1975年(豪)、ピーター・ウィーアー監督
「事件が曖昧なのはいい兆候なんだ。もし、何もかもが一目瞭然だったら―そう、疑ってかかったほうがいい!誰かがそう見えるように細工したということだからね」
アガサ・クリスティー「ミスタ・ダヴンハイムの失踪」より※1
あらすじ
1900年2月、英領オーストラリア
晴れ渡った聖バレンタインの日。
全寮制のアップルヤード女学院では、女子生徒と女教師ら20人あまりが、馬車でピクニックへと出かけた。
目的地は、近傍の景勝地・岩山「ハンギング・ロック」。
しかし、約束の夜8時になっても、一行は学園へ帰って来ない。
校長が気をもんでいる中、ようやく馬車が帰還すると、生徒らは半狂乱であった。
曰く、3人の女子生徒と1人の女教師が、岩山から忽然と姿を消したのだと・・・。
※以下、ネタバレあり
半世紀前のミステリー?映画
カルト的な人気を誇る半世紀前のオーストラリア映画。
一応、「ミステリー」に分類される本作ですが、同時に、ホラーともジュブナイルとも、はたまたSFとも言えそうで…。
そんな杓子定規な分類を嘲笑うような作品です。
今回は、この忘れがたい名作の感想などを気の赴くままに書いていきます。
サマードレスと処女信仰
本作の雰囲気を「怪しく」しているのが、失踪現場となった巨岩「ハンギング・ロック」の威容です。
そして、この「怪しい」を「妖しい」にしているのが、失踪した少女3人の官能的なまでの美しさでしょう。
この美少女たちが、あまりに魅惑的です。
ブロンド美少女、眼鏡っ娘美少女、黒髪美少女。狙ってますよねコレは
青年貴族のマイケルなんか、ブロンド娘に一目惚れして、後を尾けちゃうわ、一人で捜索に出て遭難するわ。まさに虜になってしまう。
彼女らの着る純白のサマードレスの制服が、その処女性=不可侵性を否が応でも強調することで、逆に官能性を高めてしまう。
そこに「謎の失踪」が加わることで、いよいよ神秘性まで付加される訳です。
処女性と神秘性を掛け合わせて、彼女らは一種、「巫女」のような存在に昇華する。
余談ですが、3人の内、唯一発見されるのが、黒髪の美しいアーマです。
発見したアルバートが、倒れている彼女を足蹴にして生存確認します。
美少女を蹴るな!!じゃなくて、普通は揺り起こしたりするもんでしょ!と憤りを禁じ得ません。
巨石信仰とアニミズム
そこに来て、あのハンギング・ロックの無骨な感のある大自然に対して、徘徊する彼女らの服装が、異常な程に純白な制服=サマードレス。
このギャップが観るものを更なる深みに引き込みます。
そして、彼女らのサマードレスは、その純白が処女性をイメージさせるだけではないでしょう。
あんなところにピクニックにいくのに、純白なサマードレスというのは、冷静に考えれば不自然です。
この「不自然」は、オーストラリアに入植した白人社会(英国)の暗喩のようです。
迷い込んだ美少女たちが、迷宮を想起させるハンギング・ロックで迷走している姿。
それは、西欧の文明世界が、未開のオーストラリア大陸の未開・大自然に踏み込んで、そこで迷走する姿そのものです。
本作で迷宮状態を呈するハンギング・ロックは、オカルト的な、畏怖の対象として君臨しています。
そこは異界との境界そのものであり、この「失踪」が単なる事件(少女を狙った男の犯行のような)ではなく、「神隠し」であることを否応なく印象付けています。
ハンギング・ロックは、いわばアニミズムの「カミ」のような存在。
そうすると、さながら、3人の美少女は「生贄」か?
終盤、唯一生還したアーマに、同級生一同が半狂乱で詰め寄る場面があります。
それは、さながら、人身御供の身でありながら、意図せず生還してしまった巫女を、弾劾する姿にも見えるではないですか。
オーストラリア版「藪の中」
隠喩が散りばめられ、型通りの解釈を拒む本作にあって、そのミステリー映画としての側面は、さながら、芥川龍之介の『藪の中』を想起させるものがあります。
- なぜ、時計は正午で止まっていたのか?
- なぜ、失踪した女教師は下着姿だったのか?
- なぜ、イーディスは悲鳴をあげて逃げ出したのか?
- なぜ、マイケルは最初の証言で少女は3人だったと言ったのか?
- なぜ、アーマだけが、発見されたのか?
- なぜ、アーマはコルセットを着ていなかったのか?
- アーマは誰かに襲われたのではないのか?
- イーディスやアーマは何を見たのか?
- セーラは本当に自殺だったのか?
- 「赤い雲」とは何か?
- そして、2人の少女と1人の女教師は、どこへ消えたのか?
挙げればキリがないのですが、ほとんど、これらの謎は放置されて、物語は終劇します。
こう書くと、腑に落ちないようですが、映画を観終われば、満足いく余韻に浸れるのが、本作が傑作と言われる所以です。
「少女」という存在は永遠の謎であり、それを解こうとするのは、無粋というものでしょう。
この作品を見よ
最後に、この作品を観た方におススメしたい作品をご紹介します。
恩田陸『蛇行する川のほとり』
この作品を観ていた時から、何となく、恩田陸ぽいなぁと思っていたんです
「ノスタルジアの魔術師」の異名を持つ作家ですが、その諸作品には、ミステリー×不穏×美少女の組み合わせの多いこと、多いこと。
今回ご紹介している『蛇行する川のほとり』は、特にその傾向が強いようです。
夏休みに集まった少女たちの秘密とは・・・
読んでいる時の没入感が、「ピクニックatハンギング・ロック」の時と通底しているように感じられました。
映画「スイミングプール」
フランスの映画監督フランソワ・オゾンの作品です。
知人の別荘にバカンスを過ごしにやってきた女流作家と、一人の謎の少女の奇妙な共同生活。
ミステリーなのか、それとも違う何かなのか。
作中に時々現れる伏線のような仕掛け。
奔放な少女の真意は?
そして、ラストに待ち受ける、「静かな驚愕」。
全体が、「ピクニックatハンギング・ロック」のような雰囲気の作品と感じたのは私だけでしょうか。
【注】
※1.アガサ・クリスティー『ポアロ登場』早川書房、2020年、264頁。