大陸国家ではランドパワーに付属している。

特にシーパワーの雄たるアメリカ海軍にその傾向を見ることが出来ます。

米海軍はその軍種の中に陸軍(海兵隊)と空軍(海軍航空隊)を擁して、海軍単独で三軍を構成するという水陸両用的な性格を持っています。

シー・パワーがランド・パワーと均衡をたもつためには、結局において水陸(アンフ)両用的(イビアス)な性格を帯びるほかにないからである。

マッキンダー、298頁。

マッキンダー自身は1943年の論文で空軍力について判断を留保していますが、どちらかというと、空軍限界論に立っているように見えます※1

地球というチェス盤の上で

ざっと、書いてみたのですが、その壮大さと射程距離はおわかりいただけたかと思います。

まるで、地球をチェスの盤上にして、プレイしているような錯覚に陥ります。

現代の国際情勢を考える上で、本書を無視して論を進めることは難しいのではないのでしょうか。

予言書、というのは語弊がありますが、いわば、「国際政治」というゲームに参加するルールブックといったところでしょうか。

ともあれ、ここで細かく説明するよりも、本書そのものを読まれること、まさに百聞は一見に如かず。

また、マッキンダー、もとい地政学に関しては、近年、多くの本が出版されていますが、特に以下2冊ほどご紹介します。

↑新書でありながら、コンパクトかつ明瞭に、地政学を概観できる名著です。著者は本書の訳者です。ただ、出版が1984年と冷戦期になります。

↑地政学の歴史、そして、現在の地政学の動向までカバーしています。かなり嚙み砕いて概説されています。

【脚注】

※1. H・J・マッキンダー『デモクラシーの理想と現実』原書房、1985年、298頁。

※2、ジョージ・F・ケナン『アメリカ外交50年』岩波書店、2000年、287頁。

【参考文献】

H・J・マッキンダー『デモクラシーの理想と現実』原書房、1985年。

曽村保信『地政学入門』中央公論社、1994年。

奥山真司『地政学 アメリカの世界戦略地図』五月書房、2004年。

庄司潤一郎「戦後日本の地政学に関する一考察」『年報戦略研究』4号、2006年。