「哲学対話」にはチャタムハウスルールが必要だ

唐突ですが、

「チャタムハウスルール」というのをご存じでしょうか?

「チャタムハウス」とは、ロンドンにある「英国王立国際問題研究所」(RIIA)の置かれた建物の名称で、転じて、RIIAを指す言葉になりました。

アメリカ大統領官邸をホワイトハウスと呼ぶのと同じですね。

このRIIAはシンクタンクです。

シンクタンクとは、様々な国際情勢・社会問題などを、研究・分析し、政策提言などを行う研究機関です。

あまり日本では馴染みが薄いですが、米国などでは、絶大な力を振るっており、時の政権の政策決定にも大きな影響を与えています。

有名ところでは、IISS(国際戦略問題研究所)、ランド研究所、最近のウクライナ関連のニュースだとISW(戦争研究所)をよく目にする人も多いのでないでしょうか。

そんなシンクタンクの老舗の1つがRIIAです。

前置きが長くなりましたが、

そのRIIAがチャタムハウスルールというルールを掲げています。

これは、ググってもらった方が早いのかもしれませんが、要するに、会議・議論の場で、

発言者の発言の自由を担保するためのルールです。

会場での発言・情報は自由に利用・引用できるが、その発言が誰によってなされたかは、決して明かしてはならない(匿名性)。

日本でいうところの、「オフレコ」に近いものです。

なぜ、このようなルールが必要なのでしょうか?

国際問題・社会問題は、突っ込んで議論すれば、それはどれも非常にセンシティブな、デリケートな問題を孕んでいます

(政治、宗教、思想、差別、偏見、歴史的不幸etc.)。

議論の場で匿名性が担保されなければ、場の空気を読んだ、自身の社会的立場を守って、

当たり障りのない議論に終始してしまう可能性が高い。

それではシンクタンクの意味がありません。

直面している問題に忖度したところで、実際の問題が我々に忖度してくれるわけではないですから。

このチャタムハウスルール。

哲学対話においても重要ではないでしょうか?

哲学対話がテレビや新聞にも紹介され、ポジティブな、明るい、安全・安心な哲学対話のイメージがすっかり流布していますが、哲学対話が「哲学」である以上、デリケートな問題は避けて通れません。

ネガティブな、暗い、危険で不安な議論のテーマもあります。

例えば、アウシュビッツを語る事は楽しいか?

例えば、宗教問題に首を突っ込むとき、不安はないか?

哲学を冠する以上は、どうしてもこのリスクは回避できません。

リスクを念頭に話すとき、その言葉は、どこまでその人の本心でしょうか?

チャタムハウスルールを哲学対話の念頭に置いてみる必要性を感じます。